貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

富士交流プラザ隣 平垣公園芭蕉句「一尾根はしぐ雲か?」

2023-07-26 10:44:17 | 日記
令和5年7月26日(水)
 富士交流プラザ隣 平垣公園
 交流プラザの周囲の道路も
探索。
<道路沿いにある平垣公園>

 平垣公園入口が道路沿いに
見つかる。
<平垣公園の遊具>

 すぐ芭蕉句碑も発見。
<芭蕉句碑>

 迷い人の心境。

 芭蕉の句は、
「ひと尾根は
   しくるゝ雲か 
    不二の雪」
 「雪におおわれて天空に
聳える富士山。
  その一つの尾根に
低く雲がかかって いるが、
あれは時雨を降らしている 
のか」
の意。


富士市: 富士交流プラザ「富士川の捨て子」性を嘆けを嘆けとは!

2023-07-25 10:21:48 | 日記
令和5年7月25日(火)
富士市: 富士交流プラザ          
 道の駅「富士川楽座」の夕方と
朝の富士山に魅了され、
<富士川楽座より富士山を仰ぐ>

元気よく出発!
 富士交流プラザは二度目の訪問。
<富士川俳文二基並碑>
<野ざらし紀行文碑>

 芭蕉の『野ざらし紀行』の
「富士川の捨子」
は、印象深い。
<野ざらし紀行「富士川の捨て子」篇碑>

「富士川のほとりを行に、
三つ計なる捨子の、
哀氣に泣有。
 この川の早瀬にかけて
うき世の波をしのぐにたえず。
 露計の命待まと、
捨置けむ、小
萩がもとの秋の風、
こよひやちるらん、
あすやしほれんと、
袂より喰物なげてとをるに、
「猿を聞
  人 捨子に秋の  
    風いかに」
 いかにぞや、
汝ちゝに悪まれたる欤、
母にうとまれたるか。 
 ちゝは汝を悪にあらじ、
母は汝をうとむにあらじ。
 唯これ天にして、
汝が性のつたなき(を)
なけ。」
と、全文彫られている。



沼津市: 浄 因 寺 屋上の平らな本殿 弔意を表す芭蕉の句!

2023-07-24 09:33:31 | 日記
令和5年7月24日(月)
沼津市: 浄 因 寺              
 伝えによれば、
聖武天皇、神亀元年(724)
行基菩薩により建立されたという。
<山門>

 1700年代と、
1850年頃の2度にわたる
火災のため、
草葺き屋根の庫裡と
土蔵造りの羅漢堂、山門を残し、
全ての堂宇を消失。
 焼け残った庫裡を改造し、
仮の本堂として粗末な建物の
ままだったのを、
昭和41年に新築。
<本殿>

 境内を手入れされていた
80代の男性の方が、
「この本殿は、鉄筋コンクリート造り。
しかし、屋根の部分の資金がなく、
平らな屋上となる。
 毎年、雨漏りがひどく大変だったが、
といを付け、補修してやっと
雨漏りはなくなる。
 句碑が多いのは、
ある住職が物好きな方で、
退職金を使って句碑を建てる。」
と説明してくださる。

 芭蕉の句は、
大顛和尚の訃報を道中で知り、
白梅に譬え、
弔意を句に託す。 
<芭蕉句碑>

「梅こひて 
  卯の花おかむ            
    なみだ哉」
 蕉門十哲の第一の俳人、
榎本其角、
後の宝井其角の句碑もあり。
<其角の句碑>

「三日月の 
  命あやなし
     闇の梅」 
<大顛和尚句碑>
   
 大顛和尚句碑の句は、
「礼者門を 
   敲くしだらく 
    花明らか也」
 大顛和尚は、
円覚寺代163世で高徳の和尚。    
 其角参禅の師でもある。 


沼津市: 日枝神社「神々が出雲へ」も詠む!

2023-07-23 10:03:17 | 日記
令和5年7月23日(日)
沼津市: 日枝神社                
 平安時代からの神社で
山王社とも称され、
「山王さん」として親しまれる。
<山王さん鳥居>

<社殿>

 神社には国の重要文化財に
指定されている
「紙本着色山王霊験記」1巻がある。
 奥書の冒頭の
「弘安11年初春」
という文字から、
鎌倉時代に制作されたもの。
 作者は不明だが
日枝神社の縁起を物語っている。

 芭蕉の俳文碑は、
芭蕉来沼300年を記念して
設置される。
 「芭蕉もこの日枝神社の神前に
旅の安全平安を祈ったであろう」
ということから、
この地に建てられることになった
という。
<芭蕉俳文碑と説明>

 芭蕉真蹟を拡大して
句碑としたもので、
詞書と句が刻まれる。
 詞書には、
「長月の末都を立て、
初冬のみそ かちかきほど、
沼津に至る。
 旅館 のあるじ所望によりて、
風流捨がた く筆を走らす」
とある。
 元禄4年(1691)の初冬、
すなわち十月の晦日近くに
ここ沼津宿の旅館で詠んだもの。
<芭蕉俳文碑>

 句は、
「都いでゝ 
  神も旅寝の 
   日数(ひかず)哉」 
 芭蕉は、
9月28日粟津無明庵を出て、
10月29日江戸着。
 神々の出雲への旅と、
はからずも時を同じくしたの
に興じた句。


三島市: 三嶋(三島)大社 芭蕉「しどけなき道芝にやすらひて」

2023-07-22 10:24:04 | 日記
令和5年7月22日(土)
三島市: 三嶋(三島)大社          
 三島大社総門より詣る。
<総門(外構えの門)>

 二度目の参拝。
 この総門は、
竣工中に伊豆地震に見舞われ、
昭和6年に竣功。
 旧総門は、一部改修し、
芸能殿として保存される。

 ご祭神は、
大山祇(おおやまつみ)命と
積(つみ)羽(は)八重事(こと)代(しろ)
主神(ぬしのかみ)の御二柱の神を
総じて三嶋大明神と称する。           
 創建の時期は不明。
<社殿>

 古くより三島の地に鎮座し、
奈良・平安時代の古書にも
記録が残っている。
 三嶋神は東海随一の神格。

 平安時代中期「延喜の制」では、
「名神大」に列格され、
社名・神名の「三嶋」は、
地名ともなる。
 中世以降、武士の崇敬、
殊に伊豆に流された源頼朝は
深く崇敬し、源氏再興を祈願。
 神助を得てこれが成功するや、
社領神宝を寄せ益々崇敬され、
その神宝の中でも、頼朝の妻、
北条政子の奉納と伝えられる 
国宝「梅蒔絵手箱及び内容品一具」
は、当時の最高技術を結集させた
ものとして知られている。
<天然記念物のキンモクセイ>

 頼朝旗揚げ成功以来、
武門武将の崇敬篤く、
又、東海道に面し、
伊豆地方の玄関口として
下田街道の起点に位置し、
伊豆国一宮として
三嶋大明神の称は広く天下に広まる。
 境内ガイドを参照し、
道一つ離れてある伊豆魂神社へ。
<伊豆魂神社入り口>
<伊豆魂神社社殿>

 芭蕉句碑は社殿右に。
<芭蕉句碑と説明>
<芭蕉句碑>

 句は、
「どむみりと 
  あふちゃ雨の 
     花曇」 。  
 元禄7年。
 『芭蕉翁行状記』には、
「しどけなき道芝にやすらひて」
と前書きし、
終の旅の箱根の関と
島田との間に出す。

 意は、
「疲れ切ってしどけなく道芝に
足を投げ出して空を見上げると、
樗(おうち)の花が
薄紫色に咲いている。
 空はどんよりと
雨雲が垂れ込めている。」