今朝の読売新聞の「ぷらざ」欄に中学生になった息子さんが庭にいたお母さんに、今までは「ママ」と呼んでいたのにお母さんと呼びかけてびっくりした言う事を書いていました。
やっぱり中学生になると、ママというのは恥ずかしいのかな。
私も思い出しました。
長男が小学生時代はママと呼ばれていたのにある日突然「母ちゃん」と呼ばれたのです。
「母ちゃん」でなく「おを付けてよ」と言ったのです。息子は親しみをこめて言っているのだからとおを付けて呼んでくれません。(今でもそうです)
その後「星野富弘美術館」に行った時にお母さんのことを詠んだ詩に目が止まりました。
書いてみますね。
お母さんと呼べない
ましてお袋なんて呼べば、紙ぶくろみたいにしわだらけになって
とんでいってしまいそう。
かあちゃん、かあちゃんと呼ぶ度に、母はますます母ちゃんになっていく
かあちゃんこれからも何度呼ぶだろう。
という詩です。
私この詩に出会った時に、そうなのかと息子が母ちゃんと呼ぶのに納得しました。
52歳になった息子今でも、私のことは母ちゃん、主人のことは父ちゃんです。
人に話す時にはお袋。オヤジと言っているのでしょうが。
やっぱり中学生になると、ママというのは恥ずかしいのかな。
私も思い出しました。
長男が小学生時代はママと呼ばれていたのにある日突然「母ちゃん」と呼ばれたのです。
「母ちゃん」でなく「おを付けてよ」と言ったのです。息子は親しみをこめて言っているのだからとおを付けて呼んでくれません。(今でもそうです)
その後「星野富弘美術館」に行った時にお母さんのことを詠んだ詩に目が止まりました。
書いてみますね。
お母さんと呼べない
ましてお袋なんて呼べば、紙ぶくろみたいにしわだらけになって
とんでいってしまいそう。
かあちゃん、かあちゃんと呼ぶ度に、母はますます母ちゃんになっていく
かあちゃんこれからも何度呼ぶだろう。
という詩です。
私この詩に出会った時に、そうなのかと息子が母ちゃんと呼ぶのに納得しました。
52歳になった息子今でも、私のことは母ちゃん、主人のことは父ちゃんです。
人に話す時にはお袋。オヤジと言っているのでしょうが。