ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

傲慢な謙遜

2015年03月04日 | 価値観
                                                ♪言葉だってりっぱなプレゼントです。


【Live Information】


 
 日本人の持つ特質のひとつに「謙遜」というものがあります。
 それを美徳とする考え方ももちろんあります。
 逆に自慢は敬遠されがち。
 「ぼくは彼より○○ができるんだよ」
 「ぼくはみんなより○○がすごいんだよ」 
 「ぼくは、ぼくは、ぼくは」・・・
 たしかに度を過ぎた自慢、人を見下しての自慢はあまり気持ちのいいものじゃないです。
 ただし、謙遜をあくまで美徳としたいがために、その反対側の「自己アピール」を「悪いこと」「ダメなこと」「見苦しいこと」に落としてしまうことには疑問を持っています。 
 
 
 以前のぼくは、「謙遜」が大好きでした。
 「あなたの演奏はステキです!」「・・・いえいえ、自分はまだ全然未熟ですから。。。」
 「あなたの仕事に取り組む姿勢は素晴らしい!」「いえいえ、自分よりも素晴らしい人はいっぱいいますから。。。」
 「あなたって」「あなたって」「あなたって」「いえいえ、自分なんてまだまだなのに、そんな風に言われたら舞い上がってしまって、良いことにはなりませんから。。。」


 謙遜って、良いことだと思っていました。
 謙遜できない人は他人を見下す傲慢な人だと思っていました。
 謙遜できない人が嫌いでした。
 謙遜できる自分はいい人間だと思っていました。


 ある夜のライブでのこと。
 いつものようにMCをしていたぼくは、メンバーを紹介していました。
 「・・・そして、次はAさんです。彼のプレイは素晴らしいですよ!(^^)」
 するとAさんは、
 「いえ、わたしはそんなんじゃありませんから・・・」とサラリと謙遜します。
 「いやいや、あなたはいろんな所で評価されてるよね、素晴らしいよ」
 と重ねて言っても、
 「いえ、ほんとに、自分なんて全然です。」としか答えません。
 正直ぼくは腹を立てました。「せっかくお客さんに対してAさんをアピールしてあげたのに!」「MCなんだからそういうことを言わずに『ありがとうございます』と言ったらいいのに!」「MCの雰囲気が台無し!」


 そんな割り切れない気持ちを持ったまま数年経ちました。
 このことは、クリアできていない自分の課題として、いつもぼくの心の中にありました。
 「あの時のAさんは、謙遜なんかではなくて、単なる慇懃無礼じゃないか」「あんな返し方されたら、ぼくが恥をかく」とずっと思っていました。
 ある日もそんなことを思い出して苦々しい気分になった時、ふと「あれ?」と思いました。
 ぼくはAさんの言葉が失礼だ、Aさんは失礼な人だ、と思い込んでいたけれど、実は違うんじゃないか? 
 実は、Aさんを責める気持ちの裏に、「せっかくPRになるように紹介してやったのに」とか「ちゃんと紹介してやったんだから感謝しろよ」という気持ちがあったんだ、ということが、ストンと分かったんですね。
 本当は、自分がAさんに「良い紹介の仕方をしてくれてありがとう」と言ってほしかったり、お客さんたちから「皆木さんのMCは気配りができているね」とか言ってほしいだけ、評価されたいだけだったんです。
 そして、自分は謙遜のつもりで、Aさんがぼくに言ったことと同じことを、ずっと言ってきたことに気づいたんです。
 ハッとしました。


 自分の好きな人に、誕生祝いとしてあれこれ考えて選んだプレゼントを渡した時に、「いえ、自分はそういうのを頂けるような人間じゃないですから」とにべもなく断られたら、悲しくなります。それと同じなんだろうな、と思ったんです。
 ぼくは謙遜していたのではなく、「謙遜できる自分はスゴいでしょ?」アピールをしていただけだったんですね。


 今は、褒めていただいたり、喜んでいただいたり、評価していただいたりした時は、素直に「ありがとう」と言います。それは、いわば愛のこもった言葉の贈り物ですから、突き返すようなことはしたくありません。
 気持ちよく相手の言葉をいただきたいと思います。
 




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コメント
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