場所・岡山県井原市芳井町 芳井町図書館入口
「井原・笠岡・浅口の歴史」 太田健一監修 2009年発行
内山完造
明治18年後月郡吉井村に生まれ、12歳で大阪へ丁稚奉公に出た完造は大阪・京都での生活に絶望し、
新天地を求めて大正2年28歳で参天堂の目薬を売る出張員として中国上海へ渡った。
その後、妻みきが書店を開業すると、完造も書店経営に携わった。
日本人・中国人の区別なく本の「掛売り」をするなど、丁稚時代に身につけた商売人としての才能も手伝い、
他の書店とは一味違った商売をした。
人種差別をしない完造夫婦の生活信条は、現地の中国人から大きな信頼を得ることになり、
当時日本の侵略的な対中国政策に対する反日・排日貨運動が中国全土に広がる中も、
内山書店は順調に拡大していった。
本を売るだけでなく、
書店の中に机と椅子を置き、雑談を楽しむ場も設けた。
日本から谷崎潤一郎や金子光晴・横光利一・香川豊彦・吉野作造・鈴木大拙が書店を訪れ、
中国の著名な文化人と交流し、書店は日中の有名文化人サロンとなった。
魯迅と出会い魯迅一家を助け亡くなるまで10年間、物心両面の支援を続けた。
撮影日・2018年11月4日
「井原・笠岡・浅口の歴史」 太田健一監修 2009年発行
内山完造
明治18年後月郡吉井村に生まれ、12歳で大阪へ丁稚奉公に出た完造は大阪・京都での生活に絶望し、
新天地を求めて大正2年28歳で参天堂の目薬を売る出張員として中国上海へ渡った。
その後、妻みきが書店を開業すると、完造も書店経営に携わった。
日本人・中国人の区別なく本の「掛売り」をするなど、丁稚時代に身につけた商売人としての才能も手伝い、
他の書店とは一味違った商売をした。
人種差別をしない完造夫婦の生活信条は、現地の中国人から大きな信頼を得ることになり、
当時日本の侵略的な対中国政策に対する反日・排日貨運動が中国全土に広がる中も、
内山書店は順調に拡大していった。
本を売るだけでなく、
書店の中に机と椅子を置き、雑談を楽しむ場も設けた。
日本から谷崎潤一郎や金子光晴・横光利一・香川豊彦・吉野作造・鈴木大拙が書店を訪れ、
中国の著名な文化人と交流し、書店は日中の有名文化人サロンとなった。
魯迅と出会い魯迅一家を助け亡くなるまで10年間、物心両面の支援を続けた。
撮影日・2018年11月4日