令和4年8月2日(火)
第18番 小松島市: 恩 山 寺
駐車場より山道を登ること5分。
山門前に弘法大師尊像のでっかさに
吃驚!
その素晴らしさに圧倒される。
聖武天皇の勅願により、
聖武天皇の勅願により、
行基菩薩が厄除けのために薬師如来を刻み、
本尊として開基。
大日山福生院密厳寺と号し、
災厄悪疫を救人禁制の道場であった。
延暦年間(782~806)に、
弘法大師がこの寺に留まった時、
讃岐から母君の玉依御前が訪ねて来た。 だが、寺は女人禁制。
「花折り坂」から上には、女性は立ち入る
ことが出来なかった。
大師は仁王門の辺りで十七日の秘法を修して
女人解禁の祈念を成就し、
母君を寺に招き入れて孝養した。
やがて、母君は剃髪して、
やがて、母君は剃髪して、
その髪を納められたので、
寺号を母養山恩山寺と改めた。
この時大師が修行したのが、
寺号を母養山恩山寺と改めた。
この時大師が修行したのが、
赤い欄干のかかる橋の下であり、
そのことを記念して、その後弘仁五年(814)、
大師41歳の時、自像を刻まれ大殿に安置され、
「我が願いは、末世薄福の衆生の難厄
大師41歳の時、自像を刻まれ大殿に安置され、
「我が願いは、末世薄福の衆生の難厄
を除かん」
と誓われた。
と誓われた。