人恋の境地
令和3年6月6日(日)
月雪と
のさばりけらし
としの昏(くれ)
今日は、一年の中頃、初夏。
今日から雪月花の、雪の俳句に。
時節が合わないが、乞うご勘弁の程。
この句は、
年の暮れを迎え、思えばこの一年、
月だ雪だと思いのままに暮らしたなあ、
の意。
貞享三年(1686)の作。
「のさばる」は、勝手気ままな振る舞い。
「けらし」・・・「けるらし」と同様、
あることに思い至ってしみじみ詠嘆する
表現。
「のさばりけらし」の表現が印象的。
此処に一種の反省や自嘲を読み取る
ことも可能ながら、
それが風雅に活きる自負の裏返し
であることに間違いない。
◎ 俳句の対象として、
ひたすら雪月花を追って一年が
過ぎてしまったが、
ふと気がつくと、世間では暮れだ、
正月だと騒いでいる。
自分が俳人として、雪月花にだけ、
興味を持つのは、何だか寂しい。
世の中に置いて行かれる寂しさ、
世の人と交際しない寂しさ、
つまり、雪月花が「のさばって」いる
我が人生なのであった。
芭蕉の境地は、よく分かる。
それは言ってみれば、
「人恋の境地」
である。