徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

第二章、開幕前夜

2008-03-08 00:09:45 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
これは決してジャーナリズムの世界の話ではない。狂暴で冷酷なマーケティング、ビジネスの世界の話だ。オレがここで書き連ねているような、ロマンチックで甘っちょろい「物語」などは木っ端微塵になるかもしれない。

大きな物語を否定し、日本全国に小さな物語を同時多発させることで、日本に革命的なスポーツ文化の旗を掲げたはずのJリーグは、しかし一方でマスメディアを通して「代表」というグローバルで、世界規模の大きな物語と比較され、対峙しなければならないという矛盾を孕んでいる。それは主従関係といってもいい。マスメディアの評価軸がより「大きな物語」である代表=代表選手に偏重してしまうのも、そんなわけだ。15年経っても所詮、変わらないものは何も変わらない。

しかし、やはりオレたちも、もうそろそろ「オレたちは強い」というゲーフラを掲げるべきなのだ。数年前の川崎サポのように「オレたちを認めろ」という声を挙げるべきなのだ(すっかり自他共に認める、強くなった川崎サポの彼は、明日もそのゲーフラを掲げるだろうか)。
リバイブの3年間を経た健太と若いチームが、リジョイスのために、さらにこれからどんな成長を遂げていくのか、楽しみでならない。そこには専門誌(紙)が謳い上げるわかりやすくて、薄っぺらいゴミのようなキャッチコピーを超える、骨太で本物の物語があるからだ。

ある女性が、オレの質問に胸を張ってこう答えた(今までインタビューした中でも特に感銘を受けたインタビューイのひとりだ)。
<我々がする仕事は、東京の片隅で起きていてもグローバルなコミュニケーションの中にある。>
<東京の片隅>という言葉を<静岡の片隅>と言い替えてもいい。清水で、静岡で起こる小さな物語であっても、それは確実に大きな物語へ、世界へとつながっている。マーケティングやビジネスなどという、目先の「小さな問題」ではないのだ。

明日の日本平は最高のスタジアムになるよ。
健太と若いチームのために「王者の旗」を謳おう。