場所・宮城県仙台市青葉区川内 青葉城
〽
春高楼の花の宴 巡る盃かげさして 千代の松が枝わけ出でし 昔の光いまいずこ

土井晩翠
明治に仙台に生まれ、
昭和初期に活躍した詩人、英文学者。
滝廉太郎が作曲した「荒城の月」の作詞者として知られる。
全国各地の学校の校歌を作詞したことでも有名。
「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行

土井晩翠(像の説明文)
晩翠は本名を林吉といい明治四年(一八七一年)仙台市北鍛冶町の質商土井七郎兵衛の長男として生まれた。
明治十一年、培根小学校(今の木町小学校)に入り、のち立町小学校に転校、仙台英語学校、旧制第二高等学校を経て、明治三十年東京帝国大学英文科を卒業、
明治三十三年母校二高の教授として帰仙した。
その間、三十一年に不朽の名作「荒城の月」を詩作発表、
続いて第一詩集「天地有情」を処女出版した。
島崎藤村の「若葉集」におくれること二年の明治三十二年、晩翠の二十八才から二十九才にかけての頃であった。
のち六つの詩集や数多くの随筆など出版した。
昭和二十二年日本芸術院会員、二十四年仙台市名誉市民に推され翌二十五年、文化勲章を受章され
昭和二十七年十月十九日、仙台市本荒町の晩翠草堂で情熱の詩人としての八十一年の生涯を閉じられた。
この碑は昭和二十七年、晩翠会等によって建てられたものです。
撮影日・2018年8月6日
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春高楼の花の宴 巡る盃かげさして 千代の松が枝わけ出でし 昔の光いまいずこ

土井晩翠
明治に仙台に生まれ、
昭和初期に活躍した詩人、英文学者。
滝廉太郎が作曲した「荒城の月」の作詞者として知られる。
全国各地の学校の校歌を作詞したことでも有名。
「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行

土井晩翠(像の説明文)
晩翠は本名を林吉といい明治四年(一八七一年)仙台市北鍛冶町の質商土井七郎兵衛の長男として生まれた。
明治十一年、培根小学校(今の木町小学校)に入り、のち立町小学校に転校、仙台英語学校、旧制第二高等学校を経て、明治三十年東京帝国大学英文科を卒業、
明治三十三年母校二高の教授として帰仙した。
その間、三十一年に不朽の名作「荒城の月」を詩作発表、
続いて第一詩集「天地有情」を処女出版した。
島崎藤村の「若葉集」におくれること二年の明治三十二年、晩翠の二十八才から二十九才にかけての頃であった。
のち六つの詩集や数多くの随筆など出版した。
昭和二十二年日本芸術院会員、二十四年仙台市名誉市民に推され翌二十五年、文化勲章を受章され
昭和二十七年十月十九日、仙台市本荒町の晩翠草堂で情熱の詩人としての八十一年の生涯を閉じられた。
この碑は昭和二十七年、晩翠会等によって建てられたものです。
撮影日・2018年8月6日