灯され続けた法燈
令和元年6月5日
昨日、三校目の『ぼくの細道
芭蕉の古径』を受け取る。
この三校で、校了としたい。
何とか2週間ぐらい集中して…
と、本日より開始。
今朝は、川崎宿。影向寺!
ツツジが見事!
多摩川の広大な沖積低地を望む
宮前区野川東耕地の高台にある、
威徳山影向寺(ようごうじ)。
珍しい名前だ。
当寺は、国指定重要文化財・木造薬師
如来両脇侍像や神奈川県指定重要文化財・
薬師堂などの豊かな文化財を伝える
古刹である。
宝永7年(1710)撰述の
『影向寺仮名縁起』によると、
奈良時代の天平12年(740)に、
聖武天皇の命を受けた僧行基
によって開創されたと伝えられ
ている。
ところが、近年の発掘調査の
結果、奈良時代と推定される
大型の掘立柱建物跡・瓦塔片・
塔の基壇などが確認され、
さらに出土した古瓦の様式から
創建の年代は白鳳時代末期
(7世紀末)にまで遡ることが
確実になる。
また、薬師堂解体修理に伴う基壇部の
発掘調査では、創建当時の堂宇が
現在の薬師堂とほぼ同じ位置に
建てられていたことも判明。
そして、金堂(本堂)の基壇は
創建以降、版(はん)築(ちく)工法による
掘り込み基壇が8世紀中頃から後半に
構築され、15世紀前後頃に行われ
た改修を経て、現在の薬師堂と
同一の基壇が江戸時代の元禄7年
(1694)に築かれるまでに、
少なくとも4回にわたって変遷
していた事実も解明されている。
影向寺の性格や景観は時代とともに
変遷しても、白鳳時代にともされた
法燈は、千三百年もの長い歳月を
経た今日に至るまで、絶えること
なく連綿と伝えられてきた。