アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

今日は大丈夫だった

2007-11-23 02:43:29 | 介護
2007年11月23日 勤労感謝の日  いい顔つきだった

この4日間くらいのジェンギンスは、瀕死で急激に覚悟を固めた訳です。
今日の祭日は、母も私とタクシーで病院へ向かい
孫のチョコパンも外出先から駆け付けました。
母は、ジェンギンスの悪いところを見ていないので
元気がありませんでした。

病院の正面玄関では、葬儀屋さんが霊安室はどこかって受付で聞いていました。
老人病院だから、亡くなる人も多いのでしょう。
病室にはいると、静かに点滴をして寝ているジェンギンスがいました。
もう、拘束はすっかり外してあります。

昨日私が帰る時、看護婦さんに
『帰るので、点滴をいじらないように手を縛ってください』といったら
『 そんなかわいそうなこと、しないわよ 』と笑顔で立ち去りました。
唖然・・・
こういうのはいつも会議で話しあわれるんだけど、どうやら拘束は解かれたらしい。

それで、今日のじぇんは
目を開けて起きていました。
頬はやや黄疸で黄色いですが、いい顔つきで
声を掛けると、ちゃんと返事をして答えてくれます。

安心しました。

看護婦さんの話では
午前中は具合が良いようには見えなかったみたいです。
ずっと寝ていたらしい。

とにかく、元気って言うか、普通です。

まず、煮込み刻みうどんをあげました。
3口くらい食べさせて、母が辞めろ辞めろってうるさいから
辞めました。
棒付きのキャンデーパイン味をじぇんは喜んで舐めていましたら、
母がもう辞めろもう辞めろ、棒が危ない棒が危ないホラ!ホラ!
赤い飴にとりかろ、赤がうまい、それは辞めろ
・・・・・・
・・・・・
って感じが最後まで続きました。
じぇんは、食べても元気でした。

今日は点滴の棒に、お母さんの写真も貼りました。
マジックで名前をかいてあるので
じぇんは何度も名前を読んで見ていました。

ジェンは今頃、お父さんとお母さんと3人で休んでいるのでしょう。

機嫌も良くて、面白い顔をしたり、喋ったりしました。
チョコパンが
『 おじいちゃん、私は誰だ? 』と何回も聞いていましたが
返事をしてくれないので
『 孫って言いな! 孫って言いな!』と耳打ちすると

『 マゴッテイイナ』 と笑わせてくれました。

その辺で母が帰ると言い出し、
わたしはジェンの世話があるので
母には一人で頑張って帰ってもらいました。

オニが居なくなったので
平和な時間がやってきました。

ジェンに、蒸しパンを少しあげたり
駅で買ってきてくれたココアを飲ませたり、
紅茶とかさっきの残りのうどんとか

ほんの少しづつ様子を見ながら
よる7時まで部屋に滞在しました。

血圧正常
酸素正常
熱 37,3  微熱

一回とても苦しみました
トイレに行きたい時です。
どうしてもおむつにはしたくないので
もがき苦しみます。

看護婦さんたちは
トイレの意識がないとか
もう立てないとかいいますが
それは、みんながそう仕立て上げたことで
ジェンは、排尿排便の意識が強く、おむつの中にするときは
そうとうこらえた後です。

付き添っていると、トイレ誘導出来ないことが
最大の難関です。

看護婦さんに
2階の治療病棟に移ってほしいと訴えましたが
なんでも先生!!なので、聞き流されるだけです。
やっぱ、内科の詳しい先生にみてほしいし、
もし、2階に移動したら今まで元気だった時から絶食生活で
今じゃ、お茶もでてこない と言いつけたい気持ちです。

とにかく3連休で、担当医がお休みです。

瀕死じゃなくてよかった!!


棒付きキャンデーを舐めるジェンギンス。


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余命は不明

2007-11-22 00:56:32 | 介護
2007年11月22日 木曜 胆管が相当悪いらしい

午後12時、午前のアルバイト先から病院へ到着。
待合室で ちりとてちん を見ながらざるそばを食べる。
すごい度胸だ。
なんかい、美味しいパン屋さんで美味しそうなペストリーを
手に取ったことか・・・
だめだめ、ダイエット!
病院に来るたびにペストリーを食べる癖を付けたら
ペストリーになってしまう。

美味しいパンやさんには シベリア もあったのだ。
むかし、秋月堂 で売っていたシベリアだ。
そのむかし、母が弟の看病のために留守していた時
ジェンギンスと朝食用のチョコのかかったパンを買いに行ったことを
思い出した。
いつも買ってもらえないチョコのかかったパンを買ってもらえて
姉と喜んだ思い出を、思い出した。

さて、ジェンギンスは点滴をして相変わらず
眠っています。
口をあけて呼吸しています。
これでは、口の中が乾燥してしまうことでしょう。

口の中は真っ赤で、しろいカスがたくさんついています。
カビでしょうか。
絶食だから食べ物じゃないし・・・

何度も声を掛けました。
呼びかけには反応します。

まず、棒付きのキャンデーを口に入れてあげました。
しかし、飴というのは、唾液がないとなめれないのでした。
いそいで、お水で飴を洗い、口に入れてあげたら
やっと溶け出します。
自分で棒を持ってもらって食べさせました。

透明なキャンデを透かして見てました。

紅茶をすこし
プリンをすこし

前ほど食欲もなく
つらいところがあるみたいです。

そんなことを書くよりも
今日の2時間の面会は
もう、それはもう、いろいろありすぎて
まとめれません。

お陰で、3時半に病院を出ないと行けないのに
30分遅れ、仕事中も電話電話

夜は葬儀屋さんの見積もりメール比較。
微妙に値段が違う。
花で飾られた祭壇は造花だったとは知らなかった。
生花だと10万くらい高いんだ。

さて、
検査結果が出たと言うことだったが
造影検査はしてないなどとぬかした。
今日は造影検査結果待ちで、リンパ節まで
病魔が広がっているかと、余命を知らされる日だったのに、

なんか、わかんないんだって。

看護婦さんに聞いたら
担当の先生は、精神科の先生だっていうから、
お腹の専門医じゃないんだ。

早ければ、すぐにでも
体力が持てば、まだ・・・
という曖昧さ。
胆管周辺がやられてるらしい。
肺はやられていないらしい。

黄疸も出てきた。
胸水がたまっている。
熱も毎日夕方出る
痛みも出てきた。
横になって苦しむ時がある


最後の延命処置をどうするか聞かれた。

人工呼吸器などは、付けないことを
おねがいした。

今入所している介護病棟は、とにかく治療病棟ではないので
わたしはどうしたらいいのか困惑した。

治療はしないにしろ、最後は楽になってほしいから
2階の治療病棟に移して欲しい気持ちがある。
聞いたらば、看護師さん中心で、でっかい栄養注射も
いろう も2階なら処置してもらえるそうです。

2階に移ったらどうかと先生に聞いたら、
そう考えていた・・・と言われた。
食事を与える時も・・そう考えていた と言った先生だ。

いろいろあって


家の近所の病院に電話をしてみたら
ケースワーカーが今の病院のケースワーカと転院の話しを勧めたい
というので、いそいでケアマネにケースワーカを呼んでもらった。

もう、わたしには時間がなかったのに
てんやわんや、

長期に渡っての入院はできないので
回復したら出てもらうけれど
それで良いのか? って。。。。

あくまでも、。もう亡くなるから近所の病院に移ろうとしてたのに
治ることは考えていなかった。
回復が有るのか?
3日前までは、。回復して当然だと思っていたけれど
どうも、様子がおかしい・・・

夕方近くになり、
苦しみだした。お腹が痛いって。 それなのに
拘束パジャマが脱げないので、ハサミで切りたいといって
苦しんでいた

トイレもいきたそうだし・・・
かわいそうなジェンギンス。
早く薬で眠った生活になると良いと思った

転院はどうしたらいいか分からない。
ほんとうに迷っている。
近所なら、母も面会ができるし、わたしもこんなにハードじゃなくなる。
でも、はたして認知老人をめんどうみれるかが心配だし、
最後のホスピス的なことはできないらしい。

とおいけど、今の病院の治療病棟が環境的には良いだろう。

迷っても、相談する人がいなくて参った。


点滴の棒にジェンギンスのお父さんの写真を貼った。


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死を迎える覚悟・・

2007-11-21 09:53:46 | 介護
2007年11月21日 水曜 具合が悪くなってしまった

呆けていただけのジェンギンスでしたが、
とうとう、体の具合の悪さが出てきました。
つらくなってきました。


今日は孫のチョコパンが夜まで一人で付き添ってくれました。

大量の痰をはきだしたり、
きもちわるくなったり
あくびをしたり
気持ちが悪くて体をうごかしたり

チョコパンもおじいちゃんの変化を感じたと思います。

年をとった婦長さんが
ノロウイルスだと騒ぎ出して、
じぇんの部屋にいる介護士さんたちにも
動かないようにと、どこかへはしりさったようだけど
のこされた介護士さんは
「 ノロのわけない、下痢もしてないし、へやをでるよ 」 と言って
出ていったそうです。

わたしが昨日食事を1食でも出して欲しいと
お願いしたら、3食出してくれてジェンギンスは食べたようで、
さっそく、具合がわるくなって
また、絶食。

胃腸まで悪くなっているのでしょうか

婦長さんが
チョコパンに
「 おかあさんから、聞いてないの?
  おかあさんから、なにか病気のこと聞いてない?
  聞いてないの? 」
といわれたそうで、婦長のやつ、心配するような発言は
控えて欲しい。

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無反応で仰天した

2007-11-20 00:57:39 | 介護
2007年11月20日火曜 必死で面会に行く

朝、10時に家をでて仕事に行き、そのまま病院へ行く。
家の家事がないなら問題ないけど、
母の夕飯をそろえて出かけないと行けない。
私の仕事が遅く終わるので、終わったらすぐ家族の食事の支度ができるように
準備も整えないと行けない。

必死です。

ジェンギンスは、昨日にも増して激しく無反応!

曖昧な返事はするけれど、
目はうつろで、なにも反応しません。

昨日はそれでもプリンを美味しく食べたのですが、
今日は、ひどかったです。

まず、おじやを口の前に持っていっても
口を開けません。
いままであんなにお腹が空いていたのに、
突然、食事拒否状態。
食べ方を忘れちゃったみたいです。

口を固く閉ざして開けてくれません。

じゃ、昨日喜んだプリンを流し込もうと
半口だけ、口に入れたら、
入れたままのダラン状態。
唇のまわりがプリンだらけのままです。
舐めることもしません。

これは、たいへん!
お茶を飲むかと聞くと、うなずくので
お茶をあげても、首に流れたり、
唇にコップをつけて、コップをぐるぐる回してる。

食べることを忘れてる。。。。

唇は、白く皮がむけてる。

食欲がないなら無理しないように
音楽を聴かせて、ハワイ語で歌ってあげました。

そして、今日は誰も部屋に来ていないことをじぇんから
聞き出し、
死んじゃうのか?って聞きましたが
分からないみたいです。

今までどういう訳かベッドのリモコンが無くてベッドを
起こすことができず、苦労していましたが
今日はリモコンが付いていました。

楽に半身起きれました。
でも、無反応だから、『寝ようか?』
と声を掛けてベッドを倒したら
うう~~ううーー っとうなりだしたので
急いでベッドをあげて胸をやや高くしました。
そしたら落着きました。

急にじぇんは眠ってしまい、口を開けて
いびきをかき始めました。
身内には、今週末にジェンギンスに会ってくれるように
メールしましたが、
今週末まで、もたないかとあせりました。

顔を見ていたら、
急に ガクッ  となって
じぇんが目を開けました。

アア、ちょっと正常な目つきです。

お茶飲む?って聞いたら
飲むと返事をするので
手渡すと、飲んでくれました。

ああ~びっくりの40分間。
じぇんは生き返りました。
川を渡らなかったのでしょう。

私はもうすぐ帰る時間なのでいそいで
プリンをあげました。
2口食べたところで
看護婦さんが、体を綺麗にして、着替えをするというので
お任せしました。

ドライシャンプーみたいな泡で体を隅々まで綺麗にして
暖かいタオルで拭き取ってくれました。

私は時間がないので、お尻を拭いている時間でしたが、
プリンを食べさせました。

途中で、『ごちそうさま』ってじぇんが言ったので
そこで辞めておきました。

清拭は終わっていませんでしたが、途中で
私は失礼しました。
じいちゃんに、デカイ声で バイバイ!”バイバイ!
って叫びましたが、返事をしてくれませんでした。


予定より5分遅れて病棟を出たら、
担当の先生がやってきました。
この時間のない時に、頭はパニックでしたが
先生と話しをしました。

治らない肺や肝臓の検査結果は
今週末に出るそうです。

そして、じいちゃんの残りの人生が
計れると言うわけだ。

1食でもいいから、食事を出して欲しいとお願いしたら、
今日もナースと検討していた所だと言いました。

しかし。
口から食べれる、食欲のあるひとに
なぜ、食事を与えてくれないのでしょうか?
意味が分かりません。











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無反応

2007-11-19 09:45:59 | 介護
2007年11月19日月曜 反応が薄い

とにかく、ジェンギンスに何か食べさせてあげないと
かわいそうだし、点滴の間縛り付けられている拘束を外さないと
非常にかわいそうなので
できる限り病院に行っていますが、

面会時間は1時半からで
わたしは3時半には家に戻らないといけないので
1時間しか滞在出来ません。

もっと近い病院だったらよかったけれど
こんなに老人のための設備と介護者が揃っているのは
この病院が一番良いのかも知れません。

朝食準備、夕食準備、いろいろハイスピードで済ませて
朝10時に家を出ました。

自分は普通じゃないと思えます。
ほんと、

====

ジェンギンスは無反応でした。

話しかけても肩を叩いても無反応でした。
目が空を見ていました。

おじやとプリンとアサダアメと紅茶をあげました。

看護婦さんが何度も呼びかけたら
『ああ~』って返事していました。

体にクリームを塗ってあげて

すぐに1時間が経って
帰宅しました。

じぇんは、拘束着を来ていませんでした。
じぇんは、手を縛られていませんでした。
じぇんは、胴体をベルトで縛られていませんでした。
じぇんは、足をヒモで結ばれていませんでした。

具合は悪そうではありませんでした。

 
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。