万葉歌碑
2018-01-19 | 雑記
四極山 うち越え見れば笠縫の
島こぎかくる 棚無し小舟
これは万葉集巻3に収められている歌で、
作者は 高市連黒人という人です。
なんでまたと、、おもわれますよね。
実は暖かさに誘われて散歩に出たのですが、
いつも同じコースでは面白くないと思っていたところ、
「万葉の歌碑公園」なる看板を見つけ向かいました。
そこはいつも行く「かんたん港園」と反対側にあたる
マリーナの一角でした。

まあ、こんな所です。
公園というには無理があるようにもおもいますが、、

こうすると読めますかしら。
説明によると、
高市連黒人(たけちのむらじくろひと)は文武天皇の頃(西暦700年)宮廷歌人として活躍し、旅に出た各所で歌を遺しています。
この歌は場所について諸説あるものの、豊後説が有力であることから、大分市観光協会が、名所として
後世のためにここに残す趣旨が書かれていました。
四極山(しはつやま)は今の高崎山のことで、
笠縫島はこの歌碑のある大分市生石港町ということです。
いつ建立かと見ると、昭和60年ですからそう昔というほどでもないですね。
遥か千何百年前はこの辺りはどうだったのでしょうか。
高崎山だけは今と変わらぬ姿でしょうか。

現在の港
島こぎかくる 棚無し小舟
これは万葉集巻3に収められている歌で、
作者は 高市連黒人という人です。
なんでまたと、、おもわれますよね。
実は暖かさに誘われて散歩に出たのですが、
いつも同じコースでは面白くないと思っていたところ、
「万葉の歌碑公園」なる看板を見つけ向かいました。
そこはいつも行く「かんたん港園」と反対側にあたる
マリーナの一角でした。

まあ、こんな所です。
公園というには無理があるようにもおもいますが、、

こうすると読めますかしら。
説明によると、
高市連黒人(たけちのむらじくろひと)は文武天皇の頃(西暦700年)宮廷歌人として活躍し、旅に出た各所で歌を遺しています。
この歌は場所について諸説あるものの、豊後説が有力であることから、大分市観光協会が、名所として
後世のためにここに残す趣旨が書かれていました。
四極山(しはつやま)は今の高崎山のことで、
笠縫島はこの歌碑のある大分市生石港町ということです。
いつ建立かと見ると、昭和60年ですからそう昔というほどでもないですね。
遥か千何百年前はこの辺りはどうだったのでしょうか。
高崎山だけは今と変わらぬ姿でしょうか。

現在の港