☆・・・(これまでのあらすじ^^;)
「機動戦士ガンダム」シリーズ30周年記念イベントとして、<ワーナーマイカル村山>で週変わりで三部作を観てきて、
「さあ、続いて、『ゼータ』だ!^^」と思ったら、<ワーナーマイカル村山>では「ファースト」シリーズ三部作しかやらなかった^^;
かくして、我々(私と姪)は、<新宿ピカデリー>まで電車賃をかけて乗り込むのであった・・・。
◇
さて、映画版『Zガンダム』シリーズは、2005~2006年に公開され、そのお祭り気分に、私もノリに乗って楽しんで観た^^
感想も、結構ガッチリと記したものだが、今は、その過去ログを探すのが困難だ^^;
そして、今回、再見してみて、かなり印象が異なっていたので、その辺を書いておく。
◇
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正直、二本続けて見て、お腹一杯状態になってしまった^^;
公開当時、お祭り気分の鑑賞で、夢中で、「最大脳内補完」で見ていたので、気にならなかったのだが、
今回、そのTVシリーズ50話を三部作にして、それぞれが短尺90分ちょいに編集された「高密度早足」編集に非常に疲れてしまったのだ。
あまりにも、セリフ一つでの物語の整合性のつけ方が多い。
短い時間に纏め上げて、しかも、説明調に陥らず、それぞれのクライマックスに叙情性をもたせた富野監督の手腕は凄まじいとは思うが。
初見の姪は、どう見たのだろうか?
とにかく、<連邦>、<エゥーゴ>、<ティターンズ>、<カラバ>、<ジュピトリス>などの組織が入り乱れる様に「こりゃ、テレビ版を多少なりとも知ってないとワケワカメだぞ^^;」と呆れてしまうのだ。
モビルスーツも、途中から「赤」か「青」のカラーリングばかりで区別つけ難い。
・・・<カラバ>は、<エゥーゴ>の地球での活動組織だそうだが、それもセリフで語られるのみで、いつの間にやら仲間の印象だ。
・・・<ジュピトリス>などは戦艦の名前だが、そんな説明もなく、上記のように「木星帰りの男」シロッコの、勢力組織の一つのように語られる。
シロッコがこれまた、自分の乗る戦艦を何台も乗り換える。
それが、「戦艦」と説明されない固有名詞で、作中に普通に語られる・・・、把握が難しい。
<ティターンズ>のツートップ(ジャミトフ、バスク)も、足並みが揃っているわけではないようで・・・。
更に、ジオン残党の<アクシズ>勢力も出て来るわけで^^;
◇
映画版として、作画がかなり書き直されている版「新訳(A New Translation)」としての公開だが、当時、テレビ版そのままの箇所と書き直された部分の落差に唖然としたものだが、今回は、直近にテレビ版そのままの「ファースト」シリーズ三部作を見ていたのでそれほど気にならなかった。
が!
レコアさんが、旧作画において、顔の作りが全然違うのに驚いた。
こりゃ、別人だよ^^;
レコアさんは「大人のいい女」なので、私は今回、やたらと注目してみていたので、作画の落差以前の問題でキャラクターデザインも全く違うので衝撃的だった。
両親を失ったカミーユが、その温もりを求めようと近づいてきたとき、「やっぱり・・・」と呟くレコアさん。
非常に文学的に情報量の多いシーンで、私は、富野監督、頑張っているなあと思うのだ。
ここが、アムロに対してのマチルダさんとは異なる、レコアさんに代表される『Zガンダム』の「屈折」であろう。
レコアさんは、クワトロ大尉との絡みに於いても、アニメ的には難しい役どころを演じてくれている。
カミーユが両親を失った直後の、<アーガマ>の休憩室・・・、世界観・人間関係構築のために新しく加わった1シーンもいい出来だ。
ここで、<アーガマ>メンバーの人となりが自然に体得できる。
このようなシーンを「一点豪華主義」で組み込んでいるので、この作品は活きている。
◇
私は、実は、「星を継ぐ者」は、今回で3観目であった。
クライマックスの夕映えの中での、可変がスムーズなアッシマーとの戦い・・・、そして、カミーユ、アムロ、シャアの邂逅に、えらく感動してしまったからだ。
何とも、このシーンには、万感の想いが募った。
そして、「恋人たち」序盤では、大型輸送機<アウドムラ>デッキでの三人の躍動感溢れる動きが、「星を継ぐ者」のクライマックスそのままのノリで始まる。
作画も美しい。
だが、その後、アムロは宇宙までもカミーユと行動を共にすることはない。
物足りないが、それでいいのだと思う。
そのまま、ファンの願望通りに、アムロが活躍しだしたら、物語のバランスが著しく歪なものになっただろう。
・・・そう、『ガンダム SEED』シリーズの二作目「DESTINY」で、主人公をバトンタッチされたシンが、物語の進行と共に、一作目の主人公キラやアスランに主人公の座を乗っ取られたようにだ。
あれは、ファンの要求に答えた結果だが、その、当初予定していたテーマからずれて行き、「DESTINY」は応援していたファンからも「駄作」扱いされてしまう結果となっている。
◇
フォウについても記したいが、時間がないので、これにて終わる。
ただ、以前にも書いたが、ベン・ウッダー大尉が、フォウにはじめて会った時、その頬を撫でるのだが、
その後、前半のクライマックスで、大尉は、そのフォウの頬を撃ち抜かなくてはならないという展開は、作劇技巧として見事であった。
◇
来週は、『星の鼓動は愛』『逆襲のシャア』で御座います^^v
(2009/09/28)
「機動戦士ガンダム」シリーズ30周年記念イベントとして、<ワーナーマイカル村山>で週変わりで三部作を観てきて、
「さあ、続いて、『ゼータ』だ!^^」と思ったら、<ワーナーマイカル村山>では「ファースト」シリーズ三部作しかやらなかった^^;
かくして、我々(私と姪)は、<新宿ピカデリー>まで電車賃をかけて乗り込むのであった・・・。
◇
さて、映画版『Zガンダム』シリーズは、2005~2006年に公開され、そのお祭り気分に、私もノリに乗って楽しんで観た^^
感想も、結構ガッチリと記したものだが、今は、その過去ログを探すのが困難だ^^;
そして、今回、再見してみて、かなり印象が異なっていたので、その辺を書いておく。
◇

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正直、二本続けて見て、お腹一杯状態になってしまった^^;
公開当時、お祭り気分の鑑賞で、夢中で、「最大脳内補完」で見ていたので、気にならなかったのだが、
今回、そのTVシリーズ50話を三部作にして、それぞれが短尺90分ちょいに編集された「高密度早足」編集に非常に疲れてしまったのだ。
あまりにも、セリフ一つでの物語の整合性のつけ方が多い。
短い時間に纏め上げて、しかも、説明調に陥らず、それぞれのクライマックスに叙情性をもたせた富野監督の手腕は凄まじいとは思うが。
初見の姪は、どう見たのだろうか?
とにかく、<連邦>、<エゥーゴ>、<ティターンズ>、<カラバ>、<ジュピトリス>などの組織が入り乱れる様に「こりゃ、テレビ版を多少なりとも知ってないとワケワカメだぞ^^;」と呆れてしまうのだ。
モビルスーツも、途中から「赤」か「青」のカラーリングばかりで区別つけ難い。
・・・<カラバ>は、<エゥーゴ>の地球での活動組織だそうだが、それもセリフで語られるのみで、いつの間にやら仲間の印象だ。
・・・<ジュピトリス>などは戦艦の名前だが、そんな説明もなく、上記のように「木星帰りの男」シロッコの、勢力組織の一つのように語られる。
シロッコがこれまた、自分の乗る戦艦を何台も乗り換える。
それが、「戦艦」と説明されない固有名詞で、作中に普通に語られる・・・、把握が難しい。
<ティターンズ>のツートップ(ジャミトフ、バスク)も、足並みが揃っているわけではないようで・・・。
更に、ジオン残党の<アクシズ>勢力も出て来るわけで^^;
◇
映画版として、作画がかなり書き直されている版「新訳(A New Translation)」としての公開だが、当時、テレビ版そのままの箇所と書き直された部分の落差に唖然としたものだが、今回は、直近にテレビ版そのままの「ファースト」シリーズ三部作を見ていたのでそれほど気にならなかった。
が!
レコアさんが、旧作画において、顔の作りが全然違うのに驚いた。
こりゃ、別人だよ^^;
レコアさんは「大人のいい女」なので、私は今回、やたらと注目してみていたので、作画の落差以前の問題でキャラクターデザインも全く違うので衝撃的だった。
両親を失ったカミーユが、その温もりを求めようと近づいてきたとき、「やっぱり・・・」と呟くレコアさん。
非常に文学的に情報量の多いシーンで、私は、富野監督、頑張っているなあと思うのだ。
ここが、アムロに対してのマチルダさんとは異なる、レコアさんに代表される『Zガンダム』の「屈折」であろう。
レコアさんは、クワトロ大尉との絡みに於いても、アニメ的には難しい役どころを演じてくれている。
カミーユが両親を失った直後の、<アーガマ>の休憩室・・・、世界観・人間関係構築のために新しく加わった1シーンもいい出来だ。
ここで、<アーガマ>メンバーの人となりが自然に体得できる。
このようなシーンを「一点豪華主義」で組み込んでいるので、この作品は活きている。
◇
私は、実は、「星を継ぐ者」は、今回で3観目であった。
クライマックスの夕映えの中での、可変がスムーズなアッシマーとの戦い・・・、そして、カミーユ、アムロ、シャアの邂逅に、えらく感動してしまったからだ。
何とも、このシーンには、万感の想いが募った。
そして、「恋人たち」序盤では、大型輸送機<アウドムラ>デッキでの三人の躍動感溢れる動きが、「星を継ぐ者」のクライマックスそのままのノリで始まる。
作画も美しい。
だが、その後、アムロは宇宙までもカミーユと行動を共にすることはない。
物足りないが、それでいいのだと思う。
そのまま、ファンの願望通りに、アムロが活躍しだしたら、物語のバランスが著しく歪なものになっただろう。
・・・そう、『ガンダム SEED』シリーズの二作目「DESTINY」で、主人公をバトンタッチされたシンが、物語の進行と共に、一作目の主人公キラやアスランに主人公の座を乗っ取られたようにだ。
あれは、ファンの要求に答えた結果だが、その、当初予定していたテーマからずれて行き、「DESTINY」は応援していたファンからも「駄作」扱いされてしまう結果となっている。
◇
フォウについても記したいが、時間がないので、これにて終わる。
ただ、以前にも書いたが、ベン・ウッダー大尉が、フォウにはじめて会った時、その頬を撫でるのだが、
その後、前半のクライマックスで、大尉は、そのフォウの頬を撃ち抜かなくてはならないという展開は、作劇技巧として見事であった。
◇
来週は、『星の鼓動は愛』『逆襲のシャア』で御座います^^v
(2009/09/28)