真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

虫プロ外伝5

2006年12月26日 13時01分59秒 | 虫プロ
そんな時、制作事務の龍子さんと雅子さんから、秩父の三峰神社へ連れて行ってと誘われた。
日曜日池袋駅へ出て赤羽線で赤羽から高崎線で熊谷駅 秩父鉄道を使い三峰口駅へと行く。バスで大輪駅という三峰ロープウェイの乗り場から三峰山頂間までロープウェイに乗って「このロープウェイは三峰山頂間までの1.9kを結んでいます。「三峰山」と言う山は埼玉県にはなく、雲取山・白岩山・妙法が岳を総称して三峰山と言っています。」などというアナウンスを聞いているうち、ケーブルカーは山頂に到着、そこから15分ぐらいのんびり歩き三峯神社へお参りした。
このケーブルカーは2006年5月に「安全面の問題で1年間休止」となっています。

作ってきてくれた、お弁当を広場で食べ、「三峰山(みつみねさん)は、奥秩父山塊にある妙法ガ岳(1332m)、白岩山(1921m)、雲取山(2017m)の総称をいうんだよ。一般的には、三峯神社が在るその頂を三峰山というとしているが、例えば神社を呼ぶとき、浅間神社なら浅間さん、氷川神社なら氷川さん、と呼ぶよね。三峰神社も地元では、三峰さんと呼んでたんじゃないかな、それを漢字にすれば三峰山、そうなったんじゃないかなと思う」などと、また一夜漬けで調べたことを、講釈している。「今日は晴たけれど、ここは霧が多くて、野口雨情が「朝にゃ朝霧、夕にゃ狭霧、秩父三峰霧の中」と歌っ手いる、そういえば深夜劇場の映画で、森繁久弥さんの「雨情」と言う映画やっていたけど、野口雨情の歌詞っていいよね」など男の癖におしゃべりであった。
写真を撮ったりし景色を眺めていると、眼下に秩父湖が見えた。表参道なる道からそこに行く道の看板があった。帰りは歩いてダムを見て帰ろう、と言う話になった。歌を歌いながらくだって行く、映画を見たばかりだから、『七つの子』『赤い靴』『青い目の人形』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など、枚挙にいとまがない。森重久弥の物まねで『船頭小唄』など名で歌った。『あの町この町』を歌った頃に二瀬ダムに着いた、歌のとおりに日が暮れの予感はあった。
看板の説明によると「二瀬ダム」 堤の長さ290m、高さ95mのアーチ式ダム。荒川と大洞川と二つの川の合わさるところを堰き止めたダムの為、二瀬ダムと命名された。と書いてあった。昔女性の名前が着いていた頃の台風で大きな被害が出たのでとのもきいていた。「秩父往還」へ出た頃には、まったく人通りがなくなっていた。その上、バスがすでになくなっていたのであった。駅まではかなり遠いことが、なんとなくわかり、疲れもピークとなっていた。そんな時1台の軽トラックがやってきた。手を上げると、運転していた女性が車を止めてくれた。事情を話すと、気の毒がって、わざわざ駅まで送ってくれることになった。「捨てる神あれば拾う神あり」「地獄に仏」すっかり元気になり。荷台と運転席とで、おおきな声で、会話が始まった。お礼をいい、「虫プロのものですが、今度是非虫プロへ、遊びに来てください」といって、名詞を渡し分かれた。
この親切な人のことは、いつまでも忘れませんでした。
コメント
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