昨日のブログに載せた本。
股間若衆 男の裸は芸術か/木下直之
露出か隠蔽か修整か?古今日本人美術家たちによる、男性の裸体と股間の表現を巡る葛藤と飽くなき挑戦!
どうでしょ、私はあまりその部位がどう表現されているのかなんて特に意識してみたことはなく、
あればあるで「あるわ」、なければないでそのまま通り過ぎる。深く考えたことすらなかったのですが。
ただし、狛犬さんに関しては、数年前から必ずチェックはしてましたけど。
その狛犬さんのことがあって、だいぶ前になりますが、新聞でこの本のことを知り、興味を持ち、
やっと順番がまわってきたのが4月半ば。
昨日も書きましたが、冷やかしじゃなく、この方、かなりおかしな言い回しはしてるけど、よく調べている。
ぷっとくるよな駄洒落に誤魔化されそうになりますが、
すさまじく文献調査されていると思います。どうやってここまで股間について調べたんでしょね。
で、札幌駅前の牧歌の像も本書に登場しているわけです。
残念ながら、ほんの数行だけでしたが、型でいうと数少ない「切断型」もしくは「面取り型」
他はというと、
曖昧模っ糊り→バレエのタイツ姿の男性の股間のようにそれとなくある型
奇跡の木の葉→いちじくやぶどうの葉がくっついる型
とろける股間→説明しにくいなぁ、見れば一目瞭然なんだけど、
ピザ用ミックスチーズ?蝋?熱によって境界というか原型ラインがとろけて流れているよな型
はりつく手ぬぐいというのもあります。
そんなふうにして、日本の各地に、ひっそりと男性裸体彫刻は立っている。
私も、ひっそりと股間採集に行ってきました。
どうか、周りに人がいませんように。
午後2時すぎだったのですが、夕方に生放送するTVの関係者がどんといらしてて…。
げ、芸術鑑賞よね。
ははぁ、たしかに無いというか「切断型」もしくは「面取り型」という表現はあっているかと。
いやぁ、すとんとないですねー、いやぁ、そうなんだ。
難しいとこなんでしょね、芸術、彫刻といえども公衆の面前で、どこまで許されるのか。
私みたいなのもいれば、いやと感じる人もいるはずで。
上からの抑圧もあれば、市民の声もある。
もう一体の男性像。
おもわず胸をみて「男よね?」と確認してしまいましたわ。
かなりどきどきしながら写したもので、説明のプレート写し忘れてしまいました。
この本を読んでから、どうも裸の像・絵画(男性も女性も)の股間部分はどうなっているのか気になり始め、
今だと新聞に佐藤忠良氏の作品がよく載っているのでついついチェック、
もう目に飛び込んできますから。
小なまこ山にも本郷新氏の作品がありますが、いやぁ、そこまで細かいとこは覚えてないな。
札幌彫刻美術館もあるのに入ったことない。
大通公園にも像あるわよね、どうなっているんだろ。
…って、興味持つのはいいことだけど、股間ばっかり見て写して歩くってのも心に壁がどーんよね。
芸術とか、表現の歴史とか、表現の自由とか、いままで考えたこともなかったのに、
改めて、股間一つにもいろいろな事情があるんだと思ってしまいます。