おことわり
文章を書くのが下手なので、もう少し文を書くということを、勉強したいと、欲した。そこで、昔のことを書いてみようと思ったが、昔のことで、思い出して書くのは不可能であることに気が付く、するともう、文章がかけなくなる、そこで一計を案じ、すべてフィクションで書くことで、筆を進めようと欲した。
であるから以下の文はすべてフィクションである。
登場する人物、その名前、場所、等、実際の名称と出来事とは、関係ないことを、記しておく。
内海武雄君 彼と初めて話したのは、彼がジャングル大帝の作画をしていたころ、2スタの駐車場、休憩時間いつものように遊んでいると、珍しいバイクにまたがっている男が居た。顔は、強面でどちらかというと、取っ付き難いタイプであるが、向こうから話しかけてきた。「陸王というバイクだ」など、話してみると、案外やさしい。そのことが、きっかけとなり、話すようになった。虫プロでの殺人的な「千夜一夜ものがたりが」が終わり、少しの時間のゆとりが出来ていた。
忙しかった、そのしわ寄せか、虫プロには結婚ブームが起こっていた。進行仲間でも、幼馴染と結婚した神田武幸君以外は本橋 誠にしろ、牧元 悟にしろ、網田靖夫や、渋江靖夫と皆、結婚していた。まだなのは、安達 登君や片山秀男君伊藤幸松君近井 勉君ぐらいで、うかうかしてると先を越されそうな雰囲気であった。遅すぎた青春を取り戻そうと、できるだけ女性に声をかけるようにしていた。幸せなことに虫プロは昔から美人が多いことで、有名であった。
電話交換室に居た、龍子さん、(匿名)彼女は一度聞いた電話番号を覚えてしまうという、ものすごい特技を持っていた。龍子さんにとって、まさに天が与えた仕事といってよかったのだか、龍子さんもアニメ制作という魔物に取り付かれ、制作事務に移動してきた。
遅くなった時など、所沢の実家まで、送ってあげていたりしていた。そのことで、私に対して、龍子さんが「あの人、とてもいい人」という、良い評判を立ててくれた。そのおかげか意中の人K子(匿名)さんにめぐり合い、親しくお付き合いできるようになっていた。
7月7日の七夕には、第二スタジオの一階の部屋でゴーゴパーティーを、開こうという話が出て、虫プロエレキーバンドの演奏会で開かれる事になった。飾りつけは、新田 雅利らが、ミラーボールだの3色のスポットライトなど借りてきた、飾り付けを、女性スタッフが色紙などで作り、内海 武雄たちも積極的に手伝ってくれた。東映動画や、タツコプロなど、近隣のプロダクションにもパーティー券を売ることが出来た。その日、リードギターの牛越 和夫はのりに乗っていた、初めの約束では、ギターアンプのボルームは4までと決めておいたが、いつの間にかフルボリュームになっている、これは、練習のときから、で、興に乗ってくるとボリュームを上げてしまうのが、彼の癖であった。だからリードボーカルの木口 準のボリュームを上げる、それでもギターに負けるものだから、声をからして絶唱する。1時間もすると疲れてくる、それに、飲み物もの飲みたい、曲はクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバルの「スージーQ」ギターの牛越が木口に目で合図する、間奏の部分でメンバーの紹介、最後にドラムの内田 有紀彦が紹介され、ドラムのアドリブソロとなる、そこでメンバーが舞台から降りて、ジュースを飲んだり、駐車上へ出て休憩する、その間ドラムの内ちゃんは、ドラムソロだけで、みんなを躍らせている。30分そのまま、今ならいじめと言われてしまう。新田Aさんが駐車場で休憩しているメンバーのところへ来て「もう限界みたいよ、泣いているから、戻ってあげろよ」と言ってくる。舞台へ戻って、リードギターから曲に戻って歌に入り、演奏が終わる。なんと延々50分の演奏、その間みんなは、日ごろの鬱憤を晴らすかのように、踊りに踊っていた。みどりさんが、静かなカーペンターの曲を歌い、ゲストでこの日のために練習したフルートの吉村 昌輝君がHerbie Mann(ハービー・マン)のメンフィス・アンダーグラウンドや「ジェスロタル」のブーレをレコードどおり声を出しながら演奏した。
仕事中の手塚先生が「我慢の限度を超え」そのお使いに先生のお母さんが来て、やわらかくストップをかけてくれた、夜遅くまで行われた。
K子と彼女のお友達を送ることになった。笠井 志都子といった、昨年6月の募集で仕上に入ってきたらしい。家は新座の片山、だという「ついでだから、内海君も一緒に送ってくよ」といい、東久留米の内海のアパートへ行った。
内海のアパートで会話をした、女性二人が、茶箪笥から湯飲みや急須を出してお茶を入れてくれた。「こんな女性って良いよね」など言っているうちに、11時近くとなり、K子の門限時間が迫ったので、お開きにすることにした。
先に靴をはいてドアのところで、笠井君が出てくるのを待った。「あれ?笠井君は」という私にK子がひじで、小突いて、「ばかね」といった。
すでに彼らは、同棲生活していたのであった。K子を送りながら、「知ってた」とたずねると「どうも、おかしいと思った」とK子は答えた。
文章を書くのが下手なので、もう少し文を書くということを、勉強したいと、欲した。そこで、昔のことを書いてみようと思ったが、昔のことで、思い出して書くのは不可能であることに気が付く、するともう、文章がかけなくなる、そこで一計を案じ、すべてフィクションで書くことで、筆を進めようと欲した。
であるから以下の文はすべてフィクションである。
登場する人物、その名前、場所、等、実際の名称と出来事とは、関係ないことを、記しておく。
内海武雄君 彼と初めて話したのは、彼がジャングル大帝の作画をしていたころ、2スタの駐車場、休憩時間いつものように遊んでいると、珍しいバイクにまたがっている男が居た。顔は、強面でどちらかというと、取っ付き難いタイプであるが、向こうから話しかけてきた。「陸王というバイクだ」など、話してみると、案外やさしい。そのことが、きっかけとなり、話すようになった。虫プロでの殺人的な「千夜一夜ものがたりが」が終わり、少しの時間のゆとりが出来ていた。
忙しかった、そのしわ寄せか、虫プロには結婚ブームが起こっていた。進行仲間でも、幼馴染と結婚した神田武幸君以外は本橋 誠にしろ、牧元 悟にしろ、網田靖夫や、渋江靖夫と皆、結婚していた。まだなのは、安達 登君や片山秀男君伊藤幸松君近井 勉君ぐらいで、うかうかしてると先を越されそうな雰囲気であった。遅すぎた青春を取り戻そうと、できるだけ女性に声をかけるようにしていた。幸せなことに虫プロは昔から美人が多いことで、有名であった。
電話交換室に居た、龍子さん、(匿名)彼女は一度聞いた電話番号を覚えてしまうという、ものすごい特技を持っていた。龍子さんにとって、まさに天が与えた仕事といってよかったのだか、龍子さんもアニメ制作という魔物に取り付かれ、制作事務に移動してきた。
遅くなった時など、所沢の実家まで、送ってあげていたりしていた。そのことで、私に対して、龍子さんが「あの人、とてもいい人」という、良い評判を立ててくれた。そのおかげか意中の人K子(匿名)さんにめぐり合い、親しくお付き合いできるようになっていた。
7月7日の七夕には、第二スタジオの一階の部屋でゴーゴパーティーを、開こうという話が出て、虫プロエレキーバンドの演奏会で開かれる事になった。飾りつけは、新田 雅利らが、ミラーボールだの3色のスポットライトなど借りてきた、飾り付けを、女性スタッフが色紙などで作り、内海 武雄たちも積極的に手伝ってくれた。東映動画や、タツコプロなど、近隣のプロダクションにもパーティー券を売ることが出来た。その日、リードギターの牛越 和夫はのりに乗っていた、初めの約束では、ギターアンプのボルームは4までと決めておいたが、いつの間にかフルボリュームになっている、これは、練習のときから、で、興に乗ってくるとボリュームを上げてしまうのが、彼の癖であった。だからリードボーカルの木口 準のボリュームを上げる、それでもギターに負けるものだから、声をからして絶唱する。1時間もすると疲れてくる、それに、飲み物もの飲みたい、曲はクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバルの「スージーQ」ギターの牛越が木口に目で合図する、間奏の部分でメンバーの紹介、最後にドラムの内田 有紀彦が紹介され、ドラムのアドリブソロとなる、そこでメンバーが舞台から降りて、ジュースを飲んだり、駐車上へ出て休憩する、その間ドラムの内ちゃんは、ドラムソロだけで、みんなを躍らせている。30分そのまま、今ならいじめと言われてしまう。新田Aさんが駐車場で休憩しているメンバーのところへ来て「もう限界みたいよ、泣いているから、戻ってあげろよ」と言ってくる。舞台へ戻って、リードギターから曲に戻って歌に入り、演奏が終わる。なんと延々50分の演奏、その間みんなは、日ごろの鬱憤を晴らすかのように、踊りに踊っていた。みどりさんが、静かなカーペンターの曲を歌い、ゲストでこの日のために練習したフルートの吉村 昌輝君がHerbie Mann(ハービー・マン)のメンフィス・アンダーグラウンドや「ジェスロタル」のブーレをレコードどおり声を出しながら演奏した。
仕事中の手塚先生が「我慢の限度を超え」そのお使いに先生のお母さんが来て、やわらかくストップをかけてくれた、夜遅くまで行われた。
K子と彼女のお友達を送ることになった。笠井 志都子といった、昨年6月の募集で仕上に入ってきたらしい。家は新座の片山、だという「ついでだから、内海君も一緒に送ってくよ」といい、東久留米の内海のアパートへ行った。
内海のアパートで会話をした、女性二人が、茶箪笥から湯飲みや急須を出してお茶を入れてくれた。「こんな女性って良いよね」など言っているうちに、11時近くとなり、K子の門限時間が迫ったので、お開きにすることにした。
先に靴をはいてドアのところで、笠井君が出てくるのを待った。「あれ?笠井君は」という私にK子がひじで、小突いて、「ばかね」といった。
すでに彼らは、同棲生活していたのであった。K子を送りながら、「知ってた」とたずねると「どうも、おかしいと思った」とK子は答えた。