娘が患っているレット症候群は、
進行性の神経疾患というだけあって、
常に体の動きを確認していないと、
今までできていたことが、すぐにできなくなってしまう。
専門医に言わせると、四肢を動かす運動は効果的。なんだとか。
なので、時々、このような大型遊具を使って遊ばせる。
自分の思ったように体が動かせないだけに、
いつも新鮮なスリルを味わえるのだな、
とその様子を見ていて気付いた。
そこに、
楽しそうに遊んでいる(ずいぶん大きな)お姉さんをみて
2歳児がやってきた。
興味津々。
そしてお姉さんの真似を始めた。
なるほどね😌
娘の動きは2歳児なのだ。
その小さな男の子をみて気付いた。
今まで、この遊具をどれだけ使って遊んできたことだろう。
どんなに遊んでも、どんなにがんばっても、
今日初めてこの遊具で遊ぶ2歳児と、
娘は体の使い方がおんなじなのだ…。
そう気付いて、
裁判の答弁書のことを思い出した。
受検時の娘の様子が記されていた。
『(受検時に使った道具の)マグネットボードを乱暴に
手で叩き倒していた(から学ぶ意欲は見取れなかった)』
娘は手足を連携させて上手に使うことや
力を加減することが難しい。
その様子は、まるで2歳児程度だ。
2歳の子に「コップにジュースを注げ」と言っても、
きっと上手には注げないだろう。
いくら飲みたい気持ちが強くても、だ。
けれど、何度も経験していくうちに
いつか上手にできる日がやってくるだろう。
娘はどうか…。
ひとりで食べる練習もたくさんした。
手で何かを使う練習もたくさんした。
けれど、どれもできるようにはならなかった。
それは、レット症候群だから、だ。
決して、本人にやる気がなかったから。
ではない。
マグネットボードを叩き落とすように見えたかもしれない。
けれど、本人は必死で試験を受け、
回答をしようとがんばっていたのだ。
障がいに対する無理解が、
病気の子どもの心を傷つけていることを
どうすればわかってもらえるのだろう。
果たして、そんな日はくるのだろうか。
障害者が嫌いな高校教師たちには
きっとそんな日は来ないだろうな。
進行性の神経疾患というだけあって、
常に体の動きを確認していないと、
今までできていたことが、すぐにできなくなってしまう。
専門医に言わせると、四肢を動かす運動は効果的。なんだとか。
なので、時々、このような大型遊具を使って遊ばせる。
自分の思ったように体が動かせないだけに、
いつも新鮮なスリルを味わえるのだな、
とその様子を見ていて気付いた。
そこに、
楽しそうに遊んでいる(ずいぶん大きな)お姉さんをみて
2歳児がやってきた。
興味津々。
そしてお姉さんの真似を始めた。
なるほどね😌
娘の動きは2歳児なのだ。
その小さな男の子をみて気付いた。
今まで、この遊具をどれだけ使って遊んできたことだろう。
どんなに遊んでも、どんなにがんばっても、
今日初めてこの遊具で遊ぶ2歳児と、
娘は体の使い方がおんなじなのだ…。
そう気付いて、
裁判の答弁書のことを思い出した。
受検時の娘の様子が記されていた。
『(受検時に使った道具の)マグネットボードを乱暴に
手で叩き倒していた(から学ぶ意欲は見取れなかった)』
娘は手足を連携させて上手に使うことや
力を加減することが難しい。
その様子は、まるで2歳児程度だ。
2歳の子に「コップにジュースを注げ」と言っても、
きっと上手には注げないだろう。
いくら飲みたい気持ちが強くても、だ。
けれど、何度も経験していくうちに
いつか上手にできる日がやってくるだろう。
娘はどうか…。
ひとりで食べる練習もたくさんした。
手で何かを使う練習もたくさんした。
けれど、どれもできるようにはならなかった。
それは、レット症候群だから、だ。
決して、本人にやる気がなかったから。
ではない。
マグネットボードを叩き落とすように見えたかもしれない。
けれど、本人は必死で試験を受け、
回答をしようとがんばっていたのだ。
障がいに対する無理解が、
病気の子どもの心を傷つけていることを
どうすればわかってもらえるのだろう。
果たして、そんな日はくるのだろうか。
障害者が嫌いな高校教師たちには
きっとそんな日は来ないだろうな。