午前中に取材準備と別件のお仕事の準備。
今日は、来年結成20周年を迎えるジミ・ヘンドリクスのトリビュートバンドTHE BAND OF SHIGEO ROLLOVERの中野重夫さんの取材。以前、このブログのサブタイトルに使っていた“ROLLOVER”というのは、もちろんこの中野さんのROLLOVERから頂いている。やはり、日本で一番かっちょいいバンド名である。
しかしご存知の方はご存知だが、中野さんの活動拠点は東京ではなく名古屋、三重である。ということで、中野さんに会いに三重県松阪市へ向かう。そう言えば去年は文我さんの取材で松阪行ったなァ…と思いながら、そのときと同じ特急みえに乗車。ネットで調べたところ最寄の駅はJR六軒駅。松阪駅のひとつ手前である。THE BAND OF SHIGEO ROLLOVERの取材で、ロッケン駅、なんともロッキンな取材旅行じゃないかと車内から暮れなずむ三重の夕焼けを眺めていた…しかしこれがまず間違いの元だった。
取材1時間前の17時に六軒駅に到着。ちょっと早いが、おそらく松阪駅とは違い、タクシーもないだろうし、中野さんの個人スタジオまで2、3キロの徒歩移動は覚悟していたので、これは予定通りだ。
しかし予定通りでなかったのは、六軒駅が畑の中にぽつんとあるような、荒野のような無人駅だったことだ。降り立った瞬間に愕然とした。急速に六軒駅周辺は闇に包まれていく。ところどころにある街灯の光もあまりにも弱弱しい。細い道路にオレ以外の歩行者などいるわけがなく、すぐ側でものすごいスピードで車が走り抜けている。郵便局のバイクに轢き殺されそうになった。しかしそれも仕方がない。そもそも、“普段、そんなところをてくてく歩いている地元民などいない”のだ。
まず30分ほどさ迷った。仕方がないので暗闇の住宅街に1軒だけ見つけた酒屋のおばちゃんに道を訊くがどうも要領を得ない。しかし目的地がこの周辺ではないことは間違いないようだった。改めて地図を確認し、中野さんに電話をすると、まったく逆方向に2キロほど歩いてしまっていた。しかも最寄の駅は六軒ではないという。私鉄の駅だった。そこからまたひたすら、ひたすら国道23号線を歩いた。23号は幹線道路で車はうなるほど走っていたが、すれ違う歩行者はまったくいなかった。歩く土地ではないのだ。そして40分か50分ほど歩き、目的の住所表示に近づいたときには思わずカメラを取り出し、それを撮影した。今回の取材で撮る必要などまったくないのだが。
さすがに中野さんも外まで出てきて出迎えてくれた。泣いた。心の中で。
それから約2時間、尊敬すべきジミヘン・リスペクター中野さんの話を訊く。やはり中野さんもホンモノの人だった。
もう今晩、東京には帰れないことは覚悟した。
取材終了後、中野さんに誘っていただき、松阪のライブハウスMAXAでちと食事。これが、ちょっと地元民が羨ましくなるようなとてもいいハコだった。
ちなみにこの日は元ダンガン・ブラザース・バンドの中島文明さんのライブ。滞在時間が短かったのが残念。
中野さんに駅まで送っていただき(ロッケンではない方)、再会を約束して、名古屋へ向かう。しかし駅周辺で目ぼしい酒場が見つからず(名古屋には「世界の山ちゃん」しかないのか)、結局、名古屋のロンサムな若人が集う駅前のネットカフェでこの日記を書いてるってわけさ。隣のサラリーマンのいびきがノイジーだ。
今日中に…の予定だった原稿も結局書けなかった。
ホントにこんな状態で今日の昼までにオレはカシマスタジアムに行けるのか(カシマ行きのほとんど唯一のモチベーションだったJJは結局出場しないらしい…もう会えないのが悲しい)。
キーポン・ロッケン。
(追記)
今月15日、MAXAで麗と蘭のアコースティックライブがある。
あそこで観られる松阪の民が羨ましい…マジ。
今日は、来年結成20周年を迎えるジミ・ヘンドリクスのトリビュートバンドTHE BAND OF SHIGEO ROLLOVERの中野重夫さんの取材。以前、このブログのサブタイトルに使っていた“ROLLOVER”というのは、もちろんこの中野さんのROLLOVERから頂いている。やはり、日本で一番かっちょいいバンド名である。
しかしご存知の方はご存知だが、中野さんの活動拠点は東京ではなく名古屋、三重である。ということで、中野さんに会いに三重県松阪市へ向かう。そう言えば去年は文我さんの取材で松阪行ったなァ…と思いながら、そのときと同じ特急みえに乗車。ネットで調べたところ最寄の駅はJR六軒駅。松阪駅のひとつ手前である。THE BAND OF SHIGEO ROLLOVERの取材で、ロッケン駅、なんともロッキンな取材旅行じゃないかと車内から暮れなずむ三重の夕焼けを眺めていた…しかしこれがまず間違いの元だった。
取材1時間前の17時に六軒駅に到着。ちょっと早いが、おそらく松阪駅とは違い、タクシーもないだろうし、中野さんの個人スタジオまで2、3キロの徒歩移動は覚悟していたので、これは予定通りだ。
しかし予定通りでなかったのは、六軒駅が畑の中にぽつんとあるような、荒野のような無人駅だったことだ。降り立った瞬間に愕然とした。急速に六軒駅周辺は闇に包まれていく。ところどころにある街灯の光もあまりにも弱弱しい。細い道路にオレ以外の歩行者などいるわけがなく、すぐ側でものすごいスピードで車が走り抜けている。郵便局のバイクに轢き殺されそうになった。しかしそれも仕方がない。そもそも、“普段、そんなところをてくてく歩いている地元民などいない”のだ。
まず30分ほどさ迷った。仕方がないので暗闇の住宅街に1軒だけ見つけた酒屋のおばちゃんに道を訊くがどうも要領を得ない。しかし目的地がこの周辺ではないことは間違いないようだった。改めて地図を確認し、中野さんに電話をすると、まったく逆方向に2キロほど歩いてしまっていた。しかも最寄の駅は六軒ではないという。私鉄の駅だった。そこからまたひたすら、ひたすら国道23号線を歩いた。23号は幹線道路で車はうなるほど走っていたが、すれ違う歩行者はまったくいなかった。歩く土地ではないのだ。そして40分か50分ほど歩き、目的の住所表示に近づいたときには思わずカメラを取り出し、それを撮影した。今回の取材で撮る必要などまったくないのだが。
さすがに中野さんも外まで出てきて出迎えてくれた。泣いた。心の中で。
それから約2時間、尊敬すべきジミヘン・リスペクター中野さんの話を訊く。やはり中野さんもホンモノの人だった。
もう今晩、東京には帰れないことは覚悟した。
取材終了後、中野さんに誘っていただき、松阪のライブハウスMAXAでちと食事。これが、ちょっと地元民が羨ましくなるようなとてもいいハコだった。
ちなみにこの日は元ダンガン・ブラザース・バンドの中島文明さんのライブ。滞在時間が短かったのが残念。
中野さんに駅まで送っていただき(ロッケンではない方)、再会を約束して、名古屋へ向かう。しかし駅周辺で目ぼしい酒場が見つからず(名古屋には「世界の山ちゃん」しかないのか)、結局、名古屋のロンサムな若人が集う駅前のネットカフェでこの日記を書いてるってわけさ。隣のサラリーマンのいびきがノイジーだ。
今日中に…の予定だった原稿も結局書けなかった。
ホントにこんな状態で今日の昼までにオレはカシマスタジアムに行けるのか(カシマ行きのほとんど唯一のモチベーションだったJJは結局出場しないらしい…もう会えないのが悲しい)。
キーポン・ロッケン。
(追記)
今月15日、MAXAで麗と蘭のアコースティックライブがある。
あそこで観られる松阪の民が羨ましい…マジ。