アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

家族が久しぶりに面会

2007-11-18 23:57:21 | 介護
2007年11月18日日曜  会っておかないと後悔するから面会 


なんの病だったのか知らないけれど
立ち直ってきた母と家族のマクドウウェルと3人で
ジェンギンスに会いに行きました。


母は、先日転んだため靴が履けないとかで
サンダルです。
もちろん、タクシーで簡単に病院へ行きました。

前にも書いたけど、必死でジェンギンスは歩いて施設まで
行ってくれました。
頑張りやのジェンギンスだったとつくづく思います。


それで、
ジェンギンスの病室でジェンを見た2人は
絶句!
看護婦さんもわたしも、徐々にジェンの姿を見ているから
現在の様子を見てもさほど感じないけれど、
久しぶりに見たら、それは死体もどきだもの、
びっくりします。

エライ痩せたとのことです。
そう言えば、頬がこけた上に、落ちくぼんで
死体というより、ミイラ的なものだ。

話もできず、瀕死で;;;
びっくりするけれど、御飯を食べると多少の回復があるのです。

しかし、
胃腸も悪くないし、食欲もあるのに、
絶食とは残酷じゃないか?
家族は面会の時に食べさせてもいいって
どういう事?
もしかしたら、ジェンギンスは餓死寸じゃないだろうか?

死因は餓死

看護婦さんが来て、ジェンをベッドに起こしてくれました。
なにやら、ぶつぶつと声にならないかすれた声が
聞こえてきます。
死ぬ寸前のつぶやきみたいな感じです。

顔色もよく、艶もよく、食欲はすごく、気持ちは元気です。
田舎の話しもします。 道徳的な説教もしています。

食欲があるのに、ほんの少ししかあげれないのは
かわいそうでした。
吐くとかわいそうですから、・・
食べて、寝かせなければハカナイト思うけど。

母が、ジェンの両親の写真と老眼鏡を持ってきました。
老眼鏡をかけて、わたしを目の前に見たジェンが
「おっ!!」って驚いていました。
何の驚き?

分かるんだか分からないんだか?
食べている途中で見せたからでしょうか、
写真の顔をひっかいて取ろうとしてました。
お父さんを触っているのか、お父さんを食べようとしているのです。
そのうち、老眼鏡が痛いと言って外しました。
ちゃんと痛みを分かっているんだ。
まだまだ大丈夫!

マクドウウェルは途中でお先に失礼し、
わたしと母が残りました。
猛烈に母のリーダーシップ思い通りが爆裂です。
私のすること一つ一つを反対し命令してきました。
ここに来る前に、ギンコを飲ませたのがいけなかったんだ。
脳が活性化されてしまった。

いつものようにクリームを塗ったり
マッサージしたり
お茶を飲ませたり
話しをしたり、
ジャンケンをしたり
今日は何人の人が来ているか聞いたり、大勢だって。
川があるか聞いたり・・・あるって。
座る暇もなく動きました。

途中ジェンは、排尿がしたくてもがき苦しみました。
この拘束も残酷です。
そのうち、ズボンに手を入れて
まさに、排尿しようと言うところで
押さえつけました。
間に合ったかと思われましたが
シャツもシーツも濡れた模様です。


今日は拘束つなぎを着ていなかったので
手が自由に使えて
ズボンから出して排尿してしまうのです

1年まえに自宅で苦しんだ
布団のなかでの排尿がまだ、続いていたわけです。

そんなこんなで
点滴が終わるまで
母とゆっくりしていました。
母は、いつものように 「 帰る 帰る 」を言いませんでした。

父とのお別れをひしひしと
感じたんだと思います。

今度は果たして立ち直れるでしょうかok2
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体調良くて安心した

2007-11-17 00:19:30 | 介護
2007年11月17日土曜 今日はベッドに座れた。 

今週はずっと寝たままで体調が優れないジェンギンスです。

病院の先生からの電話で、悪いらしいことを聞き、
もうだめかと思いましたが、
今日は思いがけず、いつものように元気でした。

朝、デイサービスに母を送り出し
(昨日転んで足の指が真っ黒であり、デイサービス用の
 手提げかばんが、まったく見つからず。。。
 ジェンの保険証も見つからず。。。。
 探し物ばかりの母スーザンです)

ジェンの靴を洗濯機で洗ったり
ジェンの刻みうどん山芋入りを作ったり
おいしい紅茶を入れたり
母の夕食のうどんを煮たり、
寒くて動けなかったり、
あれこれうだうだうろうろするうち
お昼になって、
昼ごはんも食べずに
ジェンのところへ出かけました。

電車下車駅で外出先から駆けつけた
チョコパンが待っていてくれました。
わたしのためにも、ドトールでアボカドソースの
サンドウェッチを買っておいてくれて、
ジェンギンスには、スープストックの
オマール海老とわたり蟹のスープ\610 を買ってきてくれました。
女の子は気が利くので、助かります。

病室には昨日たいそうに、死神がたくさん天井にやってきていたので
チョコパンも驚くと思いましたが、
今日は、死神は3人しか来ていなくて
ジェンは目を開けていい顔をしていました。

声賭けに反応はしますが、どうも返事がありません。
点滴の手をみると、赤くなって ぷよぷよ です。
ぷよぷよぷよなので、急いで看護婦さんを呼びました。
点滴のさしなおしですが、血管が細すぎて
筋だか血管だかわからない足なので、看護婦さんが苦労してました。
だから、夕方まで付き添うので
手に点滴をしてかまわないとお願いしました。

それで、ドアを閉めてお食事会が始まりました。
スープが温かいうちにジェンに飲ませました。
おいしそうに飲むので、私がベッドの上に乗り込んで
ジェンの体をおこし、わたしの小さな体でジェンを支えました。

スープをごくごく飲みます。
でも、おいしいとは言いません。
( あまくない )といいます。
おいしいかと聞くと、一応うなずいています。
トマトソース味なので、昔の味ではありません。

あまり食べさせると、いけないので
不二家の棒つきキャンデーをあげました。
これは、いいです!!
呑んでしまうので、もう飴は舐めれないかと思っていました
棒キャンデーなら、飲み込む心配がないです。
時間も持つし、こんどは、ちゅっぱちゃぷす を持参しようと思いました。

私は、ジェンを体で支えながら、サンドウィッチを食べていましたが、
ジェンが自分で座り始めたので
ベッドに腰かけさせました。
久しぶりに、ベッドに座ったジェンです。

昨日も喜んでくれた
すりおろしりんごを、小皿一杯だけ、あっという間に
平らげました。

でも、ジェンの食欲に任せたら
大変なことになるので
体にクリームを塗ったりして
気を紛らせました。

軍歌をきいたり、ハワイアンを聴いたり
チョピンをきいたり、
3人で船頭小唄も歌いました。
部屋の暖房をつけて歌ったのですが暖房を消してみたら
病院はとっても静かであり、
たぶん私たち3人の声は、病棟に響き渡っていたのだろうと
冷や汗がでました。

じゃんけんもちゃんとできたし、リズムも取っています。
掛け声をかけると、まねして合いの手も入れてくれます。
ご機嫌はとってもいいです。

時々、動いている私に、お辞儀をして挨拶をしてくれました。
チョコパンには 《 どなたですか? 》
って聞いています。
《チョコパンだよ》と、答えると
《うちにも、チョコパンて言う女の子がいます 》ってジェンが言うので
驚きました。

長いこと、道徳的ないいお話をしてくれました。
なんか、よく聞き取れないけど
(辛抱しなさい)とか、私を諭してくれました。
《 はい!! 辛抱します、ありがとうございます》と答える私です。

声がぜんぜんでないので
《大きな声を出してみな!》とかいろいろ言ったけど、
声帯がつぶれちゃってるみたいだ。
森進一バリの声だ。

4時半過ぎて、看護婦さんがパンツを取替えに来てくれました。
ぜんぜんぬれてないわ といいましたが
変えているうちに、当ててあるパットに排尿してくれました。

血尿がでてる といいましたが、いろが茶色くて
もしかしたら、アリナミンのせいかもしれないと
言っていました。

5時過ぎて、夕飯も出ないので
煮込んできた山芋入りの刻み煮込みうどんを少し食べさせました。
にんじんをうまいこと、ホキ出します。
5口くらいでやめておきました。
でも、口をあーーんて開けて、ほしがります。

紅茶を飲ませたり、浅田飴を舐めさせて
帰宅しました。

でも、こんなに元気で機嫌が良かったのに
夕方熱が38.6度もありました。
酸素量は正常です。
氷枕をして、布団をはいで、寝てもらいます。
熱があるとき、布団をかけてはいけない方法が
日本にもあるのだと感心しました。
寒気がしたら、布団をかけるのだそうです。


とりあえず、今日は安心。

看護婦さんが床屋さんの予約をしますか?
と聞いてきたので、
喜んで予約しました。

それまで元気ならお願いします と微妙なお願いの仕方を
しておきました。12月1日とか言ってました。

あすも、面会します。
毎日するつもりです。

できないできないと言っていても、
やればできることがたくさんあると思います。

自分がやりたくてハードな毎日を送っているときは、
ぜんぜん嫌じゃない。
ぜんぜん、苦労じゃない。
自分が元気なときは、ぜんぜん大丈夫。

充実したいい土曜日だった!!
ok

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後どのくらい生きれるだろう

2007-11-16 02:14:34 | 介護
2007年11月16日(金曜) 少しでもいいから会いに行く

人間の最後って言うのは来るものです。
とうとう、来たって感じです。
ジェンギンスはいつもと変わりませんが
私の心構えが変わりました。

まだ、医者に宣告されてはいませんが
わたしは、なんか感じています。

だから、今日の金曜日も病院に行きました。

午前は仕事と母の世話。
母は早朝より、点滴をしに病院です。
まだ、悪いらしい。
おまけに、どこかで転んだらしく
青あざができたらしい。

わたしは、つい母には手が回らず
シップもしてあげていません。

午前のアルバイトをして、
その帰りに病院へ寄って
1時間15分という短い時間でジェンギンスのお世話をして
帰宅してすぐ仕事。
メリーの朝晩2回の注射や散歩も私には負担だ。
月に3万円近い犬のための出費も負担だ。冗談じゃない!

外の街路樹の落ち葉は、掃いても掃いても舞ってくる。
この掃除も負担だ。

ジェンギンスは
寝ています。
点滴をして、手を抑制されて寝ています。

看護婦さんが入れ替わり立ち代り入ってきます。
なんか、大変なことになっているらしい。
朝、死んでいるんじゃないかって思うそうです。

昨日病院の先生と話をして、
絶食だけど、面会のときは食べさせていいと
先生のほうから言ってくれました。

だから、おじやを煮て持っていきました。

少し食べさせたら、婦長さんがやってきて
食べさせちゃだめだって言いました。

でも、先生の許可が下りていると、私は言いました。

何でも反対する婦長さんです。
安全を考えている婦長さんです。
患者の安全というより、自分たちの安全を考えているんじゃないでしょうか。

寝ながら食べたら、のどにつかえるといいます。

ジェンギンスは嚥下に関してはまったく問題がありません。
むせたことがありません。
だから、気をつければ大丈夫だと私は自身があります。

『 気をつけますから 』 とうやむやに答えておきました。

おじやをあげたら、そんなに喜びませんでした。
おなかがすいていませんでした。
浅田アメの水あめは、喜んで自分でスプーンを持ってなめていました。

音楽を聞かせたり、歌って聞かせたり、
ハワイに行って歌った曲を説明したり、
自慢したりしました。
『 それはいいねぇ 』って褒めてくれました。

体に薬も塗って、マッサージもして
今日は体が温かかったです。
熱は36,3度、酸素量も正常でした。

顔つきも正常、
黄疸もなし、

紅茶を飲ませる前に
すりおろしりんごをあげました。
喜んで食べてくれました。
小皿に一杯あげました。

そんなこんなで1時間15分がすぐたってしまいます、
飲み物を飲ませないと・・・
吸い飲みじゃなくて、ビニールコップで
口の中に暖かいアールグレイのレモンティを入れてあげました。
おいしいって、言ってくれました。

少し食べると、脳みそが働きはじめます。
でも、今日は1時間しかなくて
正常になる前に私は帰宅です。

じゃ、行ってくるね!
というと、
はい! ってはっきり見送ってくれる声がします。

後ろ髪を引かれるって、これです。
もっと、一緒にいて安心させてあげたい気持ちで
一杯です

明日の土日は、長い時間一緒に過ごします。

家に帰って
ジェンの容態があまりよくない話はしていないけれど
葬儀の打ち合わせは母としました。
ついでに、母の葬儀の希望も聞きました。
つまり、葬儀に関する母の遺言を聞いたわけです。


週明けに父名義の貯金はすべて解約します。

わたしは、自分の空き時間をすべて
ジェンギンスに注いでいるので
家を片付ける時間がありません

ジェンが帰ってきて寝るスペースを作る時間もありません。


葬儀屋の手配と
お墓のお坊さんにもどういう風にしたらいいのか
聞かないとなりません。
私も母も誰もが、葬儀をだした経験がないので 
何もわかりません。

おぼうさんにお渡しする熨斗袋は
赤なのか黒なのかもわかりません。
母もわからずどっちだろうねと話しました。

チョコパンが持つピンクの数珠を買った。
私が持つ紫の数珠を買った。
マクドウウェルが持つ、先祖代々の数珠も出した。

そして、まだわからないのは
ジェンギンスは何を着ればいいのですか?


火曜日に面会に行ったとき
わたしはジェンに言いました。

『 おじいちゃん、おじいちゃんが死んだら
  このほっぺに綿をつめてあげるね、
  いまさ、やせちゃってへこんでいるから
  綿つめて、見栄え良くしてあげるね 』

ジェンは、お迎えにきている天井の人々の数を
数えていました。

ときどき、この人たちは帰っていくのです。

あした、行ったら、三途の川が見えるかどうか
聞いてみます。
だいぶ、物忘れが多いから
わたってしまうかもしれません。

わたるな!って言ったほうがいいのか
わたっちゃだめ!って言ったほうがいいのか
それは、わかりません。

でも、このあいだ、死にたくないって言ってたから
希望をかなえてあげないといけないな。

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点滴終了したが・・

2007-11-14 02:23:07 | 介護
2007年11月13日(火曜) ダッシュで面会

母が急に回復し、今日はデイサービスに行くことが出来た。
それにしても、あの数日間の空白の時は何だったのだろうか?
ユウタイ離脱後の抜け殻が存在していた。
本当に、母の魂は、抜け出ていたとしか思えないほど
生きていなかった。
ジャングルで暮らすオオカミ少女が人間を見つめる目つきだった。
とにかく、訳が分からないけど、
今日は普通に戻っている。

それで、わたしは、午前のアルバイトに11時までに行かねばならず、
3時半からは自宅で夜まで仕事。
でも、ジェンギンスのことが心配で、心配で、
決心して今日、1時間だけジェンギンスの所へ行くことにしたのだ。

行くとなるとその準備が山ほどになった。


母の夕食準備。
家族の夕食下ごしらえ。
ジェンの飲み物。
ジェンのおじや。
洗濯取り込んで、洗濯干して、仕事部屋の片付け
自分のお昼

病院に寄るとなるとチャリは使えないので
ハチ公バスで原宿まで出てバイト先へ走る。
ちょっと走ると、息切れがする。
ほのるるマラソンはとうてい走れないと痛感する。

バイト先から病院へ電車で行く。
1時半の面会時間には当分時間があったので
暖かい日の当たるお庭で、自分で作ったおにぎりと
海苔巻きを一人で食べた。
ハワイアンを流して、一人で楽しんだ。
落着いた。
それから、入院費99805円を支払って、
1時15分に病棟へ行った。

ジェンは、食事が許されお昼をいただいたそうだ。
点滴も終了し、拘束つなぎも着ていなかったし
ヒモで縛られもせず、ベルトで固定もされず
普通にベッドで寝ていた。

下着替えをしたところで、
抵抗したらしく、機嫌が悪かった。

ジェンは、面会中ずっと起きあがらず、喋らず
食べず、飲まず
横になって寝ていた。
呼びかけには答える。

まったく、母のこういう状態が消失したと思ったら
ジェンギンスに今度は乗り移った。

まず、アサダアメの水飴を舐めさせた。
ただ、舐めていた。
体をマッサージしながらかゆみ止めを塗った。
足を痛がった。顔をゆがめて痛がっている。
抵抗しすぎて、骨が折れたのかと思うほど痛そう。

食べ物も飲み物もいらないって。。。。
何もあげなかった。

1時間経って、もう帰る時間だから
持参した暖かいカフェオレをホンの少し飲ませたら
美味しいって言ってた。
初めてのことばだった。
いままで、さかんにお喋りしていたのに
全く喋らないの日は初めてだ。

でも、欲しがらないからあげなかった。
寝てる時に飲んだら、吐くからな

病棟では、誕生会が盛大に行われていた。
105才になるお婆ちゃんや100才になるおじいさんだ。
ジェンギンスがあと20年生きればこの年齢になるのだ。
100才ってすごいことです。

今日のおやつはケーキが出ている。
ジェンギンスにもケーキitem9をくれるでしょうか?
みんな、お部屋からロビーに出てお祝いをしているのに、
寝たきりはジェンギンスだけです。
特養施設とは違うのでみんな起きれる人が入所しています。

ひとつひとつ、症状が悪くなるにつれ
過去の一つ一つが「 あのころはよかったなぁ 」と感じられます

喋れるしあわせ
歩けるしあわせ
食べれるしあわせ
歌えるしあわせ
訴えれるしあわせ
わかるしあわせ
家族と暮らす幸せ
笑える幸せ



    紅葉のお庭でわたし一人ひっそりとおにぎりを食べました

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ジェンギンス発熱・点滴

2007-11-14 01:49:51 | 介護
2007年11月14日水曜 また点滴

火曜日に面会に行った時は、食事も開始されたくさん食べたと言っていました。
点滴も終了し、車椅子でロビーにも出たということでした。
でも、ジェンギンスはつらそうで、持参したおやつも飲み物も食べないで寝ていました。
平日だったので、2時半までしか付き添わずに私は帰宅しました。

その夜発熱したようです。

水曜にチョコパンが面会した時は、点滴をして力無く寝ていました。
ビデオを撮影してきてくれたので様子が良くわかりました。

アサダアメの水飴は、自分でスプーンを持って美味しそうに
舐めています。
吸い飲みで紅茶をのんだり、蒸しパンを食べるうちに
だんだんことばが出てきて
チョコパンとジャンケンをしたりしていました。

天井にたくさん誰かが来ているらしく
指をさしています。
たくさんいるって言ってます。
ジェンが山を越える時は、その大勢の人たちは
帰っていくんです。
だから、はやくそのお迎えにきた人たちには
帰って欲しいと思います。

ジェンギンスが言いました。

《 がんばるから・・・》

つらいからそう言うことばが出るんでしょう。

重い認知症でも
痛みはあるし、苦しみはあるし
死にたくないっていうし、
もう長くないって言うし、
認知症じゃない正常の部分が苦しんでいるのは
とてもかわいそうです。

ちょっとの時間を見つけて
これから私は面会に行くことを決意しました。

《 家にかえるかな・・・》

と最近言うことが有ります。
正月には連れて帰ってきても良いとさえ
思っています。
そのためには、母を施設に預けないとなりません
母は、もう父の介護ができないのです。
でも一生懸命尽くそうとするから
ぜんぜん、うまくないのです。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。