演劇書き込み寺

「貧乏な地方劇団のための演劇講座」とか「高橋くんの照明覚書」など、過去に書いたものと雑記を載せてます。

脚本を書く技術-2-3

2009年04月10日 00時12分17秒 | 脚本を書く技術

今日はパチンコでボロ負けしました。
というわけで、芝居とかかわらない日々が続いています。


2.4簡単なようで、難しいセリフ

脚本を書いてみようと思ったきっかけのひとつに、脚本はいつもしゃべっている言葉をつかうだけだから、小説よりも楽だ。と、思った人はいないでしょうか?
実は私がそうです。
小説も書いてみたことがありますが、地の文がうまく書けません。
もうひとつには落語をはじめとする話芸が好きだったというのも理由です。

ところが、いざ脚本を書いてみようとするとセリフが浮かんできません。
あるいは、ぱっとしないセリフしか浮かんでこない、ということがありませんか。
実は私がそうでした。

これは、いいアイディアでないからセリフがうまくかけないのだ、と最初は思っていました。
つまり、物語の基盤になる素材がよければいい物語になるという錯覚です。
しかし、何本か脚本を書いて演出をしているうちに、実は違うことが分かってきたのです。

脚本の中の登場人物が何かをしゃべるときには、その登場人物にはそのセリフをしゃべらなくてはならない必然があるのです。
登場人物の持つ性格や立場が台詞を生み出すのです。
特に、立場というものを意識していない作品をよく見ます。
人は立場によって考えることが違う、当たり前のことです。
しかし、登場人物の性格については、いろいろなところで書かれていますが、登場人物の立場について触れていることは少ないように思います。

このことについては、技術だけではない話になりそうなので、とりあえず技術について話を進めることにします。

2.4.1 まずは前提

ここで取り上げる脚本の形態を決めます。
実は脚本の書き方は、最初に書いたように何でもいいのです。
登場人物が誰かわからなくたっていいですし、音だけで意味のない台詞が延々と続いてもかまいません。
ただ、それではその作品を書いた人か、意味をなさないものから意味を見出せるという特殊な能力のある人しか上演できませんから
ここでは、物語があって、一般の劇場で上演できる作品とします。
つまり、世間一般の人が脚本としてイメージしているものと同じか、それに近いものだと考えてください。
これまで書いてきた、「タイトル」「登場人物一覧」「ト書き」での、説明も実はこの前提に立っています。
なくてもいいのだと、何度も繰り返しているので、うすうすは想像がついていたと思います。

2.4.2 セリフの頭には人物の名前が必要

当たり前のことを説明しているので、当たり前の話から入ります。
セリフの頭には登場人物の名前がきます。
普通は、こういうふうに書きます。

和夫   ぼくは和夫っていうんだ。
美由紀  へえ、私は美由紀。

登場人物の名前とセリフとの間に、隙間があるのはここからがセリフですという目印です。
人によってはこう書く人もいます。

 和夫  ぼくは和夫っていうんだ。
美由紀  へえ、私は美由紀。

先頭に空白を入れることによって、中間の空白の大きさを整えています。
私はかぎ括弧を使うことが多いです。

和夫「ぼくは和夫っていうんだ」
美由紀「へえ、私は美由紀」

書いてみるとわかりますが、最初と2番目の方法は速く書こうとするときに、面倒です。3番目の方法が一番速く書けます。
セリフが浮かんでくるときは、スピードが命なんで(手書きでないのなら)かぎ括弧かTABキーを使うのが便利です。
TABキーはキーボードの一番左側にあるキーです。
これを使うと、隙間が開いてくれますが、使うソフトによって機能が違うので、ワードや一太郎で入力していざテキストに変換したら、
隙間が消えちゃったという事態も考えられますので注意が必要です。
かぎ括弧にしておいて、あとで一括置き換えしてしまうというのが楽だと思います。
手書きの場合は、マージン罫入りというノートを使うと、この線から上、もしくは左側に登場人物の名前を書くと分かりやすいでしょう。

ここで注意ですが、途中で登場人物の名前を変えるのは出来ればやめたほうがいいです。
実は、私も時々無意識でやってしまいます。
最初は「男」、と書いていたのに途中から「和夫」になってしまったりしています。
既成の脚本でもたまに見かけますので、絶対だめということはありませんが、読んでいる人が混乱するのは間違いありません。

2.4.3 音になること

セリフの第一条件は声に出して音になることです。
「Ё」と書いてあって「イヨー」と読むことを知っている人はほとんどいないと思います。
このように、一般的でない文字や、記号の類は原則として使わないほうがいいです。
同じように、顔文字が書いてあっても認識が共通でないと、「しくしく」と読ませるつもりが「えんえん」と読んでしまうかもしれません。
そうなると、自分の作品が上演されることになって観にいったら、役者がぜんぜん違うことを言っていたという事態にもなりかねません。
これは最初にも書きましたが登場人物の名前でも同じです。
私はある作品の登場人物に「鑑」という名前をつけました。
「あきら」と呼ばせるつもりだったのです。ところが振り仮名を振っておかなかったので、公演を観にいったら役者はみんな「かがみ」と呼んでいました。
当時、井上鑑さんというミュージシャンのスタッフ方と面識が出来たので、その名前を引用させてもらっただけだったんですけど。
 
最近はブログで「W」を使う人も増えていますが、これも厳密になんと読ませるのか不明です。

2.4.4 分かち書きの復活

分かち書きとは

セリフを書くときに、分かち書きをする人がいます。
坪内逍遥の訳したシェイクスピア作品などは、分かち書きをしています。
一時期こういう書き方をする人はほとんどいなくなっていましたが




物語を急がない
うまくいっていない脚本は往々にして、物語をうまく進行させようとしすぎています。
最初に頭の中で物語が出来てしまうと、それを
説明するならきちんと説明する


はい、書いてあったのはここまでです。
先はどうしようかな。