遠軽駅は名寄線などオホーツク沿岸に線路があった頃は鉄道の分岐駅でにぎわったが今は石北線のひとつの駅になってしまった。
蒸気機関車の機関区もあった。
機関庫の写真を撮りに行ったが冬場の機関庫は扉で閉ざされていた。
北海道へはほとんど冬場に行っていたので機関庫の写真が少ない。
撮影していれば鉄道遺産としての記録写真がとれたのであろう。
この地方は雪は少ないが寒さは厳しい。歩くところはアイスバーン列車が動いている時に滑ると列車に轢かれる。
機関庫には気動車もアイドリングのままエンジンが掛かっている。
エンジンを切っるディゼルエンジンは再起動が難しい。
マイナス20℃では厳しくなる。
機関庫の中はエンジンンの排気ガスが充満している。蒸気機関車も炉内には石炭を残り火程度に投入して凍結防止をしてている。
私が会社に入った頃はストカ―焚きのボイラーが予備機でいた。
何時でも起動が出来るように石炭を残り火程度に投入し加温していた。これを埋火(まいか)といっていた。
この機関車は遠軽所属の機関車で名寄線の貨物列車だったのであろうか
石北本線はD51形蒸気機関車が牽引していた。9600形は補機に付く事が多かったのではないか
49699号機は蒸気機関車全廃の昭和50年まで配属されていたようだ。
大正時代の機関車が長く残ったものだ。
蒸気機関車の機関区もあった。
機関庫の写真を撮りに行ったが冬場の機関庫は扉で閉ざされていた。
北海道へはほとんど冬場に行っていたので機関庫の写真が少ない。
撮影していれば鉄道遺産としての記録写真がとれたのであろう。
この地方は雪は少ないが寒さは厳しい。歩くところはアイスバーン列車が動いている時に滑ると列車に轢かれる。
機関庫には気動車もアイドリングのままエンジンが掛かっている。
エンジンを切っるディゼルエンジンは再起動が難しい。
マイナス20℃では厳しくなる。
機関庫の中はエンジンンの排気ガスが充満している。蒸気機関車も炉内には石炭を残り火程度に投入して凍結防止をしてている。
私が会社に入った頃はストカ―焚きのボイラーが予備機でいた。
何時でも起動が出来るように石炭を残り火程度に投入し加温していた。これを埋火(まいか)といっていた。
この機関車は遠軽所属の機関車で名寄線の貨物列車だったのであろうか
石北本線はD51形蒸気機関車が牽引していた。9600形は補機に付く事が多かったのではないか
49699号機は蒸気機関車全廃の昭和50年まで配属されていたようだ。
大正時代の機関車が長く残ったものだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます