懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み  呉服屋

2011年09月29日 | 古い町並み
撮影 倉敷市東町

呉服屋の前で犬がうろうろ、暑い昼下がり、どこで寝ようかと場所をさがしていた。
店の前で大男が犬の座るのを待ち構えているのでは落ち着いて休めない。
犬は迷惑そうな顔をして店に入った。店に入られては困る、暖簾だけの写真では味わいがない。犬がいてくれないと困る。私も我慢比べ炎天下で石になったつもりで待つ事とした。
なかなか動かないYes We キャンといわせてでも連れてこようとしたがじっと待つ事とした。三十分してやっと看板犬らしく暖簾の脇で座ってくれた。
関東織物の暖簾が見えますが絹織物はやはり関東なんですね。
ところで呉服屋てなぜ言うでしょうか、調べたところ呉機織物(くれはたおりもの)からきているそうで、中国の呉から職人が来て綾織物を織ったのに由来するのでしょうか。
北陸道を走っているといつも気になっていましたが呉羽パーキングエリアというのがあります。呉羽は呉羽紡績のあったところのようです。この名の由来は中国から織物職人が来日し大和朝廷に帰化したとなっています。
呉服屋は絹織物を扱う店だったようです。一方、麻織物や綿織物を扱う店を太物商と言っていたようです。池波正太郎の時代劇を読んでいますと太物商と言う言葉がよくでてきます。絹織物に比べて反物の巻きが太いので太物の言葉が生まれたのでしょうか。
布は昔、租税として納めていたそこから調布の名が生まれたそうです。東京の調布市は布の生産の盛んであった。調はしらべなどの他に「みつぎ」とも読みます。貢物にした布だから調布の名が生まれた。広島県に御調町というのがある。みつぎ町と読みます。(今は尾道に併合された)
和菓子に調布というのがありますが布を折りたたんだ反物のように見えるのでこの名がついたそうです。
話は余談だが租税には他に穀物や労働(力仕事)もあった。赤穂浪士の大石内蔵助の嫡男、大石主税、主税を「ちから」と呼ぶのは多くの人が労働を税として納めていたのに由来するのではと一人考えています。