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「日本のいちばん長い日」や「ノモンハンの夏」、自称・歴史探偵、元・文芸春秋編集長、作家・歴史家等の
半藤一利さんが亡くなった。90才。
(画像はウィキペディア借用)
合掌
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食べるものがない①戦中(昭和15年~終戦)
昭和15年から25年の10年間は、食べ物に事欠いたのは知られているが
それは町に住む人のことであって、
自給自足の農村の人にとっては、あまり関係のないことであった。
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「昭和・平成家庭史年表」 河出書房新社 1997年発行
昭和15年
2.3 各地、節分の豆撒きで、撒いた豆は集めて慰問袋に入れる。
3.- 待合・料理屋の営業時間が1時間短縮され午後11時までとなる。
4.7 全国で肉なしデーが始まる。
4.29 高知で米の切符配給制が始まる。順次全国へ。
5.10 週1回の節米デーが始まる。大豆入り昆布めし、ニシン入りうどんめし・・など。
6.- 野草食が流行し、雑草のパンや桑の葉パンも登場。
10.- 砂糖の配給統制が実施。
昭和16年
1.20 米屋の自由営業が廃止。
1.27 食糧増産のため国鉄の線路わきにトウモロコシが植えられることになる。
2.3 各地の節分が豆抜きとなる。
2.27 横浜市、食糧増産のため市内の桑畑をつぶして米麦生産へ。この頃、全国で桑畑の整理盛ん。
2.- 清酒が配給に。
4.1 大都市で米穀の配給通帳制。1人1日当たり2合3勺。
4.8 肉屋で犬・タツノオトシゴ・オットセイの肉も販売できるようになる。
4.17 厚生省が大豆・馬鈴薯・人参など空閑地栽培方法を全国へ通牒。
5.- 九段の外濠に「水産の空き地利用」として鯉を1万匹を放流。
6.- 備荒動植物の調査をまとめる。げんごろうの天ぷら、トンボの佃煮など。雑草の1.000種、動物は100種が食糧になると。
7.- 東京の野菜不足が深刻化
-.- 作付け統制令により、スイカ・マクワウリ・イチゴなどが不急作物として栽培抑制、次いで禁止扱い。
-.- キャベツが急速に普及。食糧不足の折から、1個で大勢が食べられることが普及の原因。
昭和17年
2.1 みそ・醤油・塩が配給制となる。
8.- 南方占領の戦果として届いたコーヒーと紅茶が配給される。
9.- マヨネーズの製造を中止。
10.8 農林省、飯米にトウモロコシのひき割を混ぜるよう通達。
-.- 食糧不足の人体への影響が出始める。
昭和18年
1.7 米の搗き減りを防ぐため、配給米が5分搗き米となる。
1.15 玄米配給が始まる。
1.- 戦時代用食「芋パン」登場。薩摩芋を粉にし、4割小麦粉を混ぜ、イワシの粉5分などを混入。
2.- 東京で菓子の配給はじまる。
3.- リンゴ園の耕作転換令が出される。
6.4 政府、食糧増産応急対策を決定、休閑地で雑穀増産。
7.16 「サツマイモは大切な主食」という標語のもと、大増産運動が始まる。
-.- 空地利用の路傍菜園、校庭農園も本格化。
昭和19年
1.24 スイカ・メロンの作付け禁止。イチゴ・唐辛子・落花生など不急作物は抑制が強化される。
2.24 内務省、河川堤防に大豆・そら豆の栽培を許可。
2.25 文部省 食糧増産に学童500万人の動員を決定。
4.23 「食べられるものいろいろ」が週刊毎日(現サンデー毎日)に掲載される。虫・・・孫太郎虫、ささ虫、クロスズメバチの幼虫とサナギ、げんごろう虫。「国内も前線と同じく虫けらどもを食べても頑張ろう」。
5.4 決戦食に「菊芋」登場。牛の飼料になっていたもの。
7.- 柿やリンゴの皮・落花生を用いた戦時代用パンが登場。
8.1 砂糖の家庭用配給が停止される。
12.17 軍需相、全国の飼い犬の強制的供出を決める。毛皮は飛行服、肉は食用にするため。
昭和20年
1.30 閣議でイモ類増産対策要綱を決定。戦時下の食糧と軍用液体燃料の生産原料確保のため、特攻魂でサツマイモなどの2倍増産を目指すと。
7.- この頃、蛋白源として、ヘビ・カエル・ネズミも食用に。
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つづく→食べるものがない②戦後
「日本のいちばん長い日」や「ノモンハンの夏」、自称・歴史探偵、元・文芸春秋編集長、作家・歴史家等の
半藤一利さんが亡くなった。90才。
(画像はウィキペディア借用)
合掌
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食べるものがない①戦中(昭和15年~終戦)
昭和15年から25年の10年間は、食べ物に事欠いたのは知られているが
それは町に住む人のことであって、
自給自足の農村の人にとっては、あまり関係のないことであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「昭和・平成家庭史年表」 河出書房新社 1997年発行
昭和15年
2.3 各地、節分の豆撒きで、撒いた豆は集めて慰問袋に入れる。
3.- 待合・料理屋の営業時間が1時間短縮され午後11時までとなる。
4.7 全国で肉なしデーが始まる。
4.29 高知で米の切符配給制が始まる。順次全国へ。
5.10 週1回の節米デーが始まる。大豆入り昆布めし、ニシン入りうどんめし・・など。
6.- 野草食が流行し、雑草のパンや桑の葉パンも登場。
10.- 砂糖の配給統制が実施。
昭和16年
1.20 米屋の自由営業が廃止。
1.27 食糧増産のため国鉄の線路わきにトウモロコシが植えられることになる。
2.3 各地の節分が豆抜きとなる。
2.27 横浜市、食糧増産のため市内の桑畑をつぶして米麦生産へ。この頃、全国で桑畑の整理盛ん。
2.- 清酒が配給に。
4.1 大都市で米穀の配給通帳制。1人1日当たり2合3勺。
4.8 肉屋で犬・タツノオトシゴ・オットセイの肉も販売できるようになる。
4.17 厚生省が大豆・馬鈴薯・人参など空閑地栽培方法を全国へ通牒。
5.- 九段の外濠に「水産の空き地利用」として鯉を1万匹を放流。
6.- 備荒動植物の調査をまとめる。げんごろうの天ぷら、トンボの佃煮など。雑草の1.000種、動物は100種が食糧になると。
7.- 東京の野菜不足が深刻化
-.- 作付け統制令により、スイカ・マクワウリ・イチゴなどが不急作物として栽培抑制、次いで禁止扱い。
-.- キャベツが急速に普及。食糧不足の折から、1個で大勢が食べられることが普及の原因。
昭和17年
2.1 みそ・醤油・塩が配給制となる。
8.- 南方占領の戦果として届いたコーヒーと紅茶が配給される。
9.- マヨネーズの製造を中止。
10.8 農林省、飯米にトウモロコシのひき割を混ぜるよう通達。
-.- 食糧不足の人体への影響が出始める。
昭和18年
1.7 米の搗き減りを防ぐため、配給米が5分搗き米となる。
1.15 玄米配給が始まる。
1.- 戦時代用食「芋パン」登場。薩摩芋を粉にし、4割小麦粉を混ぜ、イワシの粉5分などを混入。
2.- 東京で菓子の配給はじまる。
3.- リンゴ園の耕作転換令が出される。
6.4 政府、食糧増産応急対策を決定、休閑地で雑穀増産。
7.16 「サツマイモは大切な主食」という標語のもと、大増産運動が始まる。
-.- 空地利用の路傍菜園、校庭農園も本格化。
昭和19年
1.24 スイカ・メロンの作付け禁止。イチゴ・唐辛子・落花生など不急作物は抑制が強化される。
2.24 内務省、河川堤防に大豆・そら豆の栽培を許可。
2.25 文部省 食糧増産に学童500万人の動員を決定。
4.23 「食べられるものいろいろ」が週刊毎日(現サンデー毎日)に掲載される。虫・・・孫太郎虫、ささ虫、クロスズメバチの幼虫とサナギ、げんごろう虫。「国内も前線と同じく虫けらどもを食べても頑張ろう」。
5.4 決戦食に「菊芋」登場。牛の飼料になっていたもの。
7.- 柿やリンゴの皮・落花生を用いた戦時代用パンが登場。
8.1 砂糖の家庭用配給が停止される。
12.17 軍需相、全国の飼い犬の強制的供出を決める。毛皮は飛行服、肉は食用にするため。
昭和20年
1.30 閣議でイモ類増産対策要綱を決定。戦時下の食糧と軍用液体燃料の生産原料確保のため、特攻魂でサツマイモなどの2倍増産を目指すと。
7.- この頃、蛋白源として、ヘビ・カエル・ネズミも食用に。
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つづく→食べるものがない②戦後