令和4年8月12日(金) 十念寺にて ~続き
三つ目に、東京オリンピックで
マラソン第3位となった円谷幸吉の墓に
ついて説明されている。
青梅マラソンは、
円谷選手と青梅陸連の方が初めて走った事
を記念にして誕生した市民マラソン。
私も十五年ぐらい走ったので、
親近感も覚え、その偉業を讃え、
お墓の前で記念写真をとる。
芭蕉は、須賀川では、旧知の等躬を
訪ねている。
等躬から、
等躬から、
「白河の関ではどんな句ができましたか」
と問われた芭蕉は、
疲労と風景の優美さと懐旧の念で
頭が一杯になり、全然あきませんでした
と答える。
と言って、
まったく一句もなしに越えるというのも
心残りとして、
前記「風流の~」の句を披露したそうだ。
等躬の句は、
あの辺は
等躬の句は、
あの辺は
つく羽山哉
炭けふり
相良等躬の墓もお参りした。
新たに、平和を祈念するものなのか、
経堂みたいなものが目を引いた。
市原多代女の辞世句は、
「終に行く
道はいづくぞ
花の雲」 。
「道なかば
終もみえずや
けふもいそしむ」
貢人
が今の自分。