京都府南丹市から峠を越えれば福井県の名田庄村に入る。
これを進めば小浜市に至る。小浜行けば魚の市場がある。
魚市場は見て回るだけで楽しい。
今は舞鶴自動車道が敦賀まで延線されているので走りやすくなった。
しかし民家は高速道沿いになく目の前を鹿が走って行った事がある。
名田庄村は雪も降るので茅葺民家の勾配がきつい。こんな民家も数は減らす事だろう。
京都府南丹市から峠を越えれば福井県の名田庄村に入る。
これを進めば小浜市に至る。小浜行けば魚の市場がある。
魚市場は見て回るだけで楽しい。
今は舞鶴自動車道が敦賀まで延線されているので走りやすくなった。
しかし民家は高速道沿いになく目の前を鹿が走って行った事がある。
名田庄村は雪も降るので茅葺民家の勾配がきつい。こんな民家も数は減らす事だろう。
平成の時代になって神奈川県に茅葺民家があるの?
疑問に思っていたが各地で絵を描いたり写真を撮っている人がいる。
二人の人から教えてもらい撮影に行く。
カーナビも無しで関東の都市を走るのはいやだった。渋滞や車の多さに心配だった。
しかし行ってみるとそんなに我々のところと変わりがないのがわかる。
しかし住宅ばかりの中の茅葺民家を探すのはむつかしい。
よくしたもので住宅地の真ん中には茅葺民家はなく山裾や田畑が隣にあり敷地も一反はある。
農家の人の暮らしは都会の近く人もド田舎も変わりないとおもった。庭にはムシロで豆を干していた。
久しく関東には行っていない厚木から圏央道経由で東北に行って以来行っていない。
自分は運転できないので周囲から婆さんをこき使いすぎと言われ自粛している。
茅葺民家は採光窓があり養蚕農家だったのだろう。
家内があるところにこんなのを貼ってあり携帯で撮ってきた。
ネットにもたくさん書き込みがされているようだ。テレビの笑点の大喜利で話題になったようだ。
記事を転記させてもらった。
1、 道路 を暴走 するのが 18 歳 道路 を逆走 するのが 81 歳
2、 心がもろい のが 18 歳 骨がもろい のは 81 歳
3、 偏差値 が気になるのが 18 歳 血糖値 が気になるのが 81 歳
4、 受験戦争 を戦っている のが 18 歳 アメリカ と闘っているのが 81 歳
5、 恋に溺れるのが 18 歳 風呂 に溺れるのが 81 歳
6、 まだ何も知らない のが 18 歳 もう 何も覚えてい ない のが 81 歳
7、 東京 オリンピック に出たい という のが 18 歳 東京 オリンピッ クまで生きてい たい という のが 81 歳
8、 自分 捜し の旅をしてい るのが 18 歳 出掛 けたまま分からなく なって皆が捜しているのが 81 歳
9、 「嵐」 という と松本 純と言うのが 18 歳 鞍馬天狗 の嵐 寛寿郎を思い出 すのが 81 歳
なかなか面白いセンスがある自分も何個か考えても見た。
1.カードを使いすぎて全資産 3000円が18歳 資産が3000万円あっても老後のために貯金するのが81歳
2.オシッコが1.8メートル飛ぶのが18歳 8.1センチしか飛ばずズボンを濡らすのが81歳
3.同じ字でも惚(ほれる)と読むのが18歳 惚(ぼける)と読むのが81歳
4.LINEで繋がったのが18歳 赤い糸で繋がったのが81歳
撮影場所 北海道長万部
函館から函館本線で来た列車は長万部で室蘭本線、千歳線経由で札幌を目指すのと山岳の函館本線に分かれる。
優等列車は平坦で複線の室蘭、千歳ルートで運航行されている。
D52型蒸気機関車も線路規格の高い室蘭線と長万部以南の函館本線を走っていた。
大型機関車のD52型はここの路線しか残っていなかった。
D51型より一回り大きかった。大きいといってもトンネルや橋梁がありギリギリの大きさにしかできなかった。その僅かな大きさの違いにも鉄道ファンは感動するのだ。
D52の牽引する貨物の長さにも感動した。
整備新幹線の北海道新幹線は長万部から現在の函館本線のルートに近いコースを通る。
トンネルが7割の山岳コースで小樽を経由して札幌に入る。距離的にはこれが近い。千歳を通らなかったのは飛行機の利用者を便利にしないためか?
撮影場所 兵庫県神戸市北区
茅葺民家と藁を積んだ藁グロを撮った。
藁グロは各地で呼び名が違う、それを調べブログにまとめた人がいる。
他人の書いたモノなので見たい人は検索ください。
撮影して10年くらいしてこの家を探したがわからない。
訪れたときは金婚祝の寄せ植えがあったのでかなり高齢になっていたと思う。
柿木もあり柿木と茅葺民家を撮りたかった。
藁は昔は貴重な材料で藁グロで春まで保存して倉庫に収納した。
用途は畳、縄、ムシロ、カマス、牛馬の餌や敷き藁、土壁材、農作物の敷き藁や防寒、たい肥など需要が沢山あった。
老人とパソコン
1995年のwin95の発売から会社や個人にパソコンが普及した。会社で勤めている以上はパソコンを使う環境になってしまった。
年寄にパソコンは無理だろうと懸念していたが85歳以下の人は使いこなす人が多い。
パソコンが普及し始めて25年近くになる。それでもパソコンは金が掛かるものだ。
長い時間つけているので寿命が短い。私も買い替えは六台目である。
パソコンは接続費を含め一台15万円掛かって6台で90万円である。通信費に年間6万円で150万円 合計で240万円もかかっている。私はフィルムスキャナーや大型プリンターなど買っているので50万は掛かっている。290万もパソコンに掛かっている。
現在の私のパソコンの使い方はネットやホームページブログの閲覧が中心で暇つぶしが中心である。しかもスマホでもネットやブログは読める。双方の通信費は期間が長くなると馬鹿にならない。
同じ暇つぶしでもテレビは安いと思う。テレビは故障しない10年以上は持つ。25年で2台買えばすむ。
しかもNHKに支払いは年1.3万の25年 34万円くらいだ。テレビ代と通信費が54万円ですむ。
パソコンは優れた機能を持っているが私のようなパソコンの知識のない者は使っている機能は1パーセント以下であろう。オフィスは別売り3.6万もする。あんなの付けずに以前のパソコンXPもoff-lineで使っているそのオフィスで十分だ。ネットやブログを見るだけなのでネットが見えるだけのパソコンかスマホで十分なように思う。
パソコンは金喰い虫だと思う。何歳までパソコンをやるか、詐欺や老人を騙すサイトも多くなっている。
定年後はパソコンが必要であった。衣装箱に8箱分のネガをフィルムスキャンし電子化しないといけなかった。これは8年で完了し終わったものから写真展をやった。大型プリンターでプリントし5回の写真展をやった。写真展は会場を個展やタダで貸してくれるところがなくなり人の協力なしではできないので止めている。
パソコンはネットやブログを見るだけの活用でよいのかと思う。ブログも他人の行動のため余り記憶に残っていないものだ暇つぶしで読んでいる。自分も暇つぶしで書いているから相手にも心に残るものがないと思う。
ネットを見るだけでなくもっと作品作りに時間を使いたいものだ。
ワードで作成してプリントし製本すれば本にしてくれるサービスもある。
別のテーマでの写真展の編集を残りの人生を捨てずにやってみたいものだ。
撮影場所 岡山県旧勝山町
雪と茅葺民家の写真を撮るために県北部にいく。
除雪をしてくれてないと先に進めない。乗用車は座高が低く20センチの雪で腹を擦り進めない。
雪の降るところでも故郷を捨てずここに住んでいる。
平成の時代は限界集落、消滅集落、一局集中、空き家の増加の言葉が生まれた。
山の中のポツンと一軒家という番組がある。寂しいが一人で夫婦で暮らしているが惨めさはなく地域や家族の繋がりも強く古き日本の家庭を思いださせる。いつも家族の絆を感じるいい番組だ。
トタン板は気温が上がると雪はずりの落ちる。茅葺民家は抵抗値が大きいのでずり落ちない。
撮影して20年以上経過するとどこで撮ったかも忘れてしまう。
大まかな場所と撮影年月日はスキャンした映像データーに書いてあるが詳細はは記録していない。フィルムの袋に現像が終わったら書かないと忘れてしまう。
茅葺民家の撮影は人の生活の場に入り込んで撮影する。今ならば個人情報の問題でお叱りを受けそうだ。
時には泥棒に間違えられてもおかしくない。
地元の人や住人に聞かれたらはっきりと撮影の目的を説明しなければならない。
地元の人の会話から話のネタや茅葺の所在の情報をえる。
定年退職して全国各地を歩き撮影と会話は絶好のブログネタだと思う。
優先列車を待つため停車していた貨物列車、乗務員も外にでて休憩していた。
発車時間が近づいたか運転席に乗り込むところだった。
蒸気機関車は電車のようにすぐに発車出来ない。蒸気圧力を見て燃料を投入しなければならない。
貨物の重量や登り勾配を見ては石炭量の投入量が決める。
こんな貨物列車も見なくなって久しい。機関車と共に昭和で消えた風景の一つであろう。
機関車の前に付いている除雪装置はスノープラウといわれ雪のシーズンに半年近く装着される。
撮影場所 福井県旧名田庄村
この歳になって悔やまれるは自分の生きた昭和の時代をなぜもっと正確に撮影しなかったのだろう。
この橋も撮影したのは平成になってからである。
昭和40年代にいくらでも時間があったのに行動を起こしていない。
ずいぶんボケーと生きてきたように思う。
写真展などで他人のやっている事を見て人に話を聞き本を調べでどんなテーマで撮るか決めないといけなかった。我流ではなく先生についてしっかり勉強すべきだった。
昭和の人々の暮らし住居、商店街、農村風景をリストアップして撮影しないといけなかった。
精神的にも軟弱で継続できない。自分は昭和を撮り続けて定年になれば写真展や本をだすと目標を持たないといけなかった。
人間はその時には気づかないものだ。後からやっと気付き何でも言える。
人生晩年になれば反省ばかりあの時に撮影しておけばあの時に株を買さておけば売っておけばと悔やむ事ばかり。
それでも嫁に離縁されず子供に見放されず生活できていればヨシとするか。