さ流の面ン
令和元年6月20日
さて、丈水さん。
『厚木市史』や『あつぎ子ども風土記』
によれば、丈水は猿ケ島村の名主で、
本名は大塚六左衛門武嘉。
相模国から武蔵国にかけ、数百人の
門人を抱えていた。
小林一茶とも交流があったという。
芭蕉の句は、
「年々や 猿耳きせた類
さ流の面ン」 。
正月の芸能のひとつ、猿回しで
猿が猿のお面を着けている様子を
見て、
「年が明けても人間そのものは
変わらない」
という意。
建立の時、この句を発句として
『猿墳集』が編まれたという。
これが、「申塚」である。
昔から洪水に悩まされてきた
猿ケ島。
苦難の歴史の中でも、そこには
丈水による文化の香りが息づく処
でもある。