やがて悲しき!魚絶ち
令和2年4月24日(金)
句歌碑群の中で、目立つのは、
河東碧梧桐の句碑。
「闇中に
山ぞ聳(そばだ)つ
鵜川哉」。
河東碧梧桐は、正岡子規門下の
俊秀で、岐阜を度々訪れている。
明治35年5月刊行の俳句選集
「春夏秋冬」の夏の部に収められ
ている俳句。
そして、若かりし日の川端康成と
初恋の人伊藤初代の「篝火の像」。
二人並んで、長良川に向かい、
鵜飼船の篝火を眺めている情景を
表している。
川端康成が学生の頃、東京本郷で
知り合ったカフェの女給さんと
恋仲になり、彼女が身を寄せた
岐阜の知人宅を訪ねる。
その時、二人は、岐阜駅から長良川
まで歩き、長良河畔を散歩。
その時の様子は、康成の小説
『篝火』に詳しい。
それを記念した学碑。
その数年後に、二人の像を創建。
文学碑の横には松尾芭蕉の
「おもしろうて
やがてかなしき
鵜飼哉」 。
の句碑が建つ。
刻印も薄くなりつつ…。
松の枝が見事な文様となって
いる。
華やかな鵜飼も鵜舟が去ると
深い闇の世界になる。
その静寂の中に芭蕉は鵜の哀れ、
生きるため魚を獲らねばならない
人間の宿命を感じたのでしょうか。
以後、芭蕉は魚類を一切食べな
かったという。
魚断ちも鋭し!