今日は日曜日でした。
でもチョコパンがご出勤だから毎日と同様に
早くおきて、弁当も作ります。
ところが、 目が覚めたら 久しぶりの頭痛。
頭痛があっても起きねばならない主婦は
頑張って起きました。
寝る前に一気にカンチュウハイを飲んだけど
二日酔いになるような量じゃないし・・・
誘発しちゃったのでしょうか、 だるくて
起きている自信がありません (今夜大きな地震がありました。
築50年の家は倒れるかと思いました)
母にパンとゆで卵とヨーグルトとホットミルクをだし、
チョコパンに卵ハムサンドをつくり、
そこで、ギブ!
弁当を作る力が無く
チョコパンに声を掛けて
ダウンしました。
朝 偏頭痛の薬を飲んで午前中寝てました。
母に昼ご飯を出さないといけないので
母が昨日買ってきたよもぎ餅をきなこでまぶして出しました。
わたしもそれを午後2時に食べました。
今日初めての食事です。
昼 ハワイで買ってきた頭痛薬を飲みました
5時までベッドで過ごしました
夕方 母が薬局で買ってきてあった ケロリンを飲みました。
母には6時までに夕食を作らないといけないので
頑張って起きあがって 米を洗ったり
餃子を焼いて、ほうれん草を茹でて、
牛肉と野菜を炒めて
家に在る物で済ませました。
夜 7時半 耳が痛いと言って早く帰ってきたチョコパンです。
そう言うことを言えるのが、チョコパンの特徴です。
やっと、頭痛が無くなって立ち直った頃
チョコパンは帰宅したのです。
それで、夜10時。
「 この洋服、あした着るから アイロンかけて~」
「 わたしはきょう、寝込んでいたんだよ。
その私に頼むのかぁ? 」
「 じゃ、いいよ。
おばあちゃ~~ん! 明日の朝までにアイロンかけてぇ~ 」
「 ああ、わかったよ 」
「 お願いします 」
って、母はアイロンなんて10年くらいかけたことがありませんよ。
安請け合いして、どうなることかと、見守っていました。
↑ すごいです。 母のアイロン掛けです。
アイロンはよく私が使うので(家族の服装管理は主婦の努めだからね)
部屋に置いてあるのですが、
ちゃんと、アイロン掛けを初めて居るではありませんか!
ちょっと、見てたら
シャツの上にアイロンを置きっぱなしにして
シャツのシワとかを整えているので
焦げちゃうんじゃないかと心配でした。
「あとは、私がやるよ 」 と交代しました。
そしたら、温度がとっても低い設定になっていたので
焦げは心配ありませんでした。
シワも伸びないくらい人肌でした。
これは、専業主婦らしい、低い温度で丁寧に!という
現れですね。
わたしの、ガチャガチャ気質とは大違いです。
あすは、大学病院の検診日です。
「 保険証だけ出しておいて 」と言ったら
探していました。
沢山あるバッグをみて、
タンスの引き出しを見て、
かならずピンクのアミの袋に
入れるようにしてあるのですが
アミは、空っぽです。
しばらくしてもないから
私がバッグから見つけて上げました。
記憶が薄れていくのは
とっても、とっても恐いことだと
つくづく感じます。
記憶ができないと
生きていくことは難しいのです。
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よる、
父ジェンギンスのビデオを見ました。
3年前です。
ハイビジョンで撮影してあるから
ハイビジョンで見れるようになったそうです。
私も写っています。 駄目! 写しちゃ駄目です。
楽しい我が家のビデオは楽しいです。
ジェンギンスもボケながら呆けるので
大笑いしちゃいます。
ビデオ投稿したら
世界中で評判になるくらい
面白いシーンもあります。
ビデオを見て
もっと座りやすい椅子にしてあげたかったなぁ~
と、今日思いました。
もっともっとボケを受入れても
良かったんじゃないかとも
思いました。
でも、食事拒否、トイレ拒否、行動拒否
排泄拒否、睡眠拒否、起床拒否、着替え拒否・・
ものすごく大変だったので
精一杯だったはずなのだ。
母も私も限界を超えた限界だったはずなのに
あの時の限界の苦しみを
わたしは忘れてしまっている。
もっと、見れたはずだと
おもってしまいます。
施設に入ると、寿命が短いと
よく言われていますが、
私は今、思いました。
施設に入って長く生きるのも
気の毒です。
父は施設に入って1年で病気になり
亡くなりましたが
それ以上、施設で不自由な思いをしていたら
かわいそうだったな。
(進行した認知だったから。自分では生きれない人だったから。
施設の介護だけでは行き届かない段階のひとだったから)
なかなか、父の介護を忘れられない私です
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