場所・秋田県鹿角郡小坂町 「明治100年通り」
康楽館
鉱山労働者のための芝居小屋
小坂鉱山は、江戸時代の南部藩営鉱山をへて、明治政府の官営鉱山となり、
明治41年からは日本初の露天掘りが開始されて日本最大の銅山として繁栄した。
その2年後、
小坂鉱山労働者の娯楽施設として竣工した芝居用劇場が、康楽館である。
戦後のカラーテレビや建物の老朽化で、昭和45年に興業が中止されるまで
歌舞伎・新劇・映画などの上演・上映を続けてきた。
住民の熱意により昭和61年に修復され、日本最古の芝居小屋として新たな歴史を刻み、
平成14年には国の重要文化財に指定されている。
「日本近代建築大全」 米山勇 講談社 2010年発行
康楽館
康楽館は、労働者の福利厚生施設として明治43年に完成した芝居小屋で、
昭和45年まで公演が行われた。
外観は当時としては斬新な洋風建築だが、舞台構造は江戸時代から続く伝統的な芝居小屋を踏襲している。
福利厚生施設は充実しており、特に病院はへき地医療を実現した。
後に県下一の総合病院となった。
企業が病院を設置した先駆的な例でもある。
この他にも多数の施設が現存する。
「日本の産業遺産」二村悟著 平凡社 2014年発行
撮影日・2018年6月29日
康楽館
鉱山労働者のための芝居小屋
小坂鉱山は、江戸時代の南部藩営鉱山をへて、明治政府の官営鉱山となり、
明治41年からは日本初の露天掘りが開始されて日本最大の銅山として繁栄した。
その2年後、
小坂鉱山労働者の娯楽施設として竣工した芝居用劇場が、康楽館である。
戦後のカラーテレビや建物の老朽化で、昭和45年に興業が中止されるまで
歌舞伎・新劇・映画などの上演・上映を続けてきた。
住民の熱意により昭和61年に修復され、日本最古の芝居小屋として新たな歴史を刻み、
平成14年には国の重要文化財に指定されている。
「日本近代建築大全」 米山勇 講談社 2010年発行
康楽館
康楽館は、労働者の福利厚生施設として明治43年に完成した芝居小屋で、
昭和45年まで公演が行われた。
外観は当時としては斬新な洋風建築だが、舞台構造は江戸時代から続く伝統的な芝居小屋を踏襲している。
福利厚生施設は充実しており、特に病院はへき地医療を実現した。
後に県下一の総合病院となった。
企業が病院を設置した先駆的な例でもある。
この他にも多数の施設が現存する。
「日本の産業遺産」二村悟著 平凡社 2014年発行
撮影日・2018年6月29日