☆前回からの直接の続きなので、「その20・ニュージーランド篇⑧」 (クリック!)から遡って読んでね^^
◇
承前『教育会議』の巻
・・・サチが来てから数日過ぎた、ある晩の彼女との会話。
グレインジャー家族といる時には、英語で話す僕も、サチと二人の時には、日本語で会話してしまう。
『今夜はミド蘭がいてくれて良かったよ^^』
『なんで?』
『だって、エリオットの世話が二分されるもん!^^』
『それは俺だって、サチが来てくれて助かったよ^^』
『アッハ^^ やっぱ、そう思ってたのね!』
『くすぐられていたでしょ?』
『うん』
『キスしてくるでしょ?』
『うん、された』
『耳キスは?』
『された』
・・・耳キスとは!?
耳にキスをされる。ただそれだけだ。しかし、それを受けた者は、身体がゾクゾクッとする^^;
・・・『俺たちは、なんだかんだ言っても、エリオットのペースにはまってしまっている』
『だって、やっぱ、ほっとけないじゃん』
『それはそうだけど…、なんだか俺たちって、自分勝手な彼氏に愛想を尽かしつつも、腐れ縁で離れられず振り回されている女の子みたいだよ』
『きっと、奴ぁ、プレイボーイになるね』
◇
それから、数日後、サチが深刻な表情で言った。
『私たちは、もしかすると、エリオットを甘やかし過ぎているのかも知れない』
『うん、俺もそう思っているよ。でも、今更、怒ることも出来ない。今まで怒らなかった俺が、急に怒るようになったとしよう。6歳の子供の頭の中では、俺の豹変に思考がついていけず、例えば、人間不信にでもなってしまったら困る。俺には、その、硬軟のバランスの取り方が分からないんだよ。自分の子じゃないからなあ』
『でも、もっと、エリオットの教育について考えなくては・・・』
『もちろん』
◇
それから、更に数日後のサチ。
『最近、やっと分かったの^^ 他の友達にも聞いたんだけど、どこの家庭の教育も似たようなものみたい。ほっぽらかしがニュージーランドの教育のキーワードなのね』
・・・それは違うと思う。
やはり、エリオットの教育はどこか間違っている。
NZの教育法の一言で片付けてしまってはいけない。
◇
色んな要素が複雑に絡んでいるので、答えは出せないが、こちらにも原因がある。
日本人の優しすぎる点があり、それが対象の「甘え」を増長させてしまいもするのだ。
だが、ホームステイと言う、中途半端な期間の対象との接触は、旅行の延長とも思え、対象に過度の感情をあらわにすることを躊躇してしまう。
つまり、対象の悪い部分を「叱る」と言う行為に、ホームステイの短い期間は「責任」がもてないのだ。
「叱る」ことには、アフターケアが必要なのである。
叱られた者は、すぐにその理由を察して理解できることはない。
その後の、自分の叱った者の行動を見て、次第に、自分の悪い面を改めていく。
特に子供はそうだ。
だが、旅行者の延長に過ぎない我々には、その説得力ある期間がないのだった・・・。
その場しのぎの表面上の優しさを向けるしかない弱点がある・・・。
(2009/07/19)
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承前『教育会議』の巻
・・・サチが来てから数日過ぎた、ある晩の彼女との会話。
グレインジャー家族といる時には、英語で話す僕も、サチと二人の時には、日本語で会話してしまう。
『今夜はミド蘭がいてくれて良かったよ^^』
『なんで?』
『だって、エリオットの世話が二分されるもん!^^』
『それは俺だって、サチが来てくれて助かったよ^^』
『アッハ^^ やっぱ、そう思ってたのね!』
『くすぐられていたでしょ?』
『うん』
『キスしてくるでしょ?』
『うん、された』
『耳キスは?』
『された』
・・・耳キスとは!?
耳にキスをされる。ただそれだけだ。しかし、それを受けた者は、身体がゾクゾクッとする^^;
・・・『俺たちは、なんだかんだ言っても、エリオットのペースにはまってしまっている』
『だって、やっぱ、ほっとけないじゃん』
『それはそうだけど…、なんだか俺たちって、自分勝手な彼氏に愛想を尽かしつつも、腐れ縁で離れられず振り回されている女の子みたいだよ』
『きっと、奴ぁ、プレイボーイになるね』
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それから、数日後、サチが深刻な表情で言った。
『私たちは、もしかすると、エリオットを甘やかし過ぎているのかも知れない』
『うん、俺もそう思っているよ。でも、今更、怒ることも出来ない。今まで怒らなかった俺が、急に怒るようになったとしよう。6歳の子供の頭の中では、俺の豹変に思考がついていけず、例えば、人間不信にでもなってしまったら困る。俺には、その、硬軟のバランスの取り方が分からないんだよ。自分の子じゃないからなあ』
『でも、もっと、エリオットの教育について考えなくては・・・』
『もちろん』
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それから、更に数日後のサチ。
『最近、やっと分かったの^^ 他の友達にも聞いたんだけど、どこの家庭の教育も似たようなものみたい。ほっぽらかしがニュージーランドの教育のキーワードなのね』
・・・それは違うと思う。
やはり、エリオットの教育はどこか間違っている。
NZの教育法の一言で片付けてしまってはいけない。
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色んな要素が複雑に絡んでいるので、答えは出せないが、こちらにも原因がある。
日本人の優しすぎる点があり、それが対象の「甘え」を増長させてしまいもするのだ。
だが、ホームステイと言う、中途半端な期間の対象との接触は、旅行の延長とも思え、対象に過度の感情をあらわにすることを躊躇してしまう。
つまり、対象の悪い部分を「叱る」と言う行為に、ホームステイの短い期間は「責任」がもてないのだ。
「叱る」ことには、アフターケアが必要なのである。
叱られた者は、すぐにその理由を察して理解できることはない。
その後の、自分の叱った者の行動を見て、次第に、自分の悪い面を改めていく。
特に子供はそうだ。
だが、旅行者の延長に過ぎない我々には、その説得力ある期間がないのだった・・・。
その場しのぎの表面上の優しさを向けるしかない弱点がある・・・。
(2009/07/19)