懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,441 広島県旧世羅西町民家

2018年04月11日 | 日本茅葺紀行
西世羅町は現在は世羅町と合併し世羅町とにっている。
駅伝の世羅高校で世羅町の方が名が通っている。

世羅町にも世羅西町にも茅葺き民家は点在していた。今はどれほど残っているか最近は行っていない。

この一帯は400mくらいの高原の平野である。
こんな地形がどうしてできたのか不思議である。
工場誘致をすれば安い土地代で確保できる。しかし、大きな川がないため水には苦労するだろう。大きな川がないために浸食されずに準平原が保てたのかもしれない。

ブラタモリではないが旅行しても地形地質や岩石を知っていれば随分楽しみが増える。
健康であれば各地0を訪れ地形や岩石の写真を撮っていく。
フィルムではこんな写真は撮る気がしなかった。
今ならばデジカメなので各地の地形、岩石の写真4をを撮るのも面白い。

秋田県の象潟は芭蕉が俳句に読んだ頃は海辺に浮かぶ島だったのが今は随分隆起して場所が分からず右往左往した。海岸付近をさがしていたが分からなかった。思ったより内陸部に隆起していた。芭蕉の時代から何回地震があったのかと思ってしまう。
「象潟や雨に西施が合歓の花」
高校の国語の時間に先生が見た事のあるような口調で絶世の美女だったという西施を語ったので未だ覚えている。

私の昭和鉄道遺産 その68 C57門鉄デフ

2018年04月10日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 日豊線南延岡機関区

ネガを見ていたら南延岡機関区にC57型蒸気機関車の門鉄デフ(門司鉄道管理局の改造デフレクター)を付けた機関車が写っている。
C57112,C57117である。
C57型やC55型の門鉄デフはスマート格好がよい。

鉄道写真を撮るにしても同じ型式の機関車を撮るとか門鉄デフを撮るとかナメクジ型D51を撮るとかテーマをもって撮影すると面白かっただろう。
そんなジャンル別に撮るには全国だと10年は掛かるだろう。

何を撮るにしてもテーマを持つこと自分の得意な分野を持つこととあきらめず根気強くやる事であろうか。



懐かしい物 鉄道沿線の民家

2018年04月09日 | 懐かしい物
撮影場所  兵庫県福崎周辺 播但線沿線

播但線の蒸気機関車のネガの中に鉄道沿線の農家を撮ったものだ何枚もない。
フィルムが惜しいので民家はなるべくなら撮らなかった。

それでも写真が残っていると昭和46年当時の農家の造りがよくわかる。
ほとんどの家が日本瓦で壁は漆喰である。鏝絵を施している家もあったと思う。
茅葺きでなくても瓦屋根の民家でも現代とは違う。ほとんどが天然素材の家であったと思う。

漆喰は痛みやすく塗り替えや補修も必要である。こんな手間のかかる事をする職人も少ししかいないしコストもかかる。

それにしても時間の経つのは早いものだこれを撮って45年、仕事を初めて50年以上
生きていいた時代をもっと真剣に生きで観察しないと行けなかったな。惰性で生きていた事が多かった。

茅葺民家 水車のある家

2018年04月08日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧阿波村

農業用水が流れていたそれに水車を設置して回っていた。
この茅葺き民家も無住になり茅は痛み水車も朽ちていた。
天然素材の寿命は20年である。
いままでは20年で更新し茅葺きも水車も維持されてきた。
この民家も蔵も撤去されて更地になった。
住む人もいなくなり20年で時代は変わった。
動物の多くは生きても20年である。
人間だけは長生きしすぎて色々と見過ぎてしまう
一世紀も生きて時代を見て来た人も居る。

こんなに長く生きるのが分っているのなら自分の生きた時代を記憶に留めておくべきだった。あんたの記憶など当てにならない。記憶ではなく記録に留めておこうといわれているようだ。

日本茅葺紀行 NO,440 春の訪れ

2018年04月07日 | 日本茅葺紀行
撮影場 島根県安来市

茅葺き民家と春の風景を求めて走る。
一日走っても10軒ほどしか茅葺きに出合わない。

それも何度も撮った家である。
同じ家をまた撮る、家内もまた同じ家を撮るアホかいう顔をする。
車の中から私が撮れるテーマがない。

カメラなど撮るのをやめてもいいと思っている。
家に籠ってばかりでは刺激がなくボケが進むのが怖い。

外にでて各地の人と話をすれば刺激にもなりブログのネタもいろいろ拾えるのだが。

茅葺き民家を新しく発見すれば感動も生まれる。
いままで発見の都度感動があったと思う。
人間は感動を一杯もったものが勝ちのように思う。

  

蒸気機関車 函館本線小沢周辺

2018年04月06日 | 蒸気機関車
二つ目の9600型蒸気機関車の牽引する貨物列車が峠越えに臨む。
函館本線は日本海に近く厚く雪の残る線路脇や山の斜面、まだ春には時間が掛かる。

列車の通り過ぎた風景も面白い。
寒いので蒸気機関車の煙突からは蒸気も煙も一杯である。
風向きによっては機関車をすっぽり隠してしまう。゛

懐かしい物 縁側障子

2018年04月05日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧勝山町

茅葺き民家の縁側、戸は障子だ。裸電球も見える。
木も時間か経過しているのか木目や枯れが見える。
基礎のコンクリートはなくアンカーボルトもない。
地震や台風に耐えてきたものだ。柱を石に置いてあるだけだ。

こんな味のある昭和の民家を探すのが難しくなってきた。
平成の時代に昭和に巡り合えるのは嬉しい。

中年になり自分の生きた痕跡を残すために各地の茅葺き民家を追ってきた。
今の様に歩けなくなってはなにもできない。
定年になってゆっくり出来る身体ではなくなった。
やろうと言う気になった時がチャンスである。









真澄(ますみ)

2018年04月03日 | 日記
介護施設に行って雑談をしていた。

還暦を過ぎてもパートで働いている看護師さんがいる。
昭和歌謡でどんな曲が好きかと尋ねたら「丘を越えて」が好きだという。自分の名前がでてくるからという。
真澄の空の部分にでてくる真澄が自分の名前なのだ。
自分が生まれた日は雲ひとつなく快晴であった。まさしく真澄の空であったのでこの名を親がつけた。へぇと聞いていた
真澄の意味をこの話を聞いて初めて知った。人間は何歳になっても知らない事だらけである。
PL学園 巨人の桑田投手も名前は真澄だ。岡田真澄というハーフの二枚目の映画俳優がいた。色男でドンファンといわれていた。

丘を越えては昭和6年に作られた。生まれるずっと前の曲だがよく知っている。
you tubeで何度も聞いた。藤山一郎の唄や明治大学のマンドリン倶楽部の演奏ものが良い。

青い山脈と共にこんな曲は息子の世代でも日本人なら皆んな知っている。古賀政男は軍国に傾いている時代にこんな明るく軽快な曲を作ったものだ。リンゴの唄もサトウハチローは太平洋戦争の激戦の時代に作っている。平和な時代が来れば受け入れられる唄を戦火の中でも考えていた。
真澄の「ま」は「「まほろば」のように美称の意味もあるのではと調べたらそのようだ。
真清水、真葛、真麻の言葉もあるようだ。より強調する時に使われたのか 若者言葉の真逆もおかしな言葉と思ったが強調の意味もあったのか。
「ま」とともに「み」も美称に使われる。同じ空でもみをつけて青空になる。靴が鳴るの歌詞に青い美空に靴が鳴るがある。
岬の「み」も瑞穂の国の「み」も美称だそうだ。

日本語も難しいものだ。

丘を越えて 歌詞  歌は藤山一郎 作曲 古賀政男

  丘を越えて行こうよ
  真澄の空は 朗らかに晴れて 楽しい心
  鳴るは胸の血潮よ 讃えよ わが青春(ハル)を
  いざ行け 遥か希望の 丘を越えて













茅葺き民家 モノクロ 京都市左京区の民家

2018年04月02日 | 茅葺き民家
撮影場所 京都市左京区広河原

京都市と言っても京都の中心地から一時間半も掛かる山の中である。熊も棲息している。
京都の民家は端正である。
棟に千木が乗り棟木も載せているいるので格調がある。
京都らしく株杉を植えてある。庭園や料亭の庭に植えてあるのを個人の民家にも植えている。
いまでも古い民家は植えられている。
山はほとんどが杉を植えている。

花粉症は多いのか慣れっこになっているので少ないのか知りたいものだ。

夕暮れで陽が傾きかけている。ここから岡山まで一般道で帰るのかと思うと気が重い。
岡山は京都から神戸を過ぎて姫路をすぎてまだ向こうだ。

日本茅葺紀行 NO,439 佐賀県春の風景

2018年04月01日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 佐賀県鹿島市

佐賀県の春の風景、菜の花や梅の花 田には麦が少し伸びてき始めた。
茅葺き民家の見られる風景も少なくなってきた。
行く都度減ってくる。
また撮りにくればは通用しない。時代がどんどん変わっていく。
何かを追いかけて撮影している人か関心のある人でないと時代の変化に気付かない。
自分の住むところもあそこに新築の家が建った。道路や橋ができた桜の花が咲いたとか高齢化するほど関心を持つことが必要である。

カメラを持って町の風景や野山の草木を探すのが一番良いと思う。
何か一つテーマを持って記録していくことだ。
ネットでブログやホームぺージで検索するとありとあらゆる分野でマニアはいる。
熱中マニアの人の話は面白い。
私もジジイだが何かに熱中、燃えている老人のブログいいなあ。