テンション低いおばさんですが、
どうぞ今日もおつきあいください。
対向車も民家もない道(道道美唄富良野線)をひたすら走ったのですが。
橋っ。
進行方向に赤い錆色の鉄の橋が見えまして。
ストップを命じるっ。
いえ、
お願いします、ちょっとだけ停めてくださいと懇願いたしまして。
かなり手前からじゃないと橋が樹木に隠れて入らないっ。 その後、走るっ。
道路わきに夏草の踏み跡がありまして。
日頃の鍛錬でしょか。
とりあえず2メートルほど前進してみますと、
完全抜けているっ。下の川の流れがもろ見えてでら怖いっ。
あ、ご安心ください。
橋の手前に立ってますから。
このおばはん、突撃しかねないと思ってる人もきっといるでしょ(笑)。
橋のない川。
昔読んだよななんてどうしてこの場で浮かぶのかなんですけど、
住井すゑさんの本、橋のない川を思い出しました。
内容は無関係ですから。
帰りにもうひとつ。
余談ですが。
…橋の数え方に自信がなくて今調べてみたのですが、答え知ってます?
述べてみよっ。←お、ティーチャーか?
一基、一本、一橋ですって。
一本でOkなのね。
またここで車停めてとお願いし、ダッシュっ。
さっきの赤いのより幅もありますし、頑丈そう。
今度は渡ってみる。
これは生活用の橋でしょう。
ということは、この奥に炭住とかあったんでしょね。
橋の向こうに何かないかと見てみましたけど…。
草木が生い茂った森と藪でした。
沼東中学校屋内体育館。
今回一番見てみたかったのが沼東小学校円形校舎(めがね校舎)の天井だったのですが。
近くから覗いてみたかったのですけどね…。
見つけられませんでした。
というより、さすが一人であの奥まで進むのはストップにしました。
徒歩10分ということなのですが、
途中で引き返すことに。
そう、娘は車の中で待機。
興味がないからと思っていたのですが、
実は調子がどんどん悪くなっていってたようでして。
具合が悪いとは思わず、機嫌が下り坂と受け取ってまして。
なんて母じゃなんですけど。
他にも記念館や炭住群に映画館とか行きたかったんですけど、
中止にすることに。
母の勘。外れたけど当たってたっ(笑)。
往きで素通りしてしまった美唄鉄道東明駅舎。
1915年(大正4年)の美唄鉄道発足から1972年(昭和47年)の三菱美唄炭鉱閉山まで、
美唄~常盤台間約10キロを往復し、石炭と炭鉱の人々を運び続けたそうです。
駅舎の裏へ。
夏草の隙間に赤錆の線路が見えるでしょか。 昨日載せたメモリアル公園まで続いていたはず。
プラットホーム。
4110形式十輪連結タンク機関車2号。
梯子から中を覗いて見ましょう。
わ、分かりません…。
きっと鉄ちゃん度は低いと思います。
機関車度か?
似たような風景を2度見てますわ。
一度目は幌内炭鉱で途切れた線路、
2度目はその逆地点の小樽手宮線。
過去記事結ぶ。線路は続くよどこまでも。に載ってますので興味のあるかたはどうぞ。
意外と小さいかなと。
アルテピアッツァまではきっと人が来るんでしょうけどね、
そのほかはあまり立ち寄らないのかな。
焼き鳥片手にメモリアル公園までドライブなんていかがでしょ?
…まぁね。
私みたいのがぞろぞろいるとも思えませんし…。
しっかし人も車もどこに行った?
本当に人が住んでるのでしょか。
どこまでも寂しい町だったのでした。