『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『機動戦士ガンダム・Ⅰ』を観た]

2009-09-01 23:10:16 | 物語の感想
☆今年で「ガンダム」が放送開始から30周年を迎え、一部の映画館で、劇場版シリーズのリバイバル上映が行なわれている。

 その一環として、<ワーナーマイカル・村山>で、劇場版の『1』がかかっているので、学校帰りの姪っ子を制服のまま連れて行った。

 これまで何度も語っているが、私は、「ガンダム」初放送時、視聴のまさに対象年齢であったが、タイムリーには見ていない。

 見たのは、5時半からの再放送時である。

 私は、富野監督の、ロボット枠前々作の『ザンボット3』に、小学校の低学年時、あまりにも衝撃を受けて、「これ以上に刺激的な作品はあり得ない」と考えていたから、「ガンダム」ムーブメントに乗り遅れたのだ。

 実際、『ザンボット3』の後番組『ダイターン3』はスタイリッシュではあったが、さほどの思想的な衝撃はなかった。

 ただ、『ダイターン3』の最終回近くかな、時間帯は変わるのだけど、ロボット枠として、「ガンダム」の予告が流れていた。

 そのコピーは、

   「君は、愛する者のために死ねるか?」

 だった。

 ともあれ、今、<You Tube>で、『ザンボット3』の幾つかの衝撃シーンが見られるのでどうぞ・・・。

     人間爆弾の恐怖

     小学生カップルの特攻

   ◇

 で、『機動戦士ガンダム・Ⅰ』であるが、とても面白かった。

 確かに、テレビ放映時のダイジェストなので、絵は古い。

 映画館の大画面では、かなり画像の粒子が荒れている。

 でも、それ以上に、物語が子供騙しでなく、ちゃんと大人の鑑賞に耐えられるレベルにまで達せられていた。

 現在の、肥えた目で見てもだ。

 特に、これ以上やったら破綻するギリギリまで、シャアやセイラさん、フラウ・ボウに、それぞれ、「含蓄」「セレブ」「育ちの良さ・前向き」などといった演技(主にセリフ回し)をさせ、ラル夫妻やアムロの母さんには、それぞれの「大人の視点」の光と影を見させてくれる。

 特に、すっかり軍人になってしまったかのように見え、敬礼をし、自分の元から軍艦(ホワイトベース)に戻っていくアムロに、「およよ」と泣き崩れる母親がいるが、この時なんか、上記した理由により荒れた画像が、「怪我の功名」で文学的効果を発していた。

   ◇

 しかし、2時間半を超える上映時間である。

 非常に盛り沢山の内容で、大筋は知っているけど、最後に見たのが15年ほど前だったので、「あれ、こんなシーンまで・・・、こんなエピソードまで詰め込んでいる」と驚いた。

 初放映時の頃の映画界は、テレビのダイジェストアニメに2時間半超の上映時間を与える余裕があったのだな。

 数年前に上映された、同じくテレビのダイジェスト『Zガンダム』などは、三部作のそれぞれが90分ほどの時間しかもらえていなかったので、本来の物語からの欠落が甚だしかった。

   ◇

 『ガンダムSEED』や『ガンダム00』しか知らない姪っ子だが、

 その30年前放送(現代的に洗練された作風ではない)と言う「フィルター」の存在を一旦認識した後は、その世界に没頭し、夢中になっていた。

 観終えて、私は姪に言った。

「ガルマの前髪クルクルかき上げや、シャアのシャワーシーンなどが、30年前の<腐女子>の萌えポイントなんだけど、分かってくれたかな?」

「もちろん! 堪能しましたよ^^;」

 ・・・かろうじて、物語に現代的な感覚を持ち込めるのが、初代『ガンダム』の先進性でもあった。

   ◇

 ある意味、名作映画を見直すつもりで見に行ったのだが、

 ガンダムが大地に立つトコや、

 ガンダムが大気圏を突破し、中空で機体を広げるシーンなどで、

 身体中に鳥肌を立たせるほど興奮してしまったのには、私個人の驚きであった。

 セイラさんはもとより(←たまに絵が乱れていたが)、マチルダさんやハモンさんの美しさには、「ガンダム」の「三十路」を過ぎても衰えない魅力に舌を巻かざるをえませんでした。

   ◇

 さあ、来週は『ガンダム・Ⅱ 哀戦士篇』だ!!!

 見に行くぞ!

 確かにDVDでも見られる。

 でも、映画館と言う、一種の鑑賞に特化した隔離施設では、作品に対しての集中度が全く異なり、面白さが違うのである。

                                     (2009/09/01)
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[私の1991年のメモ日記・13「新年・のんびりビデオレンタル」]

2009-09-01 10:24:28 | 1991年の日記
☆さあ、好評の「1991年の日記」、別名「1QQ1年の日記」^^;

 文中で、祖母や父親の名前が出てくるが、今はいない・・・。

 でも、こうして文章で残すと、祖母や父親は心に蘇ってくる。

 私は、ノモンハン事件を専用ブログで追い続けているが、先日、その中の岩男登大尉についての一文に、そのお孫さんがコメントをくれた。

 お孫さんの心に、かつての御尊祖父さんの姿が蘇ったかと思うと、私は感無量である^^

 クリックしてみてね^^

     【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第七十二回】
           第一柱   陸軍大尉 <岩男 登>
                  「立派な死に場所を得よ」

   ◇

 ☆1991年1月1日(火)

 実感のないままに新年を迎えてしまった。テレビの正月番組にも興味が湧かない。我が家の鶏肉をベースにした雑煮はうまい。おかわりして腹いっぱい。午後、寝る。首の筋を違えて、頭痛。こんな調子でジムに通っていけるのか。夕方、母とビデオ屋へ。姉と『オールウェイズ(注:スピルバーグ作品)』を見る。やはり映画は映画館でを痛感。あの時は泣けたもんなぁ。父と『フルメタル・ジャケット』を見る。何度見ても面白い。発見がある。傑作。屋内戦→インタビュー→屋外戦。前半は完璧な理論構築。後半はそれを土台に、理論の実証へと。ミッキーマウスマーチが凄い。

 (注:今考えると、よく「ミッキーマウス・マーチ」の使用が許されたなあ^^;)

    

 ☆1991年1月2日(水)

 11時に目覚める。初夢もしっかり見た。僕が『ドラゴンボール』の世界で、悪の親玉フリーザに苛められるのだ。僕は耳にピーナッツを突っ込まれ、苦しむ。鼻と口をふさぎ、耳から空気を出し、ピーナッツを吹き飛ばすのだった。そして、フリーザに反撃しようとした時、目が覚めてしまった。さて、今日も父とビデオを見る。『タッカー』、感動した。コッポラは、家族(ファミリー)の絆を描かせると良い。タッカーとキャラッツの信頼関係も心に染みる。『ダーティーハリー5』、どうもノレない。サンフランシスコの急な坂でのカーチェイスなど見せてくれるが。もう、硬派なイーストウッドの時代じゃないのかな。

 (注:現在のイーストウッドの活躍を考えると、凄まじく言語道断なことを書いております^^;
                              でも、これも記録として、記しておきます^^;)

     

 ☆1991年1月3日(木)

 無理して8時半に起きるも、フジテレビの『ちびまる子ちゃん・スペシャル』を、昨日から来ている祖母とちょっと見た後、録画にまかせてお昼まで寝てしまう。そして、昨日借りたビデオ『今を生きる』を、父と見る。良かった。P・ウェラーの透明感のある映像、嫌味のない物語。そして、キーティング先生の優しさ。織り込まれた少年の純な恋心。とても良質な作品だ。午後、またもレンタル屋へ。『LA大捜査線』、フリードキンの相変らずパワフルな実録チックな作品。フリードキンの作品は、この後の2作も見ていたが、彼の創作への思い入れがよく分かる。結末が実に良い。『ジョニーハンサム』、W・ヒル最後の傑作か? この作品と同じくミッキーローク主演の『逃亡者』、期待してますよ。

 (注:『ちびまる子ちゃん』を録画してまで見ている私に、みんな驚くかもしれないが、
     この頃の「ちびまる子」ブームは凄かったんだよ。学校や飲みの席で皆で話題にしていた。ズバリ! そうでしょう!)

      

   ◇

 では、督促状のきた固定資産税と車両税を納めてきます^^;

                                    (2009/09/01)
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