アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母・倒れそうだったらしい

2011-03-09 01:11:00 | 介護
私が仕事中に、母は近所のスーパーにいつものように
買い物に行って、
いつもゴミとなる食品を買ってきたらしい。

クリームパン二つ。 捨てる
焼き鳥のカワ3本。 捨てる
ヨーグルト
みかん

そのみかんが腐っていたらしい。

交換にまた出かけたのだ。

それで、帰りに急に歩けなくなってしまい、
前のめりになって、足が小刻みに動き、
小刻み歩きで前にすすみ、止まらなくなってしまったそうだ。

まさに、パーキンソン病の症状だ。

数年前にパーキンソン病の宣告は受けている。
でも、最近は震えもなくなり、こわばりもなくなり
めまいも無くなっていた。

今日は急に、前かがみの小刻み歩き止まらずが
やってきたらしい。

なんていうか、
母は買い物に一回行くともう歩けなくなっていたので
2度の買い物は無理があったのだろう。

その無理に気がつかないので
なんていうか
見守りがもう必要っていうことだろうか。

わたしは母を外出しないように監視することは
できない。
わたしはそこまで暇じゃない。

いろいろ考えた。
このまま、体が動かなくなったら
施設に入れていいもんだろうか。

精神がしっかりしている間は
そりゃ、親不孝っていうもんでしょうか。

こまったな~

母は、自分でブロック塀に捕まって
落ち着くのをまって前かがみになって
帰宅したそうです。

チョコパンが出迎えました。
母は青ざめて、廊下も前かがみで歩いていたそうです。

走るのが止まらなくなったことを
わたしに何度も話してくれました。

こうやって、徐々に生きていけなくなるのでしょうか。

どうやって、死に近づくのでしょうか。

人間の最後はだれもが闘病するんでしょうか。
認知のひとの最後は幸せであると実感しました。

母はまだ認知が軽いと判断しました。

これから先の日にちは
予定がたたないことだと思ました。

母は、回復してあるけます。
でも、記憶が無いのでまた買い物に出てしまうのです。

いつか、道で倒れて救急車ということになりそう・・・

別の意味でビクビクします。


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ごみ屋敷

2011-03-08 10:29:00 | 介護
私の家の全部がごみ屋敷化しています。

ひどいです。
わたしは嫌です、もうこんなに汚い家はいやです。

メリーが元気になりました。
危篤の時に、畳の部屋にいれて手厚い看護をしたのが癖になり
メリーが家の中にはいって自由にしています。

犬臭いのと床に足あとをつけてあるくのは大嫌いです。
犬が堂々と家の中を歩くのは嫌です。

そして、危篤状態で無いのに
母はそれを忘れて、家の中に入れようとします。

メリーが危篤のあいだ、イヌの缶詰の食事にしていました。
メリーは幸せに食事をして元気になりました。

元気になったので、また固形のドッグフードに戻すと、
まったく食べません。
それで、おなかが空いているので
台所を荒らします。
食べ物を求めて家中をあらします。

危篤のかわいそうな状態も私は忘れて
いまじゃ、恨んでいます。

庭も、玄関も、廊下も、キッチンも、畳の部屋も
ごみ屋敷です。



昨夜は雨でした。
夜私の仕事が終わって階下に下りると
母は夕食も終わってコタツに座っていました。

雨にも負けず、
母は買い物に行ったらしい。


でかいメロンパン・・・だれもたべないよ
トマト・・・・・・・冷蔵庫にもたくさん買いだめしてある
きゅうり・・・・・・冷蔵庫のきゅうりはもうしなびてるだろう
焼き鳥・・・・  私が用意したおかずも鶏肉だったでしょう
ヨーグルト・・・ これは久しぶりだ

いつもと同じ買い物だ。
だからといって食べるわけじゃない。

この買い物をみて私は誰に腹を立てていたかというと
大学病院の著名な老人科の教授にだ。

何度も同じ買い物をしてくる母の状態を伝えたとき
教授は母に

「 買い物に行くときは、メモをしなきゃだめだよ。
  忘れちゃうから、何を買うかメモをしてから
  出かけなさいね 」 

とかなんとか説得してたけど、
なんで、記憶障害の母にこういうことをいったのでしょうか。

気休め?

メモをしなければいけないという気持ちがあるくらいなら
買い物はしてこないよ。
自分はわすれてしまうという思いはないんだから・・・


認知症の微妙な神経を、認知担当の教授たちは
どこまでわかっているんだろうかと思った。
微妙な些細な認知症の心を知らない先生は多いだろうな。


いやいや
認知にかかわらず、
病気の微妙な症状はかかった人にしかわからないものが
あるんだと思う。

私は寝たきりになったことが無いから
ジェンギンスが寝たきりだった時
ジェンギンスのしてほしかったことが
もっとあったんだろうな・・・

お医者様は点滴だけで2ヶ月間生きている実習があるでしょうか。
どんなに喉が渇くのでしょうか。
口の中はどんなでしょうか。
おなかはすくのでしょうか
手はいたいですか
・・・

昨年私は、皆様の気持ちになって
すべてをわたしがお助けしてあげたいと
やさしく、すべてを受け入れていたら・・・
・・・
・・
人は、わたしに甘えすぎて
わたしに多大なるわがままをいってくるようになった

という経験をしました。
それは、イベントの役員になった時のことですが。

はなしが、あっちこっちにそれました。
母と同じで文句ばかりの私ですね。
遺伝です


~~~~~~~~~~~

メリーは元気に庭や玄関をよごし、
母は元気に買い物に出かけて、
母は元気に文句ばかり大声で訴え、

チョコパンは、昨日私と一緒に食べたラーメン屋で
となりの親父が クチャクチャ食べるので
食欲なくしてました。

私の家も汚いけど、
おじさんたちのクチャクチャたべるのはヒドイな。
そんな家族は仕分けされて当然だ。


けさ、電子レンジをあけたら
餃子がひとパック入っていました。

母が暖めていれっぱなしらしい。
それで、けさそれを聞いたって
買ってきたことも忘れてるし・・・

電子レンジで二つのものを暖めることができなくなって
2年くらいたつでしょうか・・

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外は雪

2011-03-07 11:11:00 | 介護
今は、3月7日月曜日の午前中です。

昨夜は母と2人でカレーマルシェとサラダの夕食でした。
母と2人で夕食を食べることは珍しいのです。
わたしが親孝行のために無理して午後6時という早い時間に
母と一緒に食べたのです。

そんな、娘の気遣いもむなしく、
カレーマルシェ中辛が「辛い!」と何度も言う。
「 辛い! あんた、カレー粉入れたんでしょ!」
いままで、カレーマルシェをご飯にかけて夕食にし、
外出したことがあったけど、母は辛い!と1人で
文句を言っていたんだな・・・・

この文句の積み重ねが
私を嫌う原因にもなっているわけだ・・・

何度も辛い!辛い!って言われると苦しい。
わたしは、蜂蜜を母のカレーに入れて甘くしました。

それでも、辛い!というので
「 蜂蜜を入れたのにまだ辛い?」 ッて聞いたら
「 甘いものをいれたって、カレー粉が辛いんだから
  なおるわけないわよ」と母が言う。

「 年をとると、辛いものがダメになっちゃうんだね」と余計なことを言ったらば。
デイサービスで、年寄りを馬鹿にする・・と言う話をし始めた。

母は馬鹿にされるのがとっても嫌で嫌で、
年をとって生活が不自由になっていることの遠慮も何もない。
堂々たる年寄りだ。

だけど、年寄りを介護するまわりの苦労は大きいんだね。

だけど、家族にしてみると
デイなどのお年寄りの施設の人は
どうか、とし寄りを馬鹿にしないで欲しい。
どうしょうもない年寄りをおねがいしているんだから
どうしょうもないことを言ったり行動したりするけど
それをカバーして生活させてほしい・・・・・

・・・と家族もわがまま言わせてもらいます。

とにかく、年をとるって大変なことです。

自分も、こういう意識をいまもっているので
できる限り、迷惑のかからない年寄りになりたい。

・・・10年前の母も、そう言っていました。

===
メリーは、すっかり元気です。
誰かが毒を盛っているのでしょうか。


===

昨夜午前3時半に寝て
今朝6時半に起きた。

家族が8時に外出してしまったから
私はもう一回寝たのです。

いつもは眠れない人なんだけど
最近の睡眠不足続きで
私は心地よく眠れたのです。

その貴重なめずらしい眠りの途中で
母が私を階下で呼ぶんだ!
「 このごみ捨てていいの!?」

いかにも、いつもの捨てるゴミなのに、
なんで、呼ぶの?

飛び起きて、雪の外に行き
大量のゴミを捨てた。
母は、玄関を大きくあけて監視している。

「見てなくていいから」と玄関の戸を閉めたのに、
開けて干渉する。
「 傘をさしなさい!
  すべるわよ! 
  いちどに持たないの! 」


~~~

いま、11時40分。

お昼ごはんの準備しないと。



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メリー2度目の危篤

2011-03-06 15:17:00 | 介護


メリー・ジョンソンが先日倒れたのは2月22日だった。
意識も遠く、力も抜けて後ろ足はガクガクで
ご臨終がつい底までやってきていたのに、
立ちなおって、一週間がすぎ、元気に暮らしていた。

3月3日のひな祭りの朝。
朝ごはんを食べないと思ってみているうちに
みるみる、メリーがガクガクになってきた。

そして、異常な行動は
縁の下に首を突っ込んでねている。
床下にもぐりたがる。
暗い穴に顔をつっこんで倒れている(寝ているのかな)

猫は暗いところで死ぬんだけれど
イヌもその習性があるんだろうか?
くらい床下を求めているメリー。

そして、じょじょに下半身ガクガク。
またまた、玄関に敷物をして
家の中に入れてあげる。

大雪の寒い寒い凍える夜も
鬼の私はメリーを外で過ごさせたんだけど
死ぬ時だけ優しい自分がホント鬼だな。

メリーは玄関で吐いた。
朝食の上にのせてあったメリーの好きな
ジャーキーだ。
食事に贅沢でわがままなメリーはいつも
安い食事をしないので、粗末な食事の上に
美味しいジャーキーをトッピングしているのです。

その美味しいジャーキーをまったく未消化のかたちで
吐いた。

メリーの世話は、一日無職のチョコパンがしていた。
あたりまえだ。おまえがしろ。

父ジェンギンスが使っていたおねしょパッドを
床に敷こうかなとおもったが
母がつかうかもしれないので
ジェンギンスが使わずに余っていた
大人用紙おむつやそのなかに敷くパッドを
床に敷いた。
大人用の紙おむつは巨大ですね。

危篤のメリーはたたみの部屋でぬくぬくと
幸せな時をすごし・・
そして・・・

回復だよ。

ということは、
メリーは老衰のために倒れているのではない。
老衰だったら回復しないだろう。

インシュリンによるショックでもなさそうだ。

ということは、
インシュリン不足だ。

いままで10~12ミリのインシュリンを打っていたが
この日は15メモリのインスリンを注射し始めてみた。

まあ、わたしも宴会があるたびに
インスリン注射はサボっていたからな・・
外が寒くて母がメリーに餌をあげてしまうと
もう、外に出たくなくて
メリーの注射をサボっていた。

だってさ、もう
わたし

これ以上みんなの面倒をみるのは
嫌です。

もう、鬱病だからね。

ほんと、もう、嫌になっちゃってんだから。

うんざりしてるんだから。


わたしが今死ぬとしたら
ざまあみろ、
こんなに私にばかり働かせやがって!

という気持ちです。

死ぬ準備ができていないので
まだ死にません。
しっかりしたノートを買ってきて
書き置きをしないといけない。

~~~~~~~~~~~~

母はパーマにいきました。
9月から言っていないのでだいぶペタンコでした
わたしが短くカットしてあげていたのです。

3時間もかかって帰宅したので
疲れたようです。
でも、自分からパーマをかけると言い出したので
いいことです。

パーマやさんには、私が電話をして行かせました。
駅前のお店ですが
母は1人で行けるというので玄関で見送りました。

コートには名前を書きました。
だって、
どのコートですか?って聞かれても
母にはその日に来ていたコートの記憶はまったくありませんから。

分け目はどちらですか?って聞かれたらしいけれど
解らないって答えたそうで、いつもと違うほうに分かれていました。

せかっくの週末でしたが
わたしは、ぼ~~~~っと過ごしました。
すぐに夕方になってしまうのです。

ぼーっとしてすごしたって
朝昼夜の食事は時間通りに出すので
ぼーっとしていられない苦しみがあります。

今夜の夕食は母と私だけなので
カレーマルシェにしてしまいます。



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家族だからしてあげれること

2011-03-01 14:09:00 | 介護
一緒に暮らしているから親の脳みその破損状況が
手に取るようにわかる。

朝起きた時、曜日や日にちや予定がまったく
解らなくて困っている母がいる。

家族にできることは、欠損した脳みそを助けてあげることだ。
これに関しては簡単。



でっかいメモをテーブルに乗せておくと
母はそれを見て理解してくれています。

父ジェンギンスもこうやって日付からわからなくなりました。
でも、日付が解らなくなってから13年以上生きていました。

トイレの場所がわからなくなってくると・・・それは認知末期に近づいてきている証拠だ。

正常な部分も垣間見えるので末期といわれても
そうじゃないと家族は思ってしまうが
やっぱり、あれは末期だったのだ。

でも、認知は馬鹿じゃないので
正常な父が存在していた。
やさしさや思い出や苦労が父にはあったな。

~~~~~~~~~~~

その昔、小学生だったころは私は母が好きだった。
だけど、だめ、今はダメ。
わたしは人間が変になってしまったので
人とは一緒にくらせないのです。

きっと私が精神病なのです。
人と一緒に暮らせない病です。

だから母と暮らしていて
とっても苦しい時があります。
とっても頑張っているんです。

母のトイレ掃除とか、
頑張っているよ。覚悟して頑張っている。


~~~~~~
母は今日はデイサービス。

思う存分自分の時間が得られる。
母の存在にビクビクしなくていいんだ。

ビクビク ビクビクして
たくさん怒られて
ちょっとでも、お昼の時間に階下にいかないと
母は、買い物に行ってしまったり
変なものを食べてしまったり・・

わたしはビクビク ビクビクして

買い物にうんざりして

記憶ができなくて
戸を開けっ放しで
わがままで
自分中心で
拒否否定ばかりで
命令ばかりで・・・

父の苦労がいまごろわかる・・
父はいつも戸を閉めていたな。
父はいつも片付けていたな。


人のことは言えない・・
わたしも、片付けがちっともできなくて

ああ~~
生きているのはめんどくさい。

死ぬのは楽だけど
残された人が困るのだ。

死ぬ準備をしないといけないと思っています。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。