☆・・・いや、映画としては非常に面白い。
傑作と言えよう。
しかし、『タイタニック』コンビ(レオナルド・ディカプリオ ケイト・ウィンスレット)による、「その後の『タイタニック』」を期待し、デートで出かけた日にゃあ、暗雲垂れ込める二人の未来となるやも知れぬ。
私は、予告編を見た限りにおいて、どうしても物語の方向性が見えなくて、面白いとも思えず、誰も誘わないで一人で観たのだ。
正解であった。
原題にはない、「震えるぞハート! 燃え尽きるまでヒート!(byジョジョ)」みたいな副題をつけているが、こんなに作品の内容をミスリードする副題はない。
そんな熱血ロマンスではないのである。
配給会社のやっていることは、まさしく「詐欺」である^^;
「タイタニック」のヒーロー、ヒロインのような美しい夫婦が、それ故に、庶民としての生活に疑問を持ち、夫婦の倦怠期の時期でもあり、試行錯誤するも崩壊する様が描かれる。
なまじっか、美しい二人であるが故に、どうにかして飛躍しようとして、太陽を目指したイカロスの如く、墜落していく話だ。
『タイタニック』的なものを期待したお客さんも太陽に焼かれ、『劇画・オバQ』を読んだ時のような後味の悪さを感じさせられる。
私は、この作品を、アメリカ版『死の棘』として楽しんで観た。
*『死の棘』…島尾敏雄の私小説
夫婦間の極限の愛を描いた作品
小栗康平監督で映画化/1990年 カンヌ国際映画祭 審査員特別賞
私(ミッドナイト・蘭)の卒業論文のテーマとした作品
◇
作品自体の完成度は高く、登場する人物全てが、個性豊かで、いい演技をし、私を惹きつけた。
本日も仕事を終えた後でのレイトショーだったので、眠かったのだが、途中から目が離せなくなった。
ディカプリオとケイト・ウィンスレットの、今や実力派としての演技力が、私を夢中にさせたのだ。
◇
夫婦の異常性は、とある精神病院帰りの男によって裏打ちされる。
この男、話の核心をズケズケと指摘し、周囲と軋轢を生んでいる。
だから、夫婦が生活停滞の打開として、当時(1955年)では稀な、パリ移住を、周囲の疑問をよそに目論むに際しても、その男にだけは理解されるのである。
夫婦の当然は、精神病院帰りの男の当然でもある。
而して、それは、異常であることを意味する。
・・・だが、物語のエピローグでは、その男の精神異常の元凶と思われる母親の異常な言動で締めくくられる。
つまり、その精神病みの男は、意外にもまともで、その母親こそが精神病なのか?
となると、ディカプリオとケイト・ウィンスレットらが演じた夫婦の選択は、異常な行動ではないのだろうか・・・?
◇
ケイト・ウィンスレットは、ディカプリオともう一人と、作中で計2回のセックスを行なう。
相手の二人とも、妙に早漏なのである^^;
一分ももたずに果てる・・・。
ケイトが名器であることが分かりましたです、ハイ!!!
(2009/01/24)
傑作と言えよう。
しかし、『タイタニック』コンビ(レオナルド・ディカプリオ ケイト・ウィンスレット)による、「その後の『タイタニック』」を期待し、デートで出かけた日にゃあ、暗雲垂れ込める二人の未来となるやも知れぬ。
私は、予告編を見た限りにおいて、どうしても物語の方向性が見えなくて、面白いとも思えず、誰も誘わないで一人で観たのだ。
正解であった。
原題にはない、「震えるぞハート! 燃え尽きるまでヒート!(byジョジョ)」みたいな副題をつけているが、こんなに作品の内容をミスリードする副題はない。
そんな熱血ロマンスではないのである。
配給会社のやっていることは、まさしく「詐欺」である^^;
「タイタニック」のヒーロー、ヒロインのような美しい夫婦が、それ故に、庶民としての生活に疑問を持ち、夫婦の倦怠期の時期でもあり、試行錯誤するも崩壊する様が描かれる。
なまじっか、美しい二人であるが故に、どうにかして飛躍しようとして、太陽を目指したイカロスの如く、墜落していく話だ。
『タイタニック』的なものを期待したお客さんも太陽に焼かれ、『劇画・オバQ』を読んだ時のような後味の悪さを感じさせられる。
私は、この作品を、アメリカ版『死の棘』として楽しんで観た。
*『死の棘』…島尾敏雄の私小説
夫婦間の極限の愛を描いた作品
小栗康平監督で映画化/1990年 カンヌ国際映画祭 審査員特別賞
私(ミッドナイト・蘭)の卒業論文のテーマとした作品
◇
作品自体の完成度は高く、登場する人物全てが、個性豊かで、いい演技をし、私を惹きつけた。
本日も仕事を終えた後でのレイトショーだったので、眠かったのだが、途中から目が離せなくなった。
ディカプリオとケイト・ウィンスレットの、今や実力派としての演技力が、私を夢中にさせたのだ。
◇
夫婦の異常性は、とある精神病院帰りの男によって裏打ちされる。
この男、話の核心をズケズケと指摘し、周囲と軋轢を生んでいる。
だから、夫婦が生活停滞の打開として、当時(1955年)では稀な、パリ移住を、周囲の疑問をよそに目論むに際しても、その男にだけは理解されるのである。
夫婦の当然は、精神病院帰りの男の当然でもある。
而して、それは、異常であることを意味する。
・・・だが、物語のエピローグでは、その男の精神異常の元凶と思われる母親の異常な言動で締めくくられる。
つまり、その精神病みの男は、意外にもまともで、その母親こそが精神病なのか?
となると、ディカプリオとケイト・ウィンスレットらが演じた夫婦の選択は、異常な行動ではないのだろうか・・・?
◇
ケイト・ウィンスレットは、ディカプリオともう一人と、作中で計2回のセックスを行なう。
相手の二人とも、妙に早漏なのである^^;
一分ももたずに果てる・・・。
ケイトが名器であることが分かりましたです、ハイ!!!
(2009/01/24)