しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

内山完造

2021年05月06日 | 銅像の人
場所・岡山県井原市芳井町  芳井町図書館入口






「井原・笠岡・浅口の歴史」 太田健一監修  2009年発行

内山完造

明治18年後月郡吉井村に生まれ、12歳で大阪へ丁稚奉公に出た完造は大阪・京都での生活に絶望し、
新天地を求めて大正2年28歳で参天堂の目薬を売る出張員として中国上海へ渡った。
その後、妻みきが書店を開業すると、完造も書店経営に携わった。
日本人・中国人の区別なく本の「掛売り」をするなど、丁稚時代に身につけた商売人としての才能も手伝い、
他の書店とは一味違った商売をした。

人種差別をしない完造夫婦の生活信条は、現地の中国人から大きな信頼を得ることになり、
当時日本の侵略的な対中国政策に対する反日・排日貨運動が中国全土に広がる中も、
内山書店は順調に拡大していった。

本を売るだけでなく、
書店の中に机と椅子を置き、雑談を楽しむ場も設けた。
日本から谷崎潤一郎や金子光晴・横光利一・香川豊彦・吉野作造・鈴木大拙が書店を訪れ、
中国の著名な文化人と交流し、書店は日中の有名文化人サロンとなった。

魯迅と出会い魯迅一家を助け亡くなるまで10年間、物心両面の支援を続けた。








撮影日・2018年11月4日



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(金太郎ではなくて)郵太郎

2021年05月06日 | 銅像の人
場所・石川県金沢市  JR金沢駅構内


うん?金沢と金太郎はどんなつながりがあったかな。
なになに!よくよくみると・・・金太郎ではないぞ。





【郵太郎オフィシャルサイト】

郵太郎

金沢生まれ、金沢育ち。
生粋の金沢っ子の郵太郎。
60歳の誕生日と2015年北陸新幹線開業をきっかけに、加賀人形をかたどったキャラクターへと成長を遂げ、
愛する金沢の町をとびまわっている。

昭和29年4月19日、日本国有鉄道金沢駅舎の落成を記念し、
金沢の伝統工芸を代表する郷土色豊かな加賀人形を題材とした特殊郵便差出箱、
通称「郵太郎ポスト」(制作者 長谷川 八十氏(1909~1982、金沢市生まれ))を駅構内に設置。
2014年に生誕60周年を記念し、
また2015年3月の北陸新幹線金沢開業にあわせて、
伝統的なオリジナルの郵太郎に加え、新デザインのキャラクターも誕生しました。
現在、郵太郎は各種イベント等に参加し、金沢のまちや郵便局のPR活動をおこなっています。







撮影日・2015月3月10日


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花咲かじじい

2021年05月06日 | 銅像の人
場所・岡山県久米郡美咲町西川 三休(みやすみ)公園


独身の頃、仕事で旭町役場の人と話す事があった。
町の紹介では
「旭川ダムが完成後は、ダム湖の周囲や道路沿いに桜を植えるのがプロジェクトでづっと続いています」
と話されていた。

当時は旭川ダム湖沿いを走る人しか知らなかったが、
湖にそって延々とつづく桜は見事だった。







旭川ダムは昭和30年に完成している、
桜の植樹を始めてから60余年。
その間、旭町は町村合併で美咲町になった。
今は岡山県を代表する桜の名所になっている。









撮影日・2019年4月9日



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重宗 雄三

2021年05月06日 | 銅像の人
場所・山口県岩国市  吉香公園

元参議院議長、長州御三家と呼ばれる実力者であったそうだ。






(Wikipedia)

重宗 雄三
(しげむね ゆうぞう)

1894年(明治27年)2月11日 - 1976年(昭和51年)3月13日)は、昭和期の政治家、実業家。参議院議長を3期9年間にわたり務めた。
山口県岩国市出身。

来歴・人物
1946年(昭和21年)8月14日、貴族院議員に勅選される。
その後、同郷の岸信介、佐藤栄作兄弟に懇請される形で1947年(昭和22年)、第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選する。
1953年(昭和28年)から三年間、参議院副議長。1959年(昭和34年)、岸内閣に運輸大臣として入閣する。
自民党参議院議員会長などを経て、1962年に参議院議長に就任する。

参議院議長
3期9年間にわたり参議院のドンとして君臨し、池田勇人・佐藤栄作両政権を支えた。
その影響力の強さから、佐藤・岸信介とともに長州御三家と呼ばれた。
佐藤も重宗の意向に逆らっては法案審議もままならぬとて、しばしば議長室に自ら赴いて頭を下げるほどであった。
参議院自民党のトップとして閣僚人事にも影響を与えたため、ポスト欲しさに日参する参議院議員は多く、「重宗詣で」と呼ばれた。
その権勢から「重宗天皇」と称され、参議院は「重宗王国」とまで呼ばれた。









撮影日・2009年5月23日

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