何と南都、南都は?????
令和3年6月13日(日)
初雪や
いつ大仏の
柱立
大仏殿の柱立てはいつのことになるか。
初雪が大仏の上にも降り積もっている、
の意。
元禄二年作
南都は、奈良のこと。
大仏殿造営の・・・・東大寺の大仏殿は
元禄十年(1567)に兵火のため、焼亡。
元禄三年に仏頭が作られたものの、
柱立ては同十年、
大仏殿の落慶は、宝永六年(1709)であった。
柱立て・・・新築に際して、中心の柱を
最初に立てる儀式。
前書き「南都にまかりしに、
大仏殿造栄のはるけきことを
おもひて」。
造栄は、造営のこと。
意図的に栄えると置き換えたか。
元禄三年の後半と見られ、
「笈日記」も同形ながら
「大仏栄転をよろこびて」と句意を
誤った前書きを編者支考が付している。
◎ 奈良に行ったところ、
大仏殿の復旧工事が進まずにいるのを見て、
残念がっている句である。
冬、露座の大仏は、寒そうにして
おられる。
いつまでもこのまま放っておくのも
恐れ多い。
元禄二年(1689)、芭蕉が詣でた時は、
永禄10年(1567)の兵火で、
大仏の首が落ちて惨憺たる様子であった。
しかし、翌元禄三年には、頭が造られ、
元禄5年には、開眼供養が行われた。
ところで、大仏殿の柱立ては元禄十年で、
落慶した宝永六年(1709)と、
芭蕉の死後になされた。
それを予想させるような
「いつ大仏の柱立て」
であった。
露座の大仏に、雪降る様子は、
深く仏に帰依していた芭蕉にとっては、
耐えられない哀しみであったろう。