≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
湧出宮 一の鳥居

JR奈良線棚倉駅前に、古社、涌出宮があります。 正式名は、和伎座天乃夫岐賣(わきにいますあめのふきめ)神社。 「腋杜(わきのもり)」の中にある神社です。
創建は今より1200年前の称徳天皇天平神護二(766)年、伊勢国五十鈴川の畔より、御祭神としてこの地に勧請したと伝わる。
天乃夫岐賣命とは天照大神の御魂であるとされる。 大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったという。湧出宮という謂われである。
山城の祈雨神十一社の一社、延喜式八十五座の一として朝野の崇敬を受けた。
居籠舎

涌出宮の居籠祭(いごもりまつり) - 木津川市 (kizugawa.lg.jp)⇒こちら
毎朝、農家が運び込んだタケノコが並ぶ棚倉筍卸売市場(京都府木津川市山城町)

春の味覚・タケノコの季節到来 京都・木津川のJA卸売市場で初市こちら
蟹満寺




蟹供養塔

蟹満寺は、普門山と号し、かつては「紙幡寺」「加波多寺」とも言われました。白凰期の末期(690年代)に、秦氏によって建立されたと伝えられています。 『今昔物語集』や『古今著聞集』に出てくる「蟹の恩返し」で有名です。
※蟹の恩返し・・・観音を厚く信仰していたある一人の娘が蟹を助けた。後にその娘が蛇に求婚されて困っていると、蟹が蛇を殺して恩返しをしたという話。
国宝の釈迦如来坐像(高さ2.403m、重さ2tの金銅製)の造立は奈良時代以前と考えられています。
綺原神社 こちら


参道にかかった榊の勧請縄が印象的です。

綺原神社の境内のかたすみに牛。
菅原道真公を祀る天神社があるからですね。
橘諸兄公旧跡

橘諸兄公旧跡参道


橘諸兄は、井堤寺を建立するなど井手を拠点として活躍した奈良時代政治の要人です。
684年に生まれ、740年に45代聖武天皇を井手の玉井頓官にまねき、749年には正一位左大臣になったと伝えられています。 また、「万葉集」の撰者としても知られた文人で、父美努王とともに井手の地を愛し、玉川岸にヤマブキを植えたといわれています。
玉川でやまぶき鑑賞



玉川堤には山吹を詠んだ歌碑がいっぱいあります。こちら
見上げるとモミジの青葉がキレイ
小野小町のお墓にも寄ってみましょう、民家のすぐそばに・・・
小野小町の墓こちら


お昼ごろ

日暈 (ひがさ、にちうん・halo、英語読み: ヘイロー)、虹 のようにも見えることから 白虹 (はっこう、しろにじ)ともいう。太陽 に薄い 雲 がかかった際にその周囲に光の輪が現れる 大気光学現象 のことである。
ここで終点ではないのです、足元の道路に埋め込まれた「山背古道」の道標も招いてくれてました、
山背古道を歩いてて、足元のアスファルトで発見、丸い小さな道標



標高が思ったより高かったみたいです、見晴らしがよかった。

遠くにアレは生駒山?かな?
さすが、筍の産地竹林は見事に整備されてました。
JR山城多賀駅から電車に乗って帰路に。
棚倉の駅近くになってふと、窓の外見ると朝方、満載だった筍は空っぽになってました。
マンホール:井手町

町の花「ヤマブキ」と井桁が描かれている汚水用
山城町

京都府の山城町(やましろちょう)は2007年3月12日に木津町・加茂町と合併し木津川市となった。
町の花「キク」町の木「モミジ」そして
特産品のタケノコとお茶の花が描かれている
中央は合併前の町章で「山」を図案化したもの
道端のお花たち

ニワゼキショウ(庭石菖)アヤメ科

カワヂシャ(川萵苣)オオバコ科

ナヨクサフジ(弱草藤)マメ科

クサノオウ(瘡の王)ケシ科

カキドオシ(垣通し)シソ科

トキワツユクサ(常磐露草)ツユクサ科
トシちゃんは愛妻家で大のお酒好き。それが
高じて立ち飲み屋を始めることになり、不動産屋さんに斡旋をお願いしました。奥さんのケーコちゃんはひとりで美容院をされてますが お客さんには腕と器量を見込まれて繁盛してました。
「お父さん、お店をできる場所をお探しですか? それならウチの隣が空いてるやないの。ここでやりはったらどうどす?」
これが決め手となり お父さんはケーコさんの店の ワキデノミヤを始めはったんやそうですわ。
イヤイヤイヤイヤ
マジな話、パソコンで涌出宮を検索した時に「脇で飲み屋」が出て来たんですわ。
生駒に住んでいた借家のすぐ近くに住んでおられました。ご主人が住宅の内装工事をされていて、「精華町と言うところに空き家があるんだけど見に行かない」と誘ってくださいました。それが現在につながっているのだから出会いとは不思議なもんですね。
この綺田と言う地名、調べたら木津川と関係がありました。奈良万葉の時代からこのあたり一帯は水害の多い場所で『河庭田カバタ』、つまり川がよく荒れる場所という意味の地名だったようです。(饗庭さんも庭という字をバとあてるもんね)わんちゃんの行った綺原神社もそんなことと関係があるのかなと。
確かに「脇位で飲み屋」も。
「山田クン、座布団二枚あげて」
綺原神社って?
祭神は「タテイナダヒメ」です。
神に献ずる衣服を織る技術者及び養蚕技術者を祀った社とも言われており、綺氏一族(秦氏一族)の創起だと言われています。
私が新たに発見した一つが「湧出宮」(和枝神社)の「いごもり祭」です、以前、私が投稿コメントした祝園神社の「居篭り祭り」(いもごり祭)と同じタイプであるとビックリしました。・・・開催の日時や松明の形や燃やし方などに違いがありますが。
この山背(やましろ;奈良時代には奈良山の裏にあるこの地方の呼び名)古道は、城陽市(JR城陽駅)から井手町を通り、木津川市(上人ケ平遺跡公園)に至る約25kmの散策道で、1995年(平成7年)にそのルートが設定されています。
古くは奈良時代からこの古道があり、最近では、井手町に高さ30メートを超す五重の塔の礎石(橘諸兄に係る)が発見されたと新聞報道がありました。
私は沿線の史跡などで、椿井大塚山古墳で出土した30数枚の「三角縁神獣鏡」は女王 卑弥呼の鏡といわれ、「邪馬台国畿内説」が有力視されていること、玉川の駒岩「左り馬」(鎌倉時代の作といわれる)が昭和28年8月に発生の大水害で上流から運ばれたとする説などに興味があります。
皆さん「天井川」(災害多発地帯)はご存じですね??
城陽市(青谷川ほか2河川)、井手町(玉川ほか2河川)、木津川市(不動川ほか3河川)合計10河川あり、まさに天井川王国地帯です。
不思議とこの古道のルートはこの天井川を横断しています。このことは、なにを意味するのでしょうか??
私の持論ですが、次のことが考えられます
(1)奈良時代の神社仏閣などに沢山の木材が必要となり、森林が過伐採され、明治、大正、昭和(プロパンガスが普及されるまで)に至るまで、燃料などに沢山の森林が伐採放置されたこと。
(2)この古道一体の地質は、和束町、笠置町、南山城村と同じく「風化花崗岩」で多く形成され、山肌が雨などにより、削られ、浸食され続けられたこと・・・従って下流の川に真砂土類の土砂が溜まりすぎ、河床も年々高くなる→天井川の原因
(3)土壌は水はけがよく、タケノコ、お茶、ブドウなどの栽培に適した土壌になった。、
「平成の名水百選」、日本の「六 玉川」として親しまれている井手町の玉川も過去には甚大な災害をもたらす「暴れ川」が本当の姿です。
従って、硬い気分では、「防災予知探検」ハイキングも必要かも!!!
それとも、、「上意で、気遣う(城・井出・木津かう)」ハイキングを計画しましょうか!!!
https://blog.goo.ne.jp/mn1944/e/10001061186b0eb59ff643db813f31ab