貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

三島市: 蓮馨寺 日限地蔵の永代供養碑と芭蕉翁の墓と句!

2023-07-21 10:07:30 | 日記
令和5年7月21日(金)
三島市: 蓮馨(れんけい)寺         
 この地は君澤郡蓮沼で、
蓮の花の香る寺という意味から
蓮(れん)馨(けい)寺と、
山号は君澤山と名付けられる。
<山門>

 開山は
明蓮社星誉上人(三島誌による)
とある。
 創立年代は、
寺の記録によると、
正応2年(1298)とあり、
鎌倉幕府の蒙古襲来二回目の
弘安の役直後の年代と考えられる。
<本殿>

 蓮馨寺は,
伊豆八十八ヶ所の霊場の札所。
「弘法大師像」を安置した
真言宗の寺として創立。
 後、浄土宗に改宗される。 
 昔から多くの方々の信仰の対象に
なっている「日限地蔵尊」は、
日を限って願い事をすると
ご利益があることから有名。 
<日限地蔵の話>
   
 また、
奈良時代の法隆寺より
七転の守本尊として御分身、
三島市内外の職方の信仰を集め、
「太子講」として弟子に代々
受け継がれている。
<日限地蔵の永代供養碑と芭蕉翁の墓碑>

 近代俳諧の祖
「松尾芭蕉の墓」がある。
<芭蕉老翁の墓と芭蕉句の碑>

 石碑には、
「いざともに 
  穂麦くらわん 
      草枕」
の句と
「嵐雪三世六花庵乙児門生陶官鼠建立」
安政7年(1778)10月12日
が刻まれている。
 芭蕉が東海道を往来した時は
蓮馨寺に立ち寄り、
住職や近隣の文化人と談義に
花を咲かせたと思われる。
 芭蕉の死去に際し
徳を偲び遺髪を拝受。
 俳諧発展のため墓石を建立し、
翁の冥福を祈り続ける。
 10月12日には
俳人相集い翁の法要と句会を開催。

 今日に至っている。



三島市富士見平「富士を見ぬ日そ 面白き!」

2023-07-20 10:22:00 | 日記
令和5年7月20日(木)
三島市: 富士見平                    
 富士見平ドライブインの駐車場。

 そこの道路沿いに、
松尾芭蕉のどでかい句碑がある。

 詠まれたのは、
貞享元年(1684)の8月。 
 『野ざらし紀行
〈甲(かつ)子(し)吟行』
における箱根越えの時。
 この『野ざらし紀行』は、
芭蕉が41歳にして
最初の文学の旅。
 句の詞(ことば)書(がき)には、
「関越ゆる日は
  雨降りて山みな
    雲にかくれたり」 
とあり。 
 この日の箱根は
雨で視界が悪かったようだ。
<芭蕉句碑>

 句は、
「霧しくれ 
  富士を見ぬ日そ 
     面白き」
 季語は「霧」で秋。
 旧暦の8月は現在の9月後半に
あたり、ちょうど秋雨前線が
活発な時期。
 霧時雨で見えない富士を
心の中に見立て、
「面白き」と興ずるところに
芭蕉俳諧の真髄が窺える。
                     
 前回訪れてから
3年という月日が流れているが、
句碑の文字が少し薄れている。

 箱根の厳しい環境も覗える。


三島市: 土の城山中城趾散策と絶景の富士!

2023-07-19 11:01:40 | 日記
令和5年7月19日(水)
三島市: 山中城趾散策と富士の山    
 山中城は、
永禄年間(1560年代)
小田原城を守る城として、
後北条氏により創築される。
      
 天正18年(1590)、
天下統一を目指す豊臣秀吉の
大軍の前に、わずか半日で落城した
といわれる悲劇の城である。

 400年前の遺構が
そのまま復元されている石を
使わない土だけの山城は、
全国的にも非常に珍しいもの。
 昭和56年、
三島市制40周年に合わせて
史跡公園として一般開放。
 以来憩いの場として、
多くの人に親しまれている。
また、平成18年、
春から晩秋にかけていろいろな花木、
歴史的な面、技術的な面で評価され、
「日本百名城」にも選定されている。
<絶景の富士山>

 特に、富士山・駿河湾を始め、
雄大な自然を一望!

 季節には、ツツジ・アジサイ・
スイレンが楽しめる。
~つづく。


足柄下郡箱根町東光庵薬師堂跡その2 命の限り蝉時雨!

2023-07-18 11:04:36 | 日記
令和5年7月18日(火)
中曽根康弘氏の句は、
「くれてなお 
   命の限り
     蝉しぐれ」
<中曽根康弘元首相の句碑>
<その説明>

 居然は、
伊勢原出身の俳人で、
鴫立庵門下生。
 本名は、三箸尊明。
 「居然湯けむりの碑」。
 その句は、     
「月雪や 
   花保とゝ岐す
      温泉の煙」
<居然句碑説明>

 四方山人。
 江戸の幕臣で大田南畝。
 長崎奉行所に出役の際、
箱根に立ち寄る。
 狂歌師。狂歌碑がある。
<四方山人(蜀山人)狂歌碑>

「てる月の    
   鏡をぬいて    
      樽まくら   
  雪もこんこん  
    花もさけさけ」
、その説明>

 祖友は、上総(千葉)出身。
 芦の湯で療養中、
23歳の若さで病没。
 追悼を込めて建立。
<祖友句碑>
<その説明>

 句は、
「逗留と         
  定めて旅の 
    月夜かな」
 お地蔵さんも当時流行。
<太楽士地蔵>
<数珠観音地蔵>

 充足の表情!



箱根町: 東光庵薬師堂跡 芭蕉花の上句碑!

2023-07-17 10:38:30 | 日記
令和5年7月17日(月)
足柄下郡箱根町: 東光庵薬師堂跡   
 荒廃した小径に入り、
廃屋の傍の荒れ地に駐車。
<急な階段>

 急階段を上がると、
復元された東光庵と
広大な庭が
ちょっとした別天地。
<再建された東光庵>

 「へええ!」
感嘆の声が洩れる。
 東光庵は
明治15年に朽ち果て取り壊される。 
 その後、
箱根町の指定史跡となり、
約120年ぶり、
平成13年に再建される。

 芦之湯は、
文化・文政期(1804から1830年)の頃、
箱根七湯の中で
もっとも標高が高い。
 江戸から最も遠い場所にありながら、
硫黄泉のもつ独特の温泉効用と
夏の涼しさが江戸時代の人々に
大変人気を呼び、
大いに賑わった処。
<東光庵熊野権現旧跡説明>
     
 熊野権現の境内に建てられた
東光庵薬師堂に集まり、
<薬師堂>

清水浜臣や賀茂真淵、
山本北山など多くの文人や墨客が
湯治の傍ら、碁や将棋に興じ、
句会や茶会などの風流を楽しんだ。
<熊野神社>

 句歌碑や石仏が
境内の山側に整備され、
一つひとつ明確な説明もあり、
至極有難い。  
<色々な碑の句歌碑>

 芭蕉句碑は、
鴫立庵の庵主遠藤薙啄寄贈。
<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「しばらくは 
  花のうへなる 
    月夜哉」。 
<芭蕉句碑説明>
              
 驚いたのは、
東光庵の庵主が、
元首相の「中曽根 康弘」さん。
 我が青梅の近くの日の出にも
山荘を持っておられお見かけした人、
文人、俳人でもあるということだ。
~つづく。