【Live Information】
ぼくの記憶の片隅にある光景。
ときおり思い出します。
開館間もない倉敷市民会館。
テレビ番組の公開録画でした。
よそいきの服を着て(着せられて?)、座っている小学生のぼく。
ステージの上で歌う女性歌手。
後ろの方の席だったので、やけに彼女が小さく見えたのを覚えています。
彼女こそが、ぼくが生まれて初めてナマで見た芸能人、ちあきなおみさんです。
そこで聴いた歌は、彼女の代表作でもある「喝采」でした。
その「喝采」が、ぼくが生まれて初めてナマで聴いた、プロの歌手が歌う歌なのです。
調べてみると、倉敷市民会館が完成したのは1972年。
開館してもう50年になるのか。。。
収録していたのは、珍名、とんでもない特技、稀有な身体的特徴などを持ったユニークな方々をクイズ形式で紹介する、「特ダネ登場!?」という番組でした。
回答者のなかに元プロ野球選手の金田正一さんがいらっしゃったなあ。
「喝采」は、ドラマティックなメロディはもちろん、その短編小説のような歌詞は、子どものぼくにも強く印象に残りました。
なかでも、「黒いふちどり」「喪服」という言葉は、深く理解できないまでも、テレビで見ることのできる歌手が歌っている歌には出てこない異質なもので、ある意味小学生なりの「カルチャーショック」のようなものを受けたんですね。
「黒いふちどり」が、いわゆる「訃報」を表すものだというのは、ぼくはこの時はじめて知ったのかもしれません。
そしてこれは、2番に出てくる「白いかべ」という言葉とのコントラストになっているようにも思えるのです。
「亡くなったかつての恋人を思いながら、今でも歌い続けている」という内容の歌詞は、ちあきさんの実体験をモデルにしたものだと言われています。
実は、作詞した吉田旺氏は「歌い手をテーマに歌詞を書く」ことをコンセプトにしてこの歌詞を書き上げたのですが、出来上がった内容はちあきさんの過去ととても似たものでした。驚いたことに、これはあくまでも偶然な出来事だったんだそうです。
ともかく、そのため「ちあきの体験を歌にした」という戦略のもとに曲のプロモーションが行なわれた、ということが本当のところなんですね。
ちなみに、歌詞に出てくる「亡くなった恋人」というのは、ちあきさんがデビュー以前から慕っていた若手俳優のことで、その方はぼくが住んでいる岡山県の西部に位置する鴨方町に住んでいたということです。
だから、ということもあるのでしょうが、「『喝采』に出てくる亡くなった恋人はちあきなおみの彼氏である」という噂は、ぼくもずっと以前に耳にしたことがあります。ただしぼくの聞いた噂では、その「彼氏」は「ちあきなおみの元マネージャーで、岡山県の邑久町出身」となっていましたけれど。
いずれにせよ、ぼくの出身地である岡山県が関係している曲、ということも、ぼくの記憶にしっかり残っている理由のひとつなのかもしれません。
「喝采」は、1972年の日本レコード大賞を受賞しました。
しかしこの曲が発表されたのは、その年の9月なのです。
この1972年には、「女のみち」(宮史郎とぴんからトリオ)というモンスター級のヒット曲(この年唯一のミリオンセラー)のほか、小柳ルミ子が「瀬戸の花嫁」の大ヒットを飛ばしています。
「喝采」は、リリースされたのがすでに9月だったため、いわゆる「賞レース」では他の曲に比べて大きく遅れをとっていました。事実、オリコンによるレコード売上枚数の集計(1971年12月6日付~1972年11月27日付)では、上位50曲にも入っていないのです。
しかしあまりに素晴らしい曲の出来栄えから、その年後半に驚異的な追い上げ(オリコン・チャートで11月第3週から12週連続2位)を見せ、「瀬戸の花嫁」が最有力候補だと言われていたレコード大賞を、大逆転で受賞したのです。
洋楽の香りがする歌謡曲です。
劇的に上昇下降するメロディーが実に印象的です。
歌詞に「教会」「喪服」という言葉が使われているから、というわけではありませんが、厳かな感じが伝わってきます。
歌詞もドラマですが、ちあきさんの歌もドラマです。
これが、「歌い手が伝える」「聴き手に伝わる」ということなのだと思います。
余計な所作が入っていないのにも関わらず最大限に伝わってくる、素晴らしい歌いっぷりだと思うのです。
ちなみにちあきさんは、録音するにあたり、誰にも姿を見られないように自分の周囲を黒いカーテンで囲み、そのうえ発声しやすくするために裸足となって歌ったといいます。
このあたり、スザンナ・ホフス(バングルス)が「胸いっぱいの愛」をレコーディングした時に、気持ちをより表現するため全裸となって歌った、というエピソードと通じるものがあるのかもしれません。
「喝采」は、21世紀になった今でも、多くの歌手に歌い継がれています。
この曲の歌い出しで、ちあきさんは左手の手のひらを客席に見せながらゆっくり上げていきます。
「喝采」ならではの有名な振り付けです。この曲を歌う人は、こぞって真似をしていたくらい有名なものです。
この振り付け、実はちあきさん自身のアイデアだということです。
ちあきさんの歌の世界は、たいへん素晴らしいものです。
ぼくは、美空ひばりさんと並ぶ素晴らしいシンガーだと思っています。
感情をそのまま放出するのではなく、感情を抑えているのにもかかわらず滲み出てしまったり、溢れ出てしまったりしているとでもいうようなエモーショナルな歌です。
いや、もしかするとそれすらも完璧にコントロールされているのかもしれません。
ちあきさんは、聴いているうちに情景が目に浮かんでくるような、あるいは自分の感情の色彩が変わってゆくような、そんな歌を歌ってくれる方ではないでしょうか。
そのちあきさんは、1992年に最愛の夫を亡くして以来、公の場には一切姿を現していません。
ぼくは、「喝采」の歌詞にある「それでも私は きょうも恋の歌 歌ってる」のように、どうかまたその素晴らしい歌声を聴かせてほしい、と思う反面、その潔い生き方に憧れのような敬意を抱いてもいるのです。
【歌 詞】
◆喝采
■歌
ちあきなおみ
■シングル・リリース
1972年9月10日
■プロデュース
東元晃
■作詞
吉田旺
■作曲
中村泰士
■編曲
高田弘
■チャート最高位
1972年週間シングル・チャート 2位(オリコン)
1972年年間シングル・チャート 66位(オリコン)
1973年年間シングル・チャート 4位(オリコン)
■売上枚数
約80万枚(オリコン集計)
■収録アルバム
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