懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み 水辺の民家

2011年12月21日 | 古い町並み

倉敷市玉島の溜まり川周辺の民家をおおくりします。
玉島の河口部の海抜は一メートル以下と言われている。
高梁川の洪積地帯で溜まり川の池もその名残りと思われる。
溜まり川と呼ばれている池がありかっては生活排水の流れ込みで汚染がひどく魚も少なくなっていた。池や川にはゴミの投棄もあり汚い川であった。
低い土地のた大潮時には海水の逆流があるので各所に水門があり干潮に人手で排水をしていたそうだ。
現在は溜まり川周辺には公園もでき環境意識向上に役立っている。下水道の普及で水質は次第に良くなっている。
環境改善に伴い周囲には新興住宅も立ち並ぶようになり鴨などの水鳥も飛来し魚も棲めるようになった。
川に杭を打って建物の基礎にした民家もあった。東南アジアの民家のようで積極的に撮る気にならず今思うと残念である。






吊り橋

2011年12月20日 | 旅行
谷の深い渓谷や橋脚が川の流れを阻害するところで通行荷重が軽いところには吊り橋が設置されている。
海峡を渡る大型橋は吊り橋が多いが一般には橋脚の並ぶ橋がほとんどある。
昔からある集落を結ぶ吊り橋は味わいがある。
川が深い地域には吊り橋が今も残る。和歌山県や三重県は谷の深い集落があるので多いように思う。
石橋に始まり橋をテーマに撮影している人がいるようだ。
私も旅行の途中、片手間で懐かしい風景に出合えば停まって撮影することにしている。


撮影場所 広島県府中市






撮影場所 和歌山県日高川町




茅葺き民家  楠のある民家

2011年12月19日 | 茅葺き民家
楠の大木のある茅葺き民家、撮影場所 岡山市

楠は大木が多い、樟脳が取れるように殺虫効果のある成分が含まれていて虫が寄り付かないのも一因であろう。

私も各地を旅行するので楠の大木をいくらか見てきた。
日本一の幹回りの鹿児島蒲生町、蒲生の大クス、佐賀武雄市の川古の大クス、大三島の神社の大クスなど

楠の木の剪定のため大枝を切った木片、タンスなどに置いておくだけで防虫剤になるそうだ。
根が近くの畑まで伸びると大根やニンジンの根物は臭くて美味しくないそうだ。

楠は温暖な地域に多く、西日本、特に九州に多い。
楠は庭にも勝手に生えてくる、鳥が種を食べて糞と一緒に落し発芽するのであろう。
人間には食べられるものではないが鳥には害がないのが不思議である。








蒸気機関車  日豊線鉄橋

2011年12月17日 | 蒸気機関車


撮影場所  宮崎県佐土原周辺 C57形蒸気機関車、門デフ

佐土原駅に帰る途中、雨が降ってきた。上りの貨物列車が通る時間であった。
雰囲気のよい川と橋があったので待つ。
暗くなってきたそれでもシャッタースピードは1/125秒はほしかった。
西の空が明るくシルエットになるがやむを得なかった。
自然が残る川で木々が生い茂り河童の居そうな川だった。

鉄橋も人気のある撮影場所のひとつである。
このブログのジャンルにも鉄道がある。鉄道ファンが大変多いの投稿数も多い。
投稿を見ていると電車や機関車が進んでくるのを正面から撮ったものが圧倒的に多い。
鉄道写真は電車の写真ばかりではないはず。

私も鉄道を撮影していた頃は若かったのでやみくもに機関車ばかり撮っていた。それも撮影ガイドブックを見て撮影していた。
鉄道写真を撮る前に鉄道は何のためにあるのか、鉄道設備には何があるのか、鉄道で働いている人の仕事はどんなものがあるか、車両の種類、沿線の風景にはどんなものがあるか、五百項目位を列記してみるのがよい。

その中から何にポイントを絞って自分独自のテーマを持った方がよいと思う。
それと数値目標にできるテーマがよいと思う。

たとえば
1.列車が鉄橋を走る風景を1000箇所撮影する。
2.踏切を列車が走る光景を1000箇所撮影する。
3.駅に列車が停車、通過している風景を1000箇所撮影する。
4.機関車を1000両撮影する。
5.駅の通勤、通学風景を1000箇所撮影する。
6.車内風景を1000箇所撮影する等。
1000という数字は千くらい撮れば継続する強い心が生まれる。また知識も増えるし発展的に周囲の事が見えてくる。信念や思想も生まれてくるはず。
私は車椅子生活のため鉄道写真は撮れないし今は別のテーマを持っているので、言いたい放題で申し訳ありませんが
誰か日本の鉄橋千箇所にチャレンジ下さい。

茅葺き民家  奈良県生駒市の民家

2011年12月16日 | 茅葺き民家
奈良県のこんな茅葺き民家は大和棟とよばれている。
形は切妻造りで屋根の両脇は瓦で中を茅葺きで葺かれている。
奈良を中心に大阪、京都の一部でみられる。
いわゆる畿内で受け継がれた建物である。

妻側の壁は大壁で柱は土で塗り固められている。大壁というのは柱を土で塗り込んだもので中国の壁の様式といわれている。
奈良時代に中国から建物の技術も取り入れられ今もそのまま残っているともいわれている。

日本の建物は柱を表面に出し柱の間を土壁で塗る真壁造りである。

ここの家に住まれていた奥さんがこの家はアメリカ合衆国の1.5倍の歴史があると言った。
300年の歴史があるそうだ。
基礎部や柱を見ると枯れと虫食いでかなり強度が低下していると思った木造建築は200年に一回は解体し部材の更新が必要である。

法隆寺も何度も解体補修して1400年維持されてきた。
解体補修する人(加護する権力者、大工、労働者)いたから維持できたのである。
姫路城は荷重も大きいのか50年で解体補修しなくてはならない。世界遺産の維持も大変である。






蒸気機関車  室蘭本線栗山

2011年12月15日 | 蒸気機関車
冬の室蘭本線栗山駅発車のD51貨物列車

室蘭本線も苫小牧の周辺は雪が少ないが栗山や栗丘は雪が多い。
貨物列車も無蓋車を牽引している。無蓋車で木材や鋼材、土砂、レンガ等を運ばれる。
駅周辺で撮影するのは寒い日は楽である。雪道を歩くの疲れるし寒風にさらされて汽車を待つのも辛い。駅の近くで撮影するのは汽車がくるまでストーブの前で時間をつぶす。寒さのしみ込んだ身体に石炭ストーブの温かさは足らない。
横着ばかりが身につく、食べ物も駅の売店の立食いそばやパンなどばかりご飯かおにぎりがほしかった。温かいトウモロコシが美味しかった。






古い町並み  玉島長尾

2011年12月14日 | 古い町並み
倉敷市玉島長尾は新倉敷駅の北側で通り沿いに古い町並みがあった。
岡山県に住んで思ったのは重厚な本瓦葺きの町並みが旧道や山裾に沿ってあちらこちらに残っていた。
それまでに住んだところにはそんな町並みはすくなかった。
倉敷のように昔から伝統のある町並みでなく、昔からの生活の町並みが残っているのがうれしかった。
漆喰やナマコ壁、虫篭窓の民家が維持されているのがよかった。
こんな古い町並みの残っていそうなところはそれとなく判る。
まず道が狭い、旧道や山際に沿って家が立ち並んでいる。遠方から見ると黒い民家の塊に見える。
長尾も駅の裏側で開発もされずのこったと思われる。
こんなところが昭和40年代にはまだ沢山残っていたと思う。








茅葺き民家 寂びれゆく集落

2011年12月13日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県加茂町倉見

加茂町倉見 以前は330人が住み小学校もあった。
しかし、ダムが出来て村を去る人が増えた。冬には雪が一メートルも降る年もある厳しい環境でもある。
私が訪れた頃は茅葺き民家も10軒以上残っていた。
しかし、住んでいるのは50代から上の世代で学校も閉校になり地元の人が縫製の仕事をしていた。
その縫製もできる人が減り人の気配のない姿になった。
この家もお婆さんが一人で住んでいた。
息子さんは四国に住んでいて折々に帰ってくれるといっていた。やがて茅葺き民家はカーテンが引かれ生活の気配が消えた。

何年かして行ったら二棟の茅葺き民家は消えて更地になっていた。
現在集落がどうなっているか記録したいがあれだけあった茅葺き民家も消えたと思われる、ガソリンを使ってまで行く気になれない。私自身歩く事ができれば消えていく集落も記録するだろうが行動に大きな制約のあるので取り組めないテーマである。
この集落に限らず日本の山間地の抱えている問題である。






蒸気機関車 新見機関区

2011年12月12日 | 鉄道
新見機関区に蒸気機関車が沢山いた頃の扇形機関庫の写真です。
新見機関区の場所が正確にどこにあったか思い出せない。
新見美術館に行った時に上から眺めるがはっきりしない。
新見機関区には伯備線、姫新線、芸備線の機関車が立ち寄るので蒸気機関車は機関庫や周辺に沢山いた。

機関庫がまた注目を浴びている。津山機関庫にも見学者が訪れている。
ほとんどの機関庫はSL全廃後に撤去されたが少しは残ったのもある。
大分県の大分道、玖珠I/C近くに森機関庫が廃墟のように建っている。
ガラス窓は子供が石を投げて割ったのであろう。草は生え放題の廃墟
それが最近見直され整備されマニアのスポットになっている。
機関庫などが見直される背景には1990年代に近代化遺産や有形文化財の制定された事もある。
それと廃墟ブームであるうか。廃墟ビル、廃坑、廃線にマニアがカメラを持って出かけた。

蒸気機関車が活躍していたころに機関庫や木造駅舎にスポットライトが浴びるとは想像しなかった。
未来を想像するのは難しい事である。











古い町並み  二人乗り自転車

2011年12月11日 | 古い町並み
撮影場所 岡山市庭瀬

夫婦の自転車二人乗りの風景

御主人が奥さんを乗せて移動中、横乗りである。
こんな風景も昭和の消えた風景のひとつであろう。
みんなが乗用車を持っていない時代。
昭和の女性はスカートを履くことが多く荷台に跨るのははばかられた。 
座布団を敷き横乗りに乗った。横乗りは転倒した時、特に後ろ側に倒れると大けがをする不安定な乗り方である。
奥さんを乗せて転倒しそうになった時、奥さんを一番にかばう、同時に倒れる、自分だけ助かる。
対応いかんでは夫婦関係にヒビが入る。夫の真価が問われるところでもある。

現在は自転車の二人乗りは禁止されている。(子供を専用の座席に乗せ時は三人乗り可)、他に傘をさして乗ること、飲酒運転、携帯電話の使用も禁止されている。

女子高校生がスカートのまま荷台に跨り二人乗りしている光景を見掛ける、信号待ちしている時に跨ったままの女子学生が多い。30年前までは信号待ちは自転車から降りて立っていた。
生活様式や生活習慣は時代とともに変化している。