
妖艶で華やかで奥ゆかしく、しかも食用
きっかけは、新聞の切り抜きを整理していて数年前の記事の中にカタクリの群生地の写真を見つけたことから・・・・
奈良県葛城山葛城高原ロッジ主催で毎年カタクリ鑑賞会をやっているらしい、さっそく問い合わせてみると今年もあるという、すぐ申し込んだ。
葛城山は大阪の金剛山から続いていて、ちょっとした登山愛好家のメッカでもある。

温帯性夏緑林(落葉樹)の林床に生える多年草で球根を植えてから
7~8年後1枚葉の時期を経た後、一つの鱗茎から2枚葉となったときやっと、一茎の花が咲きます。(カタクリの花は二枚葉とワンセット)
《葛城山のカタクリは植えたモノではなく自生しているモノです》
カタクリの花は太陽の光を感じて開閉します。
光を受けると反り返り夜には閉じます。
曇りや雨のときは花を閉じてしまいます。
又気温にも反応します。
《今日は好天気に恵まれ、心ゆくまでカタクリの花、堪能しました。》

カタクリの花の中
何やら文字のようなモノが見えます。
どのカタクリにも判で押したような模様があります。
これは新発見でした・・・
もののふの 八十娘(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
寺井の上の 堅香子(かたかご)の花
『カタカゴ』 は、万葉集に一首だけですが、大伴家持が、越中(富山県)の国守(知事)に赴任中(単身赴任だったとか)に詠った歌で、そのゆかりから、高岡市の花に指定されています。
カタクリは古名をカタカゴといい「傾いたカゴ」という意味です。
下向きに咲き、花弁が反り返る形からそう呼ばれました。
妖艶でありながら清楚、華麗だが庭より野にふさわしく、はかなげでありながら地中ではたくましいといった様々な点でのこの植物の二面性は、結果としてこの植物が長い年月を経て子孫を地上に残すのに有効に働いている。
今は人間の手でその美しさ、鱗茎の有効性(片栗粉)から迫害を受けているようにも見受けられるが、それも大伴家持の時代から約千三百年のことに過ぎない。
カタクリにとってこの不遇の千年は地中で鱗茎を太らせている一年のうちの十ヶ月のことを勘案すれば、受難でも何でもないのかもしれない。
今日のカタクリ鑑賞会には講師の先生がついてくださり、以上のようなお話をして下さいました。
ちなみに私は十数年前に栽培用カタクリを庭に植えたことがあったがいつの間にか消えてしまったという苦い思い出がある。