徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

証明

2007-12-15 17:54:18 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
天皇杯で広島が磐田に完勝した。
これまでもフリューゲルスやセレッソが消滅、降格から決勝まで勝ち上がってきたことはあるけれども、降格手前まで追い込まれた健太エスパルスの初年もそうだった。
モチベーションの違いということが一番大きいと思うが、これは要するに、力の証明である。そんなに力があるならリーグ戦で発揮しろよ!とも思うが、力がありながら報われなかったシーズンをファイナリストという形で証明しているわけだ。今日の完勝で広島は、オレが優勝予想の穴候補にしていただけの力は証明した(もう充分証明したので東京戦まで頑張ってくれればいい)。
健太エスパルスの初年度の場合は、ディフェンスの構築という意味で積み上げてきた力を証明したわけで、決してフリューゲルスやセレッソのような火事場の馬鹿力的な勢いだけだったわけではないが。
さて、当面の相手はガンバ、そして東京、広島に絞られた。

それにしてもJのない2週間って長いよなァ(その間に原稿終わらせろって話だが)。

博多取材⑥

2007-12-08 18:29:39 | LB中洲通信2004~2010
今回の取材はこれで終了。飛行機の時間までまだ4時間ほどあったので、タクシーを中洲で降り、新しく中洲に出来たというJRA場外発売所(エクセル中洲)や博多座周辺を撮影。やはり競艇場に配慮したのか、エクセルはひっそりと小さい。
前回の博多取材で行ったコンビニ立ち飲みの角打に行ってみると、何と閉店。早い時間から飲める場所だったのに残念。
ということで、川端あたりでお好み焼きと餃子と手羽。搭乗手続きぎりぎりまで飲む。いつもながら、もう一日あればいいんだけどねェ…という話。昨日はなかなか状況的に酔えなかった大甲君も一気に酔う。お疲れっス。

彼とはほとんど音楽とJリーグ(サッカー全般)の話しかしないのだけれども、ここ数年のリーグ終盤が異様に面白いのはレギュレーションをスタンダードにした以外の理由はないと合意。だってヨーロッパで何十年もやっているレギュレーションだもの、面白くならないわけがない。延長やらⅤゴールやらチャンピオンシップをやっていた時代がいかに客を馬鹿にした無理やりなシステムだったかということ。これで秋春制も実現も近いか(これはハードルが高いけれど)。酒場のテレビで、CWCのセパハン戦を観ながら、そんな話。

で、東京に帰ってきたら、こちらも12月の週末で、終電近くで、電車は激混み。嗚呼、東京。

博多取材⑤

2007-12-08 18:09:38 | LB中洲通信2004~2010
続いて福岡在住のエッセイスト・福田純子さんの取材。元フリーアナウンサーで、講演のプロということもあって話術はさすがです。福田さんは令翠学運命分析という占星術のスペシャリストでもある。別名・櫻令翠。ということで取材後、せっかくなので見てもらう。
福田さんと藤堂編集長の対談は2月号掲載予定。

博多取材④

2007-12-08 17:38:15 | LB中洲通信2004~2010
11時から天神でイラストレーターのさかいみるさんの取材。彼女は連載対談史上最年少じゃないかな。福岡ってクリエイターが住むのにはやはりちょうどいいサイズなんだろうなァと感じる。
タクシーの中に名刺入れを忘れてきて焦る。

対談終了後、みるさんも交えてうどん屋で昼食。藤堂さんのスカウト現場を目撃する。

博多取材③

2007-12-08 17:31:38 | LB中洲通信2004~2010
木曜日。夜はリンドバーグで藤堂さんのカウンター芸を撮影…と思いカウンターで待つ。ひたすら待つ。カウンターから追いやられても後ろのテーブルで待つ。
だってものすごく混んでんだもの。12月だし。また藤堂さんは店に戻ってくると、さすがの腕で、ものすごく店を回転させる(翌日にもっと、らしい光景を目撃するのだが)。

ということで途中、中洲のBAR NANASHIMA・七島さんのバーテンダー生活50周年を記念して、記念品(リーフレットなど)制作を中心になって進めているBAR HIGUCHIの樋口さんを訪ねる。4年ほど前に取材させていただいた七島さんの写真の件など。七島さん系の正統派のいい店だし背筋が伸びる。モスコミュール、美味いです。

リンドバーグに戻り、2時近くになってようやく店も落ち着いたので最後に派手な一芸(火は吹かないが)を撮影させてもらい、この日の取材は終了。

昼間街を歩いていて気になっていた西鉄博多駅近くのロックバーに行ってみたが、3時で閉店だった。残念。

博多取材②

2007-12-06 20:02:06 | LB中洲通信2004~2010
17時から空間文化研究所の島津真由美さんと編集長の対談を取材。といっても、つい先ほど終わったばかり。銀座ロッソ福岡店のみなさん、突然でしたがご協力ありがとうございました。ようやく今日のホテルに着いて一息。
さて…。大甲君、まだ終わってないよ。

博多取材①

2007-12-06 19:56:01 | LB中洲通信2004~2010
何とか3時までにデイヴィッド・ピースさんの取材原稿をまとめ、残りの資料整理……も、時間切れで、PCをバッグに詰め込んで6時前には部屋を出て羽田へ。モノレールの何とも言えない振動に揺られながら、鮮やかすぎる真っ赤な朝日を見ているとすっかり気分が悪くなってしまった(カウンターのお姉さんに「体調悪いんですか?」と訊かれる。体調悪いんじゃなくて寝てないだけです)。

久しぶりの博多取材。7時前にカメラマンの大甲君と待ち合わせ9時45分、福岡空港到着。
が、しかし。編集長指令で待機すること6時間。
むしろラッキー。天神の喫茶店に入り、東京で書き残してた原稿をPCの電池の限界までに書き切る。お昼に送信完了!ひとまず安心。しかし無事掲載されるかどうかはGod only knows…。

遅い昼飯を食べ、2軒目の喫茶店に入りひたすら待つ。
16時からビューティーメイク・インターナショナルの堤幸子さんと編集長の対談取材。今回はこれから明日にかけて4件取材を入れるなどと恐ろしい指令が下る。

ポスト

2007-12-05 18:46:16 | Sports/Football
<田嶋専務理事は、「目覚めて最初の言葉が、『試合は?(UTAKMICA=セルボ・クロアチア語で“試合”の意味)』だったことに、オシムさんがいかにプロとして本当にサッカーにかけてきたのかが現れていたと思う」と、感極まった様子だった。>(THE STADiUM 12月4日付

岡ちゃんが監督なるのはいい。誰かがそれを引き受けなければならないのだから。
しかし<オシムサッカーの継続性>が今後、代表のひとつのテーマとして掲げられるのならば、JFAはオシムに対してしかるべき、代表に関わるポストを用意するべきではないか。
このままお別れじゃ寂しすぎるぜ。

コピー?

2007-12-05 17:49:41 | LB中洲通信2004~2010
昼から新丸子で栗田貫一さんの取材。メインテーマは<コピーがホンモノになるとき(仮)>だったのだけれども、3、40分程度の短いインタビュー時間ながら手に汗握る展開でありました。13年間に渡り山田康雄さんに代わってルパン三世を<演じ>てきたとはいえ、クリカンさんが自覚する微妙な立ち位置と深い絶望は2007年現在になってもまったく変わらない。それだけ「ルパン」の持つ作品世界の完成度があまりにも高すぎるからなんだけれども。
こんなモノマネタレントはおそらく他にはいない。それは、とても感動的ですらある。いろんな意味で泣きそうになったよ。
2月号で掲載予定。

酔っ払い

2007-12-05 17:39:29 | LB中洲通信2004~2010
月曜日その2。
秋葉原から神楽坂の事務所に寄って1月号を受け取り、高田馬場へ移動。コの字取材で、先月お願いしていた「おかしら」さんの取材・撮影。とても居心地のいいコの字居酒屋さん。ホント、こういうところでやきとんを食べてしまうとスーパーマーケットの焼鳥とか喰えないよねえ。
写真家の北野さんとは近くの立ち飲みでひとまず〆て、1月号で登場していただいた梶原まり子さんに掲載誌を届けるためにGATE ONEへ。この日はまり子さんもちょうど店にいた。気に入って頂けた模様で何よりです。

この日のライブは榊原幸子(vo)、福田重男(p)、トオイダイスケ(b)。
早めに切り上げるつもりだったのに結局12時過ぎまで。嗚呼……。
車移動の多いミュージシャンの方々は酒は飲めないので、こっちがすっかり酔っ払ってぐだぐだ話しても、それを聞かされているミュージシャンはシラフなのだった。反省。福田さん、まり子さんゴメンネ。話している人間が途中から醒めてきて何言ってんだかわかんなくなってんだから、酔っ払いの話は始末に負えない…。

ピースさん

2007-12-05 17:25:19 | Works
月曜日。ここのところ異邦人取材が続いている…ということで、昼から秋葉原でミステリ作家のデイヴィッド・ピースさんの取材。10月にリリースされた日本発日欧米同時発売の大作『TOKYO YEAR ZERO』も好評な気鋭の若手イギリス人作家。スターリンや裸のラリーズも好んで聴くというナイスガイ。いやーこちらも先週のピーターさん同様、駆け足取材だった。
え? 〆切? 今日中に何とかしますです。

1月号到着

2007-12-05 17:16:51 | LB中洲通信2004~2010
中洲通信1月号到着。
今回の特集は「愛の行方」、要するに愛するものを仕事にしている幸せな人たちに登場して頂いています。インタビューはピーター・バラカンさん、唐沢俊一さん。なかなかかっちょいい表紙になっております。今号から開始する「プレイバック中洲通信」では過去に登場していただいた中洲の人々も登場。福岡・博多情報も強化していく予定なので、地元の皆さんも情報提供お願いします(toshiさん読んでるかなァ…)。

関係者、ご協力者の皆様ありがとうございました。昨日より続々発送中。

(12月8日追記)
そんなピーターさんがこんな事件に巻き込まれるとは…。

年末感

2007-12-03 22:53:57 | Works
明日から連日取材なので朝から原稿、終日自宅作業。火・水は昼取材夜原稿。木・金は昼取材夜酒。土・日は昼原稿夜原稿朝まで原稿、だな。さすがに今週、桃スタまでは行けそうもない(行けっこない、しかし中継もない)。まァこの山越えちゃうと相当暇になっちゃうのだが、気がつくと年越してたりして…。

最終節 REVIVEへの道

2007-12-03 02:54:24 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
土曜日。始発の新幹線で帰京。荷物を置いてすぐ鹿島へ向かう。

今年の最終節は鹿島スタジアムで、逆転優勝の可能性を残す天敵・鹿島。順位が確定したことでモチベーションの低下が予想された闘いだったが、点差ほどの実力差はまったくなかったと感じる。特にいくつかあった前半の決定機を決め切れれば展開は変わっただろう。不可解なPK判定でリズムを崩したのは明らかだったし、見えざる意図があったのはどう見たって確かだった。そして本山のスーパーゴールときれいなカウンターを決められたところで、誰がどう見たって、実力差は抜きにして、今日はそういう流れだったことを認めざるを得ない。まァ納得はできないが、それもサッカー。浦和が横浜FCに負けたのだって、それもサッカー。それは優勝宣言をしない健太がずっと言い続けてきた「空気作り」につながる。
鹿島は、浦和との直接対決とこの日の戦いで逆転優勝の空気を作ったし、浦和もまた愛媛FCとのゲームで如実に嫌な空気を露わにしてしまった。やはり“空気”を支配することができるチームが優勝する。
10冠を目の前で見せ付けられただけでもまだ若いチームにはいい刺激になっただろうと思う。

健太「まあ選手にも話しましたけど、やっぱりどれだけ悔しい思いをするかじゃないかなと。そっからやっぱりどこまでその反発力でもう一度上に這い上がって行けるかどうかではないかと。やっぱりこういうスポーツとか勝負事っていうのは、やっぱり嬉しいことよりも悔しいことの方が多いわけですし、こういう悔しい思いをどれだけ自分たちのパワーにこれから変えていけるかどうかっていうのは、まあこれから我々に求められることなのかなと。(中略)来シーズンは更に精進して、『来シーズンこそは』というつもりで戦っていきたいなという風に思ってます」(Sの極み 12月1日付け)

今年のエスパルスを「ポップ・ステップ・ジャンプ」の「ジャンプ」に例える記事は少なくなかった。確かに優勝戦線に名乗りを挙げるべく「ジャンプ」の年なのは間違いないのだけれども、オレはやはりこの言葉を思い出したい。
「REVIVE(復活)」「REJOICE(歓喜)」「RESPECT(尊敬)」という、長谷川健太が監督就任初年度に打ち出したメッセージである。
過去2年を「REVIVE(復活)」「REJOICE(歓喜)」に当てはめるとすれば、今年は「RESPECT(尊敬)」の年になるはずだったが、やはり結果を見ればまだ「RESPECT(尊敬)」には早かった。いや、まだ「REVIVE(復活)」に辿りついたばかりだと実感した。
健太が常々言って来た「そろそろエスパルスが優勝してもいいんじゃないか、というような空気を作る」がまさに「REVIVE(復活)」であり、タイトルを獲ってこそ「REJOICE(歓喜)」であり、「RESPECT(尊敬)」はまだその先にある。

あとはサポーター、ファンが日本平で「空気作り」する番だろう。
只今2008年のシーズンシート発売中、四の五の言わずに、まず買うように。自分たちも空気を作っていることをもっともっと自覚するべきだ。
鹿島スタジアムで、それを実感したよ。

ロッケン・ロール

2007-12-01 01:39:33 | LB中洲通信2004~2010
午前中に取材準備と別件のお仕事の準備。

今日は、来年結成20周年を迎えるジミ・ヘンドリクスのトリビュートバンドTHE BAND OF SHIGEO ROLLOVERの中野重夫さんの取材。以前、このブログのサブタイトルに使っていた“ROLLOVER”というのは、もちろんこの中野さんのROLLOVERから頂いている。やはり、日本で一番かっちょいいバンド名である。

しかしご存知の方はご存知だが、中野さんの活動拠点は東京ではなく名古屋、三重である。ということで、中野さんに会いに三重県松阪市へ向かう。そう言えば去年は文我さんの取材で松阪行ったなァ…と思いながら、そのときと同じ特急みえに乗車。ネットで調べたところ最寄の駅はJR六軒駅。松阪駅のひとつ手前である。THE BAND OF SHIGEO ROLLOVERの取材で、ロッケン駅、なんともロッキンな取材旅行じゃないかと車内から暮れなずむ三重の夕焼けを眺めていた…しかしこれがまず間違いの元だった。
取材1時間前の17時に六軒駅に到着。ちょっと早いが、おそらく松阪駅とは違い、タクシーもないだろうし、中野さんの個人スタジオまで2、3キロの徒歩移動は覚悟していたので、これは予定通りだ。
しかし予定通りでなかったのは、六軒駅が畑の中にぽつんとあるような、荒野のような無人駅だったことだ。降り立った瞬間に愕然とした。急速に六軒駅周辺は闇に包まれていく。ところどころにある街灯の光もあまりにも弱弱しい。細い道路にオレ以外の歩行者などいるわけがなく、すぐ側でものすごいスピードで車が走り抜けている。郵便局のバイクに轢き殺されそうになった。しかしそれも仕方がない。そもそも、“普段、そんなところをてくてく歩いている地元民などいない”のだ。
まず30分ほどさ迷った。仕方がないので暗闇の住宅街に1軒だけ見つけた酒屋のおばちゃんに道を訊くがどうも要領を得ない。しかし目的地がこの周辺ではないことは間違いないようだった。改めて地図を確認し、中野さんに電話をすると、まったく逆方向に2キロほど歩いてしまっていた。しかも最寄の駅は六軒ではないという。私鉄の駅だった。そこからまたひたすら、ひたすら国道23号線を歩いた。23号は幹線道路で車はうなるほど走っていたが、すれ違う歩行者はまったくいなかった。歩く土地ではないのだ。そして40分か50分ほど歩き、目的の住所表示に近づいたときには思わずカメラを取り出し、それを撮影した。今回の取材で撮る必要などまったくないのだが。
さすがに中野さんも外まで出てきて出迎えてくれた。泣いた。心の中で。

それから約2時間、尊敬すべきジミヘン・リスペクター中野さんの話を訊く。やはり中野さんもホンモノの人だった。
もう今晩、東京には帰れないことは覚悟した。

取材終了後、中野さんに誘っていただき、松阪のライブハウスMAXAでちと食事。これが、ちょっと地元民が羨ましくなるようなとてもいいハコだった。
ちなみにこの日は元ダンガン・ブラザース・バンドの中島文明さんのライブ。滞在時間が短かったのが残念。

中野さんに駅まで送っていただき(ロッケンではない方)、再会を約束して、名古屋へ向かう。しかし駅周辺で目ぼしい酒場が見つからず(名古屋には「世界の山ちゃん」しかないのか)、結局、名古屋のロンサムな若人が集う駅前のネットカフェでこの日記を書いてるってわけさ。隣のサラリーマンのいびきがノイジーだ。

今日中に…の予定だった原稿も結局書けなかった。
ホントにこんな状態で今日の昼までにオレはカシマスタジアムに行けるのか(カシマ行きのほとんど唯一のモチベーションだったJJは結局出場しないらしい…もう会えないのが悲しい)。

キーポン・ロッケン。

(追記)
今月15日、MAXAで麗と蘭のアコースティックライブがある。
あそこで観られる松阪の民が羨ましい…マジ。