令和4年8月27日(土)
郡山市日和田町: 安積山公園
野球場があり、丁度試合開始!
ちょっと観戦。
皆さん高校などで本格的にやって
皆さん高校などで本格的にやって
いたようで、見応えがある。
0対0のまま3回ぐらいまで
0対0のまま3回ぐらいまで
観ていたが、お腹もすいてきたので、
頂上付近で昼食とする。
その後、芭蕉の小径を下る。
花かつみの表示を見つける。
花かつみは、芭蕉と曾良が、
郡山に着いた時、必死にこの花を
探し求める。
しかし、土地の人も分からず
残念無念の日々をおくったという花。
花かつみという花は、
花かつみという花は、
ヒメシャガのこと。
芭蕉達がこの花を探した動機は、
『古今和歌集』にある。
「みちのくの
あさかのぬまの
花かつみ
かつみる人に
恋ひやわたらん」
という歌が起因。
という歌が起因。
歌の意味は、
「みちのくの安積の沼の花かつみの名の、
かつみというように、
かつがつに不満足ながら、
ともかくも、ちょっと逢ったばかりの人
なのに、恋しく思って、
永く月日を暮らすことであろうか。」
この歌により、
この歌により、
「花かつみ」は陸奥国の安積の沼の名物となる。
多くの歌にも詠まれるようになったと
いう経緯。
『奥の細道』には、
「等窮が宅を出て五里斗、
『奥の細道』には、
「等窮が宅を出て五里斗、
檜皮(ひはだ)の宿を離れてあさか山有。
路より近し。
此あたり 沼多し。
かつみ刈比もやゝ近うなれば、
いづれの草を花かつみとは云ぞと、
人々に尋侍れども更知人なし。
沼を尋、人にとひ、
かつみかつみと尋ねありきて、
日は山の端に かゝりぬ。」
と記されている。
と記されている。
どうも花かつみには、
古より諸説があり、
幻の花とされていたようだ。
そして、明治9年6月17日、
明治天皇の東北巡幸の折、
日和田の安積山の麓、
横森新田のご休息所で、
花かつみを
「菖蒲に似て最(いと)些小(ちいさ)き花」
なるヒメシャガを花かつみとして
天覧に供する。
以降、
「ヒメシャガ」が「花かつみ」とされ、
昭和49年、郡山市の花に制定される