貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

子規と三世桃隣

2019-06-04 09:23:40 | 日記

子規と三世桃隣

令和元年6月4日

 

 正岡子規の句碑。

 句は、

「朝霧の 雫するなり 

     大師堂」

 明治の俳聖・正岡子規(1867~1902)は

明治27年(1894)11月3日に

川崎大師を参詣、俳句を詠む。

 当山では平成26年の大開帳奉修を

記念し、子規直筆の句集『寒山落木』

より、当山に縁のあるこの句を建碑し、

永く子規の足跡を記す。

 そして、

「人ハ皆 去って声あり 

     花尓鳥」


 この碑は、三世桃隣を慕う門人達

によって建碑される。

 因に一世桃隣は、芭蕉の弟子で、

元禄7年(1684)5月8日、

郷里伊賀に向けて江戸を旅立つ芭蕉を

川崎宿に見送る。

 その時芭蕉は、

「麦の穂を たよりにつかむ

    別れかな」

と詠んで、人々に別れを告げる。

 元禄7年、芭蕉は難波で、

「旅に病んで 夢は枯野を

     かけ廻る」

と辞世の句を残して没する。

 すると、深川芭蕉庵の古池の傍に

あった柳の大木が枯れてしまう。

 弟子たちは師を慕って、その木で

翁の座像を造り、一世桃隣、

二世桃隣、三世桃隣と伝えてきた

という。

 俳聖の凄さは、ここにも!!