『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[日教組について(4・[『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・③])]

2009-09-29 22:16:13 | 保守の一考
☆再掲を続けます。

   ◇

 ・・・2006/09/13

   [『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・③<思想運動>]

     「ほかにどんな能力を持っているんだ?
       まさか、加速装置だけというんじゃあるまいな」
     「あ、あとは……、勇気だけだ!」
                   (『サイボーグ009』より)

▼『いいかげんにしろ 日教組』には勇気づけられる。

 日本一の日教組加入率(ほぼ100%)を誇る「三重日教組王国」に、少数で矢面に立たされた松浦光修は、先ず、どうしたか?

 ≪・・・しかし、非力な私たちに何が出来るであろうか。答えは一つしかなかった。それは”文章を書くこと”である。もしかしたら、それによって”志を同じくする人を探すこと”も出来るかもしれない。・・・≫

 雑誌『正論』に、『無惨やな、神の御もとの教育界』と言う論文を書いた。

 しかし、反応はなかった・・。

 「神の御もと」の意味するところとしては、伊勢神宮の存在がある。

 そして、その「神の御もと」の学び舎としての皇學館があった。

 ここの卒業生で、三重の教職に就いている者の集いがあった。

 その参加者数1300人。

 しかし、そこで配布しようとしていた松浦論文の趣旨を記したプリントは、配ることが許されない雰囲気になった。

 三重教育界を牛耳っている日教組・・・、神の御もとの学び舎である皇學館の卒業生をして、その精神を呪縛しているのだった。

 実質的には宗教否定の共産主義の系列に属する日教組である。

 多くの皇學館の卒業生は、自分の教師としての「出生」に引け目を感じ、より強硬な日教組の運動員となっているのである。

 1300枚のプリントは破棄の憂き目に遭った。

 松浦先生は、大きな絶望を感じた。

 だが、そんな卒業生の中にも、骨のある人物が以前からいた。

 渡辺毅氏だ。

 この方は、当時、教師生活十五年を、日教組との孤軍奮闘の戦いに費やしていた。

 松浦先生の「絶望」の四日後に、渡辺氏の『私の日教組打倒論 ---教員を目指す若い人たちへ』が『正論』にて発表され、再び、松浦先生の心に光明が差すのだった。

 そして、徐々に、同士が集まってくるのだ。

 「つくる会」三重県支部は着々と設立に向かうのだった。

▽そんな松浦先生に、苦言を呈す者もあった。

 松浦先生が尊敬できる人物、皇學館大学の元教授T氏だった。

 T氏は、松浦先生が対決することになる三重日教組の強大な力について語り、それに歯向かうことの徒労を具体的に説明し、自分の研究に専念するよう諭してきたという。

 T氏は、松浦先生を心から心配していたのであり、それは、誠に説得力あるアドバイスであった。

 が、松浦先生は、何故だか、三重日教組との対決に舵を取ってしまうのだった。

 この方は、その後も、自分の助言と反対の行動に出た松浦先生に対し、マイナス感情などを抱くことなく、松浦先生の苦境に引き続き適切なアドバイスをし続けてきてくれている。

 ≪・・・さすがに、闘った実績のある人は違うものである。人は、ふつうの時には、皆同じ様に見えるが、何か困難な課題に直面してふと回りを見渡した時、はじめて”本物”と”偽者”の違いが見えてくる。虚勢を張っている”偽者”の大人が、男女を問わず、今の世にはなんと多いことか(逆から言えば”偽者”だから虚勢を張るのであろうが)この点、T氏は、やはり”本物”であったと言えよう。・・・≫

 私は、ここでも不覚にも涙腺が緩んだ。

 前回の「②」を読んでもらえば分かるが、若鷲さんの苦難から得た教訓を語ってくれているような気がした(我々には、当時、T氏的な人物はいなかった・・・)。

 『いいかげんにしろ 日教組』は、一つの「運動記」でもある。

 <思想運動>に関わる一つの雛形の提示にもなっている。

 私や若鷲さん、まほきゃすと氏が直面した「つくる会」内紛においての、<荒んだ思想闘争>の経過とぴったり当て嵌まる状況がたびたび散見され、私は、そこでの松浦先生の決断に、自分を重ね共感を覚えるのである。

 T氏も、松浦先生に、自分がかつて経験した苦難を体験させることをさせまいとしたのだろう。

 だが、かつての自分と同じく、松浦先生は、その闘争の中に飛び込んでしまった。

 ならば、年長者として、できる限りのバックアップに努めるのだろう。

 それが、「年長者」のあり方だ・・・。

 松浦先生も、我々に『いいかげんにしろ 日教組』を手渡してくれている。

 『いいかげんにしろ 日教組』は、<思想運動>をはじめた者には必読書の一面を持っている。

 そこには、ある意味、真摯であるならば誰もが直面する未来が描かれている。

 こんな文章もある。

 若鷲さん、泣きたまえ。

 以下は、松浦先生が、渡辺毅氏を語りつつ、<運動の業(ごう)>について語った箇所である。

 ≪・・・氏は明敏な人であるから、当然、サヨクからの攻撃はある程度は覚悟していよう。しかし、こういう場合に当事者の心に最もショックを与えるのは、敵からの攻撃よりも「身内」と信じていた人々からの「無支援」であることのほうが多い。・・・≫

 だが、多くの苦難の伴う戦いに、自分の「正義」「勇気」「信念」に沿って行動した者は、何ら「見返り」などは求めていない。

 つまり、完全に勝利できる目算などなく、裏切りに際しても耐え、若者は戦いの渦中に身を置く。

 だから、T氏も、止めはしたが、その運動に赴く気持ちは理解してくれていた。

 故に、その後の協力は惜しまず、松浦先生に向けてきたのである。

 松浦先生は、渡辺氏を評した文章の中で、

     「やむにやまれぬ大和魂」
     「男児世に処する、ただ誠意正心をもって」

 と、語っている。

▼「つくる会」三重県支部が暗中模索のうちに立ち上がりを見せようとしていたとき、産経新聞および『正論』に、≪三重県の教育状況に関する”衝撃的な数字”≫が掲載される・・・。

   ・教職員組合加入率 全国第一位
   ・暴力行為発生率 全国第二位
   ・いじめ発生率 全国第二位
   ・不登校人数 全国第四十五位

 松浦先生は過酷な現状を思い知らされただろう。

 渡辺氏は、その調査結果には「裏切られ」たかっただろう。

 しかし、自分の十五年の日教組との闘争の「裏打ち」をされた形だ。

 雑誌上で、その調査結果の総括をした八木秀次先生も石川水穂氏も、その結果に暗澹とさせられる・・・。

 私も今、思う。

  【これは、完全に、子供を地獄に追い込む環境が、
                システムとして完成している】

 と・・・。(次回、「密閉教室」に続く)

                                     (2006/09/13)

   ◇

 では、私、今夜は寝ます^^

                                     (2009/09/30)
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[私の1991年のメモ日記・14]

2009-09-29 21:54:49 | 1991年の日記
☆皆さん、本日は私が、いつもの通り、公休とお思いでしょうが、本日は出勤でした^^

 だから、映画レビューはありませんよ^^;

 でも、好評企画「1991年の日記」シリーズ、行きます!!

   ◇

 1991年1月11日(金)

 朝、母からTel、カゼをこじらせ、ノドから血が出たそうだ。ちょっと心配なので、明日は実家に帰ろう。バイトを終え、新宿へ。紀伊国屋で『キューブリックミステリー』と言う「2001年 宇宙の旅」論の本を買う。政治学の講義が始まるまでの時間と、政治学の時間で読み終えたが、理解したとは言い難い。浜野保樹と言う著者の多角的な視野からの語り口はなかなか面白かったが、自分の頭の中で整理できないのが悔しい。キューブリックとマクルーハンの対立は、正反対のものではなく、ちょっとした(それでも重大な)方向の違いだけなのかも知れない。しかし、「2001~」は深い。/鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、か。

 (現在の蘭による注)・・・最後の1センテンスが意味不明である^^;

 1991年1月12日(土)・・・朝に雪

 バイトを終え、秋川に帰る。帰り際に外山滋比古の『思ったことを思い通りに書く技術』を読む。分かりやすい文章で納得できるところが多かったが、このような内容の本は、納得できないところから学ぶことがあると思う。『プレシディオの男たち』をレンタルしてきて、父と見る。アクションが抑えてあり、人間関係を重視しており、故に、アクションが、よりリアルに見える。S・コネリー・・・、もうその顔が出るだけで映画の質があがる。P・ハイアムズ監督にはこれからも注目したい。『イカ天』が終了し、『エビ天』が始まった。映像コンテストだ。技術に溺れた奴もいれば、バカもいるし、頭のいい奴もいる。「カニ男」、面白かった。その相棒もいい^^

 (現在の蘭による注)・・・『イカ天』・・・「いかすバンド天国」
                『エビ天』・・・「えびぞり巨匠天国」

    

 1991年1月13日(日)

 レンタルしてきた『市民ケーン』を観る。情を揺さぶる内容と思いきや、クールな作品だった。愛を表現できなかった男・ケーが死の際に「バラのつぼみ」と呟き死ぬ。富豪ケーンの死を探る記者が、その言葉を頼りに、ケーンゆかりの人々に会っていく。公開当時に見た人は、その表現技巧に圧倒されたようだが、残念ながら僕は、その後の、この作品を真似た作品のほうを先に見てしまっていたので、新鮮さはなかった。が、面白かった。ザナドゥ城は、タイガーバームガーデンを思い出させる。ホラータッチの作風もGood! 『タッカー』はこの作品をかなり意識したと見える。マナミとアサミが来た。二人とも三つ編みが可愛い^^ 「ノリ巻きゴッコ」をする。午後9時半、中野に帰る。非常に寒い!!

 (現在の蘭による注)・・・「ノリ巻きゴッコ」についてはいつか説明します^^

   

   ◇

 1月の、こんな早い時期から大学は始まっていたのだなあ^^;

                                     (2009/09/29)
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