6月19日(月)
農業を見向きもせず、関心も示さなかった20年ほどの間に、現場は大きく変わっていた。
田畑を耕す道具は、人力や畜力から、ジーゼルエンジンや、ガソリンエンジンで走行し、駆動するロータリー付きの耕運機をどの農家も使用していた。規模を大きく経営している農家は、乗用式のトラクターを所有している。ガソリンエンジンが改良され、普及してより小型の耕運機が広まったようだ。少し前までは、耕運機の作業機として、鋤(プラウ)で越智を起こし、馬鍬を引いて裂土、代掻きをしたと聞いたが、すでに、プラウとロータリーを使用していた。
数年の地には、プラウはあまり使われなくなり、ジーゼルエンジンの大きなロータリー耕運機が主と泣てきた。同時に、トラクターもぼちぼちとみられるようになってきた。
田植えも手うえはほとんど見られず、主に二条植えの田植え機がほとんどの農家にあり、苗も、ハウス内育苗の稚苗箱苗になっていた。肥料はほとんど、設計された粒状の化学肥料。施肥もほとんど、20㎏の粒状肥料が入る背負い式の動力散布機。田の草取りはほぼすべて除草剤。畔草刈りは、刈払機を使用する。そして、稲刈りはバインダーという機械を使用するようになっていた。稲を刈り取り束ねて縛ることまでする機械だ。その稲束を架け干しして、脱穀する。脱穀機は、ハーベスターといい、エンジン付きの自走脱穀機で、脱穀しながら風選して藁クズなどの軽いごみを飛ばし、モミを選別して、袋詰めまでする機械だ。
このように、米つくりは、完全な機械化が浸透していた。