△アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678~1741)
今日から数日は全国的にスッキリしない天気が続くようですが、4月も半ばを過ぎ、これからはまさに春爛漫といった風情を楽しむことができますね。
4月は新年度、新学期ということもあり、やはり気分が変わるものです。
ぼくは、中学1年の最初の音楽の授業で、ヴィヴァルディの『四季』より「春」を鑑賞しました。中学に進学したばかりの高揚感と、新しい教室にまだ馴染めずそわそわ落ち着かない気分と、春の陽気とが、この曲に重なり合って一種独特な雰囲気を醸し出していました。その雰囲気、よく覚えています。それ以降、今でも春の陽気を感じるとこの曲をすぐに連想するんです。
アントニオ・ヴィヴァルディは「水の都」として有名な、ヴェネツィアが生んだ最大の作曲家です。彼の作品は現在までに約650曲が発見されています。このうち554曲が器楽曲、40曲以上がオペラ、50曲以上が宗教的作品となっています。さらに、この他にも未発表の曲があると考えられています。相当な多作家だったんですね。
そして、器楽曲554のうち、454曲が各種の独奏楽器による協奏曲(コンチェルト)です。このことから、ヴィヴァルディは「協奏曲の王」とも呼ばれています。また、このうち弦楽器のために書かれた協奏曲が330曲もあるというのも、ヴァイオリンの名手だったヴィヴァルディらしい、と言えます。
「水の都」 ベネツィア
ハイドンやチャイコフスキーなども「四季」を題材にした音楽を作曲していますが、今ではやはりヴィヴァルディの作品が一番有名でしょう。
ヴィヴァルディの『四季』は、1720年頃に作曲された全12曲からなる『協奏曲集作品8「和声と創意への試み」』の第1曲から第4曲までをひとまとめにしたものです。これは、ヴィヴァルディが教えていた学校「オスペダレ・デラ・ピエタ」のオーケストラの定期演奏会用に作曲されたものだそうです。
「春」はCMなどで耳にすることも多いし、「冬」はハイ・ファイ・セットが日本語詞を付けて歌っていたりして、この両曲はとくに馴染みがあります。ぼくが好きなのも、「春」と「冬」です。
■協奏曲集『四季』より「春」
[Le Quattro Stagioni ~ "La Primavera"]
■アントニオ・ヴィヴァルディ
■1720年頃
4曲とも3つの楽章からなり、独奏ヴァイオリンと弦楽オーケストラのために書かれています。この4つの協奏曲には、それぞれ春、夏、秋、冬の情景をうたったソネット(短詩)が添えられていて、その詩の内容が音楽で描写されています。詩の作者は不明ですが、おそらくヴィヴァルディ自身ではないかと言われています。
「春」のソネットの大意です。
■第1楽章「春が来た。小鳥たちは楽しそうに歌い、泉も優しく囁きながら流れ出す。そのとき天はにわかに曇り、雷鳴と稲妻が襲ってくる。やがて嵐は去り、再び小鳥たちの楽しい歌が始まる。」
■第2楽章「花の咲き乱れる牧場。羊飼いは番犬に見張りを命じ、暖かい春の陽射しを浴びて、安らかなまどろみに入る。のどかな風景だ。」
■第3楽章「そこへニンフ(水の精)が現れ、明るい陽光のもとで、羊飼いの吹く笛に合わせて、羊飼いたちとともに春を称えながら踊る」
クラシックにあまり詳しいとは言えないぼくでさえ、聴いているうちに、まるで絵でも見ているかのようにありありと情景が浮かんできます。
冒頭の「春が来た」というところはいかにも春を思わせるような明るい躍動的なメロディーですね。続く「小鳥たちは・・・」のところでは、華麗なヴァイオリンが穏やかにソロをとっています。「天はにわかにかき曇り・・・」の部分は、トゥッティ(総奏)によって見事に嵐の様子を描いています。
ソネットを読みながらこの曲を聴くと、よりいっそう容易に場面を思い描くことができます。みずみずしい春の明るさ、暖かさに満ち溢れた曲だと言えるでしょう。
イ・ムジチ合奏団
協奏曲集 『四季』 (Le Quattro Stagioni)
ヴィヴァルディの生涯に関しては不明な点が多いそうです。
ヴィヴァルディの父もヴァイオリニストでした。父から手ほどきを受けたヴィヴァルディのヴァイオリンの腕前は、名手と言われるほどのものだったそうです。
1693年、彼は15歳で修道院に入りました。1703年には司祭に昇進しましたが、持病(一種の喘息と言われる)のためミサを挙げることを許されませんでした。そのかわり、孤児救済の音楽学校で生徒の教育にあたるという仕事を任されることになりました。
ヴィヴァルディが教えていたのは、生徒全員が孤児の女子ばかりの、「オスペダレ・デラ・ピエタ」という学校で、彼が一生のうちに作曲したおびただしい数の協奏曲の大部分は、このピエタのオーケストラのために書かれた、と言われています。
晩年のヴィヴァルディはオーストリアのウィーンに出ていますが、理由も経緯も明らかになっていませんし、不遇のうちに過ごしたようです。偉大な作曲家の晩年にはいったい何があったのでしょうか。
1741年7月、ヴィヴァルディは、ウィーンのある革細工師の家で息を引き取りました。その遺体は、7月28日にウィーンの共同墓地に葬られたことが分かっています。
かつて日本ではブームと言ってよいほど『四季』のレコードが発売されていました。今でも、約40種類のCDが発売中だそうです。
曲の構成やメロディーが、四季の移り変わりを生活の中で実感するわれわれ日本人の感性にぴったり合っているのでしょうね。
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とっても好きになって、市民会館での
弦楽四重奏だったと思うんだけど、演奏を聴きに行った事も・・
そして、レコード(古)も買って
今でも持ってます~~
ヴィバルディの事も、「モーツアルト」の本か
ガイドブックでつい最近見て、興味を持ってたので
MINAGIさんの記事に、感謝です
ぼくも、自由に使えるお金の額が増えてからCD買いました。時々クラシックが聴きたくなるんですよね。
今年はモーツァルトの生誕250年でいろんな催しがあるようだから、なんらかの形でクラシックに接する機会も増えるでしょうね。
少しでも喜んでもらえて嬉しいです。
最近は縁遠くなってしまいましたが
学生時代、吹奏楽部に所属していた頃はさまざまな曲を演奏しました。
なかでも、特に好きだった曲は『G線上のアリア』
ARIAの名前もここからいただいています
水の都ヴェネチア
ARIAの1番行ってみたい国です。
よく、写真や映像で見かける川にかかるアーチ型の橋、その橋は『ため息の橋』といいます。
MINAGIさんはその名前の由来をご存知ですか?
古き時代、囚人たちはゴンドラに乗せられあの橋の下を通り刑務所に連れられて行ったといいます。
2度と戻ることはない片道切符の旅。
その橋の下を通る時、囚人たちは自分の犯した罪を嘆きため息をこぼす。
『ため息の橋』とはそこからつけられた名前とのことです。
今、橋の向こうに何があるのかは知りませんが、ゴンドラに乗りあの橋の下をARIAも通ってみたいと思います。
その時、どんな想いが心によぎるのでしょうね。
覚えやすいメロデイで、やっぱり学校の昼休みのイメージが強いかな^^;
晩年になにがあったのでしょうか・・。気になるところです
それから、実は高校時代はぼくも吹奏楽部でした。(^^)
>『ため息の橋』
はじめて知りました、この話。
自分の罪を後悔する、ということは悪に染まり切ってはいなかったのでしょうか。罪を犯さざるを得ない状況だった自分の身を嘆いたのでしょうか。あるいは思わず後悔するほど長く重い刑が待っているのでしょうか。
いろいろ想像すると、囚人の気持ちが垣間見えるようです。
実際に橋の下を通るともっと重みを感じるかな?
>晩年
偉大な作曲家であり聖職者でもあるヴィヴァルディの最後にしては寂しいですよね。
それにしても、いつもながら解説が見事ですね。
ベネツィアの風景に、ため息橋のお話、頭の中に四季、春のメロディが・・。
なんだか、素晴らしいガイドさんに案内して頂いて旅している気分です。
それにしてもCDをよく聴いてらっしゃるんですね。
私はピアノとフルートをやってますが、クラシック専門です。
このコーナーにやっとクラシックが登場したので、思い切って書き込みさせていただきました。
「アベニュー」で一度MINAGIさんの演奏を聴かせていただいたことがあるのではないかと思います。
これからも楽しみに読ませていただきます。
まさにそのもの、って感じですよね。聴いてるだけで暖かみを感じるくらい。
>解説
ありがとうございます(^^) 。もう思うがままに書き散らしていて恥ずかしいのですが・・・。
(;^ω^)
ため息の橋の話は、ARIAさんのおかげで知ることができました。Thanx!
ちゃんとガイドができていますでしょうか。でも喜んで頂けると嬉しいです。♡
CDはですね、聴くだけは※十年ぶん聴いてますので・・・(^ω^;)
クラシックにも好きな曲はたくさんあるのですが、あまり深い知識がないので、今までは記事にするのにちょっと腰が引けてたんです。でも、これを機会に好きなクラシックの曲も取り上げてみようかな、と思います。
いつでも気軽にコメントして下さいね。