『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[与党民主党考・107 「違う内容を事例とし」]

2010-08-15 23:05:09 | 保守の一考
☆こんな記事があった。

   《爆心地にモスク イスラムへの寛容訴え 米大統領が建設支持(2010/08/14 10:53)》

 <オバマ米大統領は13日、米中枢同時テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡地近くでのイスラム教のモスク(礼拝所)建設計画に、反発が強まっていることに対し「ここは米国だ。信教の自由を揺るがせてはならない」と述べ、建設を支持する考えを示し、イスラム教徒を感情的に排斥しないよう呼び掛けた。・・・>

 私も、二つに一つで答えを出さなくてはならないとしたら、その建設は支持する。

 何故なら、イスラム教徒と、イスラム教テロリストは違うから、と言う簡単な理由だ。

 そのモスクで、テロの計画が公然と練られているような事はけしてないだろうからだ。

 イスラム教徒と、イスラム教テロリストを同一視するような視点は、それこそ、世界を滅ぼす観点だと思う。

   ◇

 ただ、オバマ大統領の、このような決断は、少なくとも、すぐに日本の左翼に「判例」として援用されるから始末に困る。

 例えば、この件は、朝鮮学校の日本政府主導による高校無償化の理屈に利用される可能性がある。

 実際は、全く状況が異なるのだが、民主党にそれを糾すのは、バカな相手に野暮だ^^;

 だから、国民に言いたい。

 NYの9・11テロの爆心地で立てられるモスクでは、アメリカ壊滅作戦などは練られないし、そこへ集うイスラム教徒は、アメリカへの一定の敬意は忘れないだろう。

 しかし、朝鮮学校では、日本を蔑むような教育が、日本の税金の投入によって行なわれよう。

 何故ならば、北朝鮮では、キムの独裁によって、日本を敵国と考えて人心を掌握しているキムの思考が、個々の生徒の生き方に反映されるような教育が為されているからだ。

 アメリカでのモスク、日本での朝鮮学校、ベクトルが完全に違うのである。

 分かりやすい、極端な暴論を言えば、民主党政権は、現オウム真理教に宗教法人を与えているようなことをしでかしている。

 だから、皆さんに言いたいのは、このことだけでなく、常に、民主党と言うか、左翼が輸入してくる海外の事例には想像力を発揮し、果たして、それが、日本の事例に合致するのかを熟慮して欲しいのだ。

 「友愛」とか、「未来思考」とか、「思想信条の自由」とかのセリフに騙されないで欲しい。

 仮に、常習的な殺人者とは「友愛」も「思想信条の自由」も「未来思考」も築けるはずがない・・・。

   ◇

 だが、こいつらは薄らバカだと思うけどね。

   《在特会「日本のためにやった」 朝鮮学校に抗議活動で逮捕 (2010/08/11 13:10)》

 <京都市南区の京都朝鮮第一初級学校の前で昨年12月、市民団体「在日特権を許さない市民の会(在特会)」(本部・東京)が拡声器を使って抗議活動をした問題で、京都府警は10日、威力業務妨害容疑などで、在特会京都支部運営で、マンション管理業の西村斉容疑者(41)=京都市右京区=、在特会副会長で、電気工事業の川東大了容疑者(39)=大阪府枚方市=ら4人を逮捕。東京都の在特会会長宅や事務所などを家宅捜索した。・・・>

 国民にも「違いの分からないバカ」がいて、保守派にも、「違いの分からないバカ」がいる。

 こういう軽はずみな行動で、日本は沈没へと近づいてしまう・・・。

                                            (2010/08/15)
コメント (3)
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[終戦の日(靖国で逢える)]

2010-08-15 20:44:00 | 保守の一考
☆・・・終戦の日に寄せて、『ノモンハン美談録(満洲国書株式会社)』からの転載です。

   ◇

   《靖國の大和櫻と共に馨れ》・・・陸軍伍長 山田利治

 七月二日二十一時、暗夜に乗じて隊は目的決行の為に、某方面に向つて出発した。先程迄の星も消え去り、黒雲が低く垂れ、霖雨さへふつて来た。時折、雲間を裂く稲妻に、長蛇の如き隊列が、黒々と照らし出される。

 うちつづく激戦に、一睡もせぬこと幾日、水といへば僅かに口をうるほすだけ、合間にかじる乾麺包とて、腹をみたすに足りなかつた。それが息つく間もなく、この強行軍。停止の声と共に、わづか三分、五分の間を倒れては眠る。びつしよりと肌をぬらす汗は、伏すれば、草葉の露と共にヒヤリと冷たい。

 とりわけ砲をひいてゐる山田分隊の苦労は言語に絶した。

 分隊長山田上等兵は、この疲れきつた部下を労はり励ましながら、自らも弾薬をかつぎ、苦しい行軍をつづけて行つた。分隊長の任務は重い。兵たちが頑張り通すも通さぬも、その責任は分隊長の肩にかかつてゐる。

 汗と霖雨に、上衣も、しつとりと濡れた頃、前面は七十度程の急傾斜となつた。突角に立てば眼下に白々と横たはる一筋の流・・・いよいよ国境なのだ。

 雨に濡れた粘土の坂は、歩む毎に足を奪ひ、砲をもつ山田分隊にいたつては全員泥まみれになる始末だつた。坂を越えており立てば、そこは濕潤地で茫々たる草は身を没するばかりに繁り、泥濘に足を掬れて歩行はますます困難、ただ心ばかりがあせるのだ。

 とうとう砲をひいている一人が膝をついて立ち上がらなくなつた。

「俺が代る。皆元気を出してくれよ!」

 山田上等兵は、自分の疲れはおくびにも出さず、砲をひいて更に前進河岸にたどりついた。

 時計を見れば四時に近い。水をたら腹のんで水筒につめ、この河を渡つて前進をつづけるうち、夜は明け、陽は昇り、大地は忽ちにして灼熱の坩堝と化した。

 正午近い頃、野田小隊長の伝令が来た。

「敵戦車の包囲を受くるおそれあり、警戒を要す」

 と告げて去つた。右方遥かな稜線上に黒い点々が見える。これが戦車なのだ。ぬたのやうに疲れた身体にむちうち、更に前進をつづけ、幾時間の後、一つの臺上に着いた時は、かの戦車群は、いつの間にか、五六百米の地点に廻りこみ、我を襲はんと、突進して来た。

 「射撃用意!」 張り切つた山田分隊長の号令、全員は別人の様に活発に行動、狙ひ定めて発射すると、忽ち、一臺、二臺と擱坐して行く。しかし、本隊の任務は急ぎ第一線へ進出することである。敵がひるんだ隙を見て再び友軍を追つて前進を開始した、だが敵戦車はあくまで執拗である。その機動力を発揮して凹地を縫つてせまり、野田隊を中心として大きな包囲体形をもつて猛烈に射撃して来た。

 我が方は、敢然応射、激戦数刻、二十数臺を破壊すれば、敵はかなはじと退却、我は、草叢に立ちのぼる戦車の炎上をあとに前進、漸く第一線に着いた頃は、夏の日も大分西に傾きかけてゐた。

 砲を据え壕を掘り、昨夕以来の空腹をみたし、ほつとした気持になる、山田分隊長を中心に、今日の難行軍、途中の戦闘のことなど話してゐるうちに、陽は赤々と燃えて全く地平線に沈んでしまつた。

 と、これが合図ででもあるかのやうに、遥か稜線の彼方、見えざる敵が長距離砲の猛火をあびせて来た。濛々たる硝煙、立ち上る砂塵に、天地晦冥敵状もわからぬ程になつた。

 折しも、前面に、鈍い機関の響! 山田分隊長は、きつとなつて自ら砲側によつた。

 敵状を監視すれば、闇中に、黒々とうごめくものがある。すはこそ、敵戦車の襲来。

 分隊長の号令一下我が砲も、時を移さず火を吐き始めた。適確なる射撃に、敵戦車は、次から次へと火焔に包まれ、あたりの草原を赤々と照らして行く。

 分隊の意気は、いよいよ昂り、分隊長の号令はいよいよさえて来た。

 ああ、しかしこの時である。薄暮を利用して進出、闇にかくれて潜伏してゐた敵チエツコ機関銃が、突如、思はざる所から、つるべ射ちに火を吐いた。

 山田分隊長が、ばつたり倒れた。

 一人が駆けよつて抱き起した。万歳のあと半分が、かすかにその口から聞えた。頭部を貫かれての見事な戦死だ。

 痛憤に燃えた分隊の砲弾は、いよいよ正確熾烈を加へた。忽ち、分隊長を奪つたチエツコ機銃も沈黙した。戦車も歩兵も、さんざんにうちまくられて退散して終つた。山田分隊長は、死して猶部下を励まし力づけたのだ。


          君が為散りし我が子は靖國の

               大和櫻と共に馨らん


 遠く郷里にあつて、分隊長山田上等兵の戦死公報に接した母堂は、この一首をよんで、分隊によせて来たのだつた。

   ◇

 戦場は、西方に、南から北へ、国境線ハルハ河が流れている。

 山田分隊は、その国境第一線を目指して進んでいたわけだ。

 我が子の死を、残された隊の仲間への激励に変えたお母さんの公的精神には敬服する。

 ノモンハンには「桜」も咲く。

 靖国神社の「遊就館」で見られると思うが、ドライフラワーのノモンハン桜は、小さく可憐な「桜」である。

 戦士たちは、そのささやかな淡い白い花弁に、桜を想ったのか・・・。

                                            (2010/08/15)
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[何かしら無理矢理に話す(8:かわいそうなぞう/かわいそうな子供/境界線/教育)]

2010-08-15 18:36:01 | 保守の一考
☆本日の産経新聞の「ひなちゃんの日常」は、ひなちゃんがお母さんに読んでもらった絵本「かわいそうなぞう」で、ひなちゃんよりも先に、読んでいたお母さんと聞いていたお父さんがが号泣してしまう、と言う話だった。

     

 「かわいそうなぞう」で泣けるところは、戦時中の食糧難で、動物園の象に食料を与えられないのだが、象は、芸をすれば食べ物を貰えると思ってか、空腹の状態で健気にも芸を披露するシーンだろう。

 小学生ぐらいの子が涙を流す定番の絵本であり、私も泣く。

   ◇

 私は、今回の「ひなちゃん」を読んで、母親に餓死させられた大阪の二人の幼児の悲劇を思った。

     《大阪2幼児遺棄事件 母親を殺人容疑で再逮捕 (2010/08/10 17:42)》

 事件の経過のニュースを聞くと、もう、この母親を「八つ裂き」にしても足りないと思う。

 母親の言で、置き去りをはじめてから、一度様子を窺いに帰宅したとき、二人には、いつもするハイタッチをする元気もなかった・・・、との言葉に、私は怒りを沸騰させた。

 なんと言うか、その、こんな言い方は陳腐だが、「愛」と言うものをなくし、それでいて自分の欲望には従順な、この母親の精神性に身の毛がよだつ。

 地獄の状況に、母親は、常識と著しくかけ離れた観点を持っているのだ。

 この母親の、無意識と言うか、人間として生きる、心の中にあろう優先順位の順逆の異常性に気付く事のない、これまでの人生で培われたモノに、私は絶望させられるのだ。

 その怒りの理由について、私は長々と書けようが、この二人の幼児は帰ってこないので、書いてもしょうがない・・・。

   ◇

 子供の虐待死事件・・・、どうにかなくせないものか。

 正直、戦後の日教組教育の、日本崩壊を根底に持つ教育に導かれた、「個人の権利」を大義名分とした「個人主義」の推進は、夫婦よりも、家族よりも、自分個人の権利(ではなく、欲望・・・)を優先している・・・、今後、このような事件はこれからも加速度的に多くなるだろう。

 保守派の「抜本的な教育改革運動」は、今現在、そこで苦しむ子供達のためには何ら機能しない。

 本当に、子供を命を助けたいと考えている硬派左翼(実際はもっとシンプルな思考で行なっているが、保守派に攻撃されるので左翼とする)の行なう「赤ちゃんポスト」などは、それでも間口が狭すぎる。

 子供駆け込み寺みたいのは、もっともっと作られても良い。

 私に莫大な金の余裕が出来たら、先ず、テレビのCMで、幼児には「逃げろ!」と訴えたい。

 理屈にかなわない「地獄状況」からは、ともあれ、他の大人の監視下に逃げてみて欲しい。

 その是非の判断は、児童相談所や警察が精査する(児相や警察の不手際もかまびすしいが、少なくとも判断のつかない幼児に苦痛の生活を続けさせるよりはまともな結果を生もう)。

 とにかく、子供には未来がある。

 死んでしまったら、良くなるものも、悪くなるものさえも可能性が消える。

 そして、先ずは、逃げた子供は、一般人のトコに助けを求めるだろう。

 一般の大人は、自分で判断せずに、警察に一言知らせようじゃないか。

 その判断をあなた自身でつけられると考える驕りは、先ず無くしたまえ。

   ◇

 私は、「かわいそうなぞう」を読むと、もちろん、涙を流す。

 しかし、基本的に、私は、人間と動物を圧倒的に区別している。

 極端に言うと、動物と人間を計りに掛けたら、即座に人間を生かし、動物を殺す。

 私を糾弾できる者はいないだろう。

 誰しも、そんな境界線を心に持っている。

 ペットは可愛がり、家畜は食卓にあげる。

 シー・シェパードなどは、クジラやイルカは生かすが、他の魚類は何の疑問もなく食す。

 ベジタリアンなどは、動物の肉は食わないが、植物は殺して食う。

 生物は罪深く、他の生き物を殺さなくては、生きていけないのだ。

 そして、私はだからといって、他の主義の奴を責めようとも思わない。

 ただ、他の奴らが、自分の主張を他の奴に押し付けようとするのが許せない。

 お前ら、自分が気付いていない、自分らの罪深さを自覚せよ! と、言いたい。

 世の左翼右翼思想を持つ者たち(保守の一部も当然に含んで)は、とかく、自分らの思想を全体に及ばせ、他の考え方の者や、力を持たない子供を不幸に導く。

 その思想を信じる自分らだけで、その主義を処理できていれば良いが、極端な野郎たちは、必ず、強硬な手段を持って、他の共同体を崩しに掛かる。

 私は、強硬な手段を用いる者たちには、強硬な手段を使って戦わせて頂く。

 それが、かつての日本の戦争であった。

 ・・・と、この話は横道に逸れるのでここまでで終える。

 ただ、本日は<終戦の日>なので、一言書いておいた。

 「強硬手段を用いてきた相手に、強硬な手段を用いざるを得なかった戦争」には、何ら咎められる理由はない。

 先ず、その相手の自省が先であるべきだ。

   ◇

 話が変わるが、これはネット上で何度も書いたことだが、私は以前(20年以上前)、八王子の駅前でこんな光景を見た。

 母と子の二人連れがいて、道に飛び出て車に轢かれそうになった子を、母親が怒っていた。

 その母親の怒るさまを、近くを通り過ぎたおじさんが見かね、「何もそんなに怒らなくても・・・」と意見した。

 すると、母親が、おじさんに振り向き、ヒステリックに叫んだ。「あなたは、この子の今後の行動に責任が持てる立場なのですかッ!? ちょっと見かけたからといって、偉そうに言ってこないで下さいッ!!!」

 「それにしたって・・・」と困り顔のおじさん。

 一番困っていたのは、訳のわからない状況が眼前で繰り広げられることになった子供だ^^;

 私は、そんな場面を見てしまって、色々考えさせられた。

 どっちが悪いとか答えが出せなかった。

 そして、それから、20年ほど生きてきて、いまだに、答えを出せない。

 人生の色んな局面で、あの母親は悪い・・・、いや、あのおじさんのほうも悪い・・・、などと考えさせられるのだ。

   ◇

 今回、いつにも増して、とりとめがなくてすいませんです^^;

                                              (2010/08/15)
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