北野さんは、このあと麻雀ブームで、麻雀劇画で有名になるがこの頃は児童向けの単発読み切りまんがを描いていた。またの昭和47年手塚先生の推薦で、「牧口先生」と言う心に残る漫画を描いた人でもあった。
ひばりが丘から荻窪の閑静な住宅の川端康成が、泊まって小説を書いていてもおかしくないような、旅館ふうの家に越して住んでいた。
よく、まんちゃんやささかど君、それにひげじじさんなどが、アシストの手伝いに行っているのに出会ったものだた。それまで北野さんは上口照人さんと作画監督ということであったが、チーフディレクターに指名されたのであった。
日本語で、総監督、横文字にすれば、ティーフディレクターなのである。
制作を調べる。制作柴山 達雄、やはり1話から13話となっているので初めの1クールまでが、シバタツさん、この頃虫プロの組合、火曜会の委員長だったかもしれない。親睦会から、労働闘争組合へと変貌しつつあった頃であった。
プロデューサー池内 辰夫 15話から26話となっている14話は受け継ぎのドサクサではっきりしないのであろうが、池ちゃんだったと思う。これも制作を横文字にすればプロデューサーである。
アシスタントプロデューサーに実力派の岩崎 正美さんの名前があるので、実質現場を取り仕切ったのは、いわっちゃんだったかもしれない。
ひばりが丘から荻窪の閑静な住宅の川端康成が、泊まって小説を書いていてもおかしくないような、旅館ふうの家に越して住んでいた。
よく、まんちゃんやささかど君、それにひげじじさんなどが、アシストの手伝いに行っているのに出会ったものだた。それまで北野さんは上口照人さんと作画監督ということであったが、チーフディレクターに指名されたのであった。
日本語で、総監督、横文字にすれば、ティーフディレクターなのである。
制作を調べる。制作柴山 達雄、やはり1話から13話となっているので初めの1クールまでが、シバタツさん、この頃虫プロの組合、火曜会の委員長だったかもしれない。親睦会から、労働闘争組合へと変貌しつつあった頃であった。
プロデューサー池内 辰夫 15話から26話となっている14話は受け継ぎのドサクサではっきりしないのであろうが、池ちゃんだったと思う。これも制作を横文字にすればプロデューサーである。
アシスタントプロデューサーに実力派の岩崎 正美さんの名前があるので、実質現場を取り仕切ったのは、いわっちゃんだったかもしれない。