和楽器と西洋楽器のコラボレーションはとても難しい。
30年前にクラシックスの前進であるジャンジャンで行われたフランス在住の現代音楽家の作品を聴きに行ったことがあった。サックスと琵琶の饗宴だった。即興ではなく、あくまでもその方の作品。この時にいかに和楽器との融合が難しい事なのかを思い知った。
その後、私自身も箏や三味線、尺八と様々な和楽器と共演する機会があったが、緊張感のある繊細な和楽器と果たして上手く共演できたのだろうか・・・。
今回はほんの僅かな時間だったが、尺八の吉岡龍見氏、鼓の大倉正之助氏ともご一緒できた。そして、フランソワの和楽器に対するアプローチがとても勉強になった。
彼のピアノは和楽器の中に入っても全く邪魔にならず、間を活かした切り口で、時に優しく、時に激しく反応していく。私も彼のピアノのように、自然に溶け込んで行くことができたのだった。トシキのベースも素晴らしいタイミングとふくよかな生音が活きていた。
龍見さんの尺八も生音で遠くまで届く美しい響き。演奏途中でフランソワに合図されて彼と私が2人で、という場面になったが、これもとても面白かった。31歳になる息子さんも尺八の先生をしていらっしゃるそうで、じゃあ、親子同士でなにかまたできますね!と新たな展開が・・・?
鼓の大倉さんとは、(故)キム・デファンperさんを通して古い知り合いだが、共演は1度だけ。キムさんが亡くなって、ソウルで葬儀に出席し、そのあとに演奏させていただいたのが9年前になる。
彼の鼓の迫力はもちろんのこと、声が素晴らしい。いよ~~~っと腹の底から湧き出る声と鼓の音が心地よく、3人(尺八、ピアノ,鼓)の演奏が大門さんの舞踏と一体となってばしっと終った時に思わず「お見事!!」とかけ声をかけたくなってしまった。
昔、格闘技が全盛だった頃、プライドのリングに一人大倉さんが上がって、セレモニーの演奏をしたのをTVで見たが格好良かった。あんな凄い演奏は聞いた事がない、というくらい、どんな格闘家よりも男らしかったのを覚えている。その話をちょこっとしたら、大倉さんは照れくさそうに「いやあ、あの時はイノキ、イノキって間違えられちゃって。」
キムさんは日本に来る度に大倉さんのご自宅に滞在し、大倉さんと一緒にハーレーに乗ってアメリカを横断したり、ペーパームーンにキムさんを迎えに来たりして「お前は日本の息子だ」ととても可愛がっていらしたようだ。大倉さんも金さんが亡くなってから毎年3月1日のご命日にはソウルに行って演奏をしているらしい。来年は亡くなって10年目にあたるのでみんなで演奏しましょう!という話で盛り上がった。
本当に大門さんのお蔭で楽しい饗宴。あっという間の濃厚な2時間だった。こんな素敵な出会いがあるから、即興もやめられない。フリー万歳!
素晴らしい写真を撮ってくれた、20歳の横溝光太郎君にも感謝してます。ありがとう。夏からのフランス留学頑張ってね。
30年前にクラシックスの前進であるジャンジャンで行われたフランス在住の現代音楽家の作品を聴きに行ったことがあった。サックスと琵琶の饗宴だった。即興ではなく、あくまでもその方の作品。この時にいかに和楽器との融合が難しい事なのかを思い知った。
その後、私自身も箏や三味線、尺八と様々な和楽器と共演する機会があったが、緊張感のある繊細な和楽器と果たして上手く共演できたのだろうか・・・。
今回はほんの僅かな時間だったが、尺八の吉岡龍見氏、鼓の大倉正之助氏ともご一緒できた。そして、フランソワの和楽器に対するアプローチがとても勉強になった。
彼のピアノは和楽器の中に入っても全く邪魔にならず、間を活かした切り口で、時に優しく、時に激しく反応していく。私も彼のピアノのように、自然に溶け込んで行くことができたのだった。トシキのベースも素晴らしいタイミングとふくよかな生音が活きていた。
龍見さんの尺八も生音で遠くまで届く美しい響き。演奏途中でフランソワに合図されて彼と私が2人で、という場面になったが、これもとても面白かった。31歳になる息子さんも尺八の先生をしていらっしゃるそうで、じゃあ、親子同士でなにかまたできますね!と新たな展開が・・・?
鼓の大倉さんとは、(故)キム・デファンperさんを通して古い知り合いだが、共演は1度だけ。キムさんが亡くなって、ソウルで葬儀に出席し、そのあとに演奏させていただいたのが9年前になる。
彼の鼓の迫力はもちろんのこと、声が素晴らしい。いよ~~~っと腹の底から湧き出る声と鼓の音が心地よく、3人(尺八、ピアノ,鼓)の演奏が大門さんの舞踏と一体となってばしっと終った時に思わず「お見事!!」とかけ声をかけたくなってしまった。
昔、格闘技が全盛だった頃、プライドのリングに一人大倉さんが上がって、セレモニーの演奏をしたのをTVで見たが格好良かった。あんな凄い演奏は聞いた事がない、というくらい、どんな格闘家よりも男らしかったのを覚えている。その話をちょこっとしたら、大倉さんは照れくさそうに「いやあ、あの時はイノキ、イノキって間違えられちゃって。」
キムさんは日本に来る度に大倉さんのご自宅に滞在し、大倉さんと一緒にハーレーに乗ってアメリカを横断したり、ペーパームーンにキムさんを迎えに来たりして「お前は日本の息子だ」ととても可愛がっていらしたようだ。大倉さんも金さんが亡くなってから毎年3月1日のご命日にはソウルに行って演奏をしているらしい。来年は亡くなって10年目にあたるのでみんなで演奏しましょう!という話で盛り上がった。
本当に大門さんのお蔭で楽しい饗宴。あっという間の濃厚な2時間だった。こんな素敵な出会いがあるから、即興もやめられない。フリー万歳!
素晴らしい写真を撮ってくれた、20歳の横溝光太郎君にも感謝してます。ありがとう。夏からのフランス留学頑張ってね。