懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み  路地

2011年09月18日 | 古い町並み
古い町並み  路地


私は路地歩きが好きである。学生の頃から会社勤めの間も劣等感に苛まれてきた。陽のあたる場所よりこんな路地裏の風景に惹かれたのかもしれない。

路地の写真といえば19世紀のパリの路地裏を撮影したウジェーヌ、アッジェであろうか。売れない写真家であったがパリの裏町を丁寧に撮影した歴史的価値のある写真として高く評価されている。写真をやっている人ならば一度は聞いたことのある写真家である。
私もこの写真に感化された一人でもある。

路地は民家の間の狭い道、生活の為の道路、時には子供の遊び場になったり物を干したりの生活の場である。車が入れないので子供が安心して遊べる。
また土地の人しか知らない近道でもある。
男は路地の細い道を入って行った夜の飲み屋をよく知っている。
それはまるで誘蛾灯に誘引される蛾のようにするすると入ってしまうのである。
女性はこんな逃げ場のない狭い通路は本能的に避ける。
私は路地を撮影するに当たって「路地の定義」を考えて見た。
1.路地とは二メートル程度の車の入らない道である。
2.路地とは建物や塀で囲まれた通路である。
3.建物は板壁や漆喰、石垣など天然素材が望ましい。ブロック塀や新建材の場
合は撮影しない。
4.路地は子供の遊び場であり大人の語らいの場であり洗濯物や物を干す生活の場である。
5.路地は地元の人しか知らない近道であり生活道路である。
6.路地は子供がかくれんぼをする場でありみんなが画家になれる場である。
7.路地は猫も犬も好きな道
8.路地は大人になっても忘れない道

牛のいる茅葺き民家

2011年09月17日 | 茅葺き民家
牛のいる茅葺き民家


撮影はすべて島根県
牛を飼っている茅葺き民家に時々であるが、馬はさすがに少なくなった。耕作牛、耕作馬が機械化で必要なくなり牛馬を飼う家はへつた。それでも牛は農家の副収入てして飼う家は多かった。
牛の品評会で横綱をとるのは農家の誇りでもあった。
しかし、口蹄疫や放射線汚染の肉牛で厳しい経営がつづいている。
日本の畜産は今後も残るのか厳しい状況が続く
高齢化で牛を飼うのが難しくなっている。
牛舎には入れたままの牛も多い。女性では牛がなめてかかって動こうとしない。牛も犬と同様、人をランク付けする。
男性の言うこと聞くが女性は無視される。

写真は小屋の掃除、敷き藁 の交換で外に出されている牛を撮影。
いつ行っても外にでているわけでなく撮影するには数通うしかない。
放牧してやると牛のストレスも少なくなるが日本は濃厚飼料を与えて脂肪の多い霜降り肉をつくるため小屋で飼う。
牛舎は牛小屋を個別につくるのを外厩(そとまや) という。母屋に牛小屋があるのを内厩(うちまや)という。
中国地方の山間部は冬には一メートルの雪になるので
内厩(うちまや)が多い。東北ならば曲がり屋や中門造りで母屋の隅で牛馬も同居していた。
内厩の家で牛を飼っている家は今もあるが夏場は蠅、虻、ぶとに臭いに衛生的に現代人はだめです。

牛は朝鮮半島から交易のあった頃から日本に運ばれたと言われている。中国地方は今も牛飼いの文化が残っている。現在朝鮮半島から運ばれた牛の遺伝を受け継いでいるのは山口の見島牛と鹿児島の口之島牛の二種類と言われている。形は現代の和牛に比べてはるかに小型である。
現在の和牛は明治以降、外来種と交配させたもの。
和牛の定義は日本で生まれ日本で育った牛だそうだ。

特に農耕用の雄牛は男しか扱えなかった。牛を従順にさせるために碁盤に乗せる競技がある。一尺画の将棋盤に四本の足をゆっくり乗せ静止する。いまもこの伝統を守る農業高校がある。
雄牛の事を「こっとい」と言う。牛自体をこっとい、こってえと言う地方もある。
こっといは特牛と書く。広辞苑にも載っているしパソコンでも「こっとい」と入れれば特牛と変換されるものもある。

鉄道ファンならばだれでも知ってる難読駅名に特牛駅がある。山陰線の山口の西の端にある。道路標識も「こっとい」と書かれている。

東北では牛の事を「べこ」という。べろをべろべろやるからこの名がついた。わんこ、にゃんこと同様に牛も愛称化している。

蒸気機関車  日豊線南延岡駅

2011年09月17日 | 蒸気機関車
蒸気機関車  日豊線南延岡駅


昭和43年秋、書店で蒸気機関車の写真を眼にした。
首都部では蒸気機関車が廃止されるのでブームになるのを知った。
働いていたのは九州の片田舎、生まれたところは電車も走っていない田舎。
同級生で鉄道に興味があるのは皆無であった。
都会の人は鉄道研究会などに入り子供の頃から鉄道に興味をもっていたでしょうが、私はすでに成人し働いていた。
蒸気機関車は一世紀以上に活躍し近代化を支えた。
廃止に伴いSLブームが起きてその数は百万人ともいわれている。
わたしもその一人であった。
そんな蒸気機関車も昭和50年末に終焉を迎える。

しかし、現在、蒸気機関車がJR各社で復活していて大人気である。
今のカメラは鉄道を撮るのに出来たようなカメラである。
私の撮影していたころとは隔世の感がある